大 舟 山 (653.1m)               三田市   25000図=「木津」

神の降り立った北摂の尖峰

大舟山(上槻瀬より) ホタルブクロの花
 

 夏の低山歩きは、結構過酷である。昨年、五台山から五大山まで縦走したとき、疲れと渇きでふらついて、山を下りたところの自販機の前に座り込んでジュースを立て続けに4本飲んだことがあった。それ以来、夏は夜明けとともに歩き出して、昼までには山を下りる計画を立てるのだが、所詮それは計画にすぎない。今日も、またスタートが遅くなってしまった。

五町の町石

 三田市の東域にあって、尖峰を突き上げる大舟山(おおふなやま)。神姫バスの波豆川バス停より、大舟谷に沿った登山道を辿り、山頂をめざした。かつて山上にあった大舟寺へのこの参道には、ところどころに地蔵菩薩の彫られた五輪卒塔婆型の町石が立っている。町石は、長年の風化によって、また、地衣類やコケにおおわれて、「丁」目が読めなくなっているのもいくつかあった。

 瀬音を聞きながら、沢に沿った広い道を上っていった。土も石も落ち葉も草も、みんなしっとりと湿っている。風はほとんどない。長袖シャツに長ズボン、顔にはUVカットを塗りたくっている。そんな体に、湿った空気がベッタリとからみつく。
 やがて、道は狭くなった。植林と天然林が混じり合う。クロモジ、アラカシ、ヒノキ、シロダモ、ガマズミ…… 、二抱えもある大きなモミの木が立っていた。五町の町石あたりで水は枯れ、ガレ石の下にチョロチョロと水の流れる音が聞こえるだけとなった。道の脇に咲くホタルブクロの花を撮ろうとしゃがみ込んだら、すぐ横からドクダミのにおいがした。
 ヤマザクラの大木があった。根元から、十数本の幹が分かれている。その中に入ってみた。枝や葉を透かして、白く厚い雲が見えた。

 大舟寺跡の平坦面は、水たまりのある湿地であった。背の低い草が一面を覆い、スギの木立にケヤキやカヤの大木が残る。寺伝によれば、敏達天皇の時代に、日羅上人がここ大舟山で修行の上、「舟寺」を創立。その後、弘法大師が来山し、「大舟山」と筆を執って七堂伽藍を建て、修行道場寺とした。しかし、霧が深いこの地は湿気が多く、堂宇の維持が困難となったので、1449年に現在の場所に移したという。
 大舟寺跡のすぐ上のコルは、十倉へ渡る峠である。道標にベンチ、杖も置いてある。ここから山頂までは、天然林の間の小径を急登する。径はしだいに岩がちになり、目の前に現れた大岩を左に巻くようにして上ると、大舟山の山頂に達した。

 神が降り立ったとされているこの山頂では、古来、神祭りの斉庭が営まれた。その時の「磐境」跡の石組みが、タムシバの木の下に残り、その中に小さな木の祠が納められていた。その祠の中に祀られていたのは、この山を造る凝灰岩の小さなかけらであった。
 山頂の解説板に、山名の由来が記されていた。「遙か昔の湖沼時代には、このあたりは湖で大舟山は島になっていて船をつないだ松があったところから名付けられた」とある。
 しかし、これも事実ではなく伝説としてとらえなければならない。湖があったのなら、その堆積物が残っているはずであるがこの地域にそれはない。縄文海進もここまでは及んでいない。人類が誕生してからこの地域が湖になったとは、考えられないのである。湖沼時代などという言葉自体があいまいである。
 古人の誰かが、周囲から抜きん出た大舟山の姿を見て想像したことが、ずっと信じられてきたのであろうか。それとも、羽束川を行き来した小舟をつないだのかも知れない。

 南西の風が麓からゆるやかに吹き上げ、山頂の大きなアカガシの木の葉が小さくざわめく。眺望は、一面をおおった雲と湿った空気に茫洋としている。南に六甲の稜線が、空の白に消えかかっている。重なる北摂の山並みの中に、三田市や宝塚市北部の新しい住宅街の街並みがにぶく光っている。羽束山が特異な山容で、立っていた。

大舟山山頂 大舟寺のカヤの木


 麓の大舟寺に寄った。樹齢300年を越えるというカヤの大木の向こうに本堂、瑞光殿が見える。その本堂の左脇の小さなお堂の中にに、弘法大師の筆跡が祀られていた。それは、黄土色の凝灰岩に「大舟山」と彫り込まれたものであった。

 山を下りると日がさしてきた。今日、近畿地方の梅雨が明けた。

山行日:2002年7月20日

※ 山名について
 国土地理院発行の地形図には、「大船山」と記され、多くのガイドブックもこれによっている。しかし、大舟寺に残る空海の筆跡が「大舟山」であり、山頂の案内板やいくつかの道標には「大舟山」が使われている。したがって、ここでは「大舟山」とした。


山 歩 き の 記 録

行き:神姫バス「波豆川」バス停〜大ヤマザクラ〜大舟寺跡〜Ca530mコル〜大舟山山頂
帰り:大舟山山頂〜Ca530mコル〜十倉峠(Ca410mコル)〜三十三観音霊場〜三田アスレチック〜神姫バス「波豆川」バス停

 神姫バスの終点、波豆川バス停に登山口がある。「大船山登山コース案内図」が近くにかかり、登山口の桜の木の下には、「大船山へ2.1km」と記された道標が立っている。かつての大舟寺へ続く、町石の立つ参道である(地形図実線路、途中から破線路)。広い道は、やがて狭くなる。大舟寺跡の少し手前に、「左 大船山(←町仏)、右 大船山(滝→)」と記された小さな分岐がある。滝のほうへ進むと、数段の黒い岩肌を二筋の水が滑り落ちる小さな滝があった。その滝を右に巻いて町仏の道と合流し、大きなヤマザクラを過ぎると、大舟寺跡に着いた。大舟寺跡のすぐ上のCa530mのコルには、ベンチ・道標・幾本もの杖が置かれている。ここから西へ、急な坂を一気に上ると大舟山の山頂に達した。

 帰りは、Ca530mのコルまで下り、ここから北へ進む。Ca410mのコルは、西の十倉と東の大磯を結ぶ十倉峠(大峠)である。道標の立っているこの峠から、東へ谷沿いに大磯の三田アスレチックまで下った。

   ■山頂の岩石■ 白亜紀 有馬層群佐曽利凝灰角礫岩  流紋岩質火山礫凝灰岩

 三田市から篠山市、宝塚市、猪名川町にかけての東西約19km、南北約14kmの長円形(多角形)の地域に佐曽利(さそり)凝灰角礫岩が分布している。
 佐曽利凝灰角礫岩は、有馬層群の最上位にあたる地層(約7000万年前)である。これは、白亜紀中期〜後期の激しい火山活動の終末期にカルデラ内で爆発的な噴火がおこり、それによって生じた凝灰角礫岩がカルデラ内を埋めつくしたときの地層だと考えられている。

 大舟山は、この佐曽利凝灰角礫岩の分布のほぼ中心にあたる。今回歩いたコースの中では、山頂付近に好露頭があった。
 岩石は、流紋岩質火山礫凝灰岩。異質岩片と結晶片を大量に含んでいるのが特徴である。異質岩片は、径が数cmの角レキ。黒色頁岩、灰色のシルト岩、チャートなどが多い。結晶片としては、石英(あめ色透明)・斜長石(白)・カリ長石(ピンク)・黒雲母(黒)が肉眼で観察される。基質は、黄土色を呈する。
 どの部分も、風化による変質が進んでいて、新鮮なものは観察できなかった。


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