雨の日の廃線ハイクと大峰山
トンネルを出る
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JR福知山線の生瀬駅から武田尾駅の区間に、武庫川に沿って廃線跡が残っている。ハイキングコースとして整備されたわけではないが、その渓谷美やトンネルの中を懐中電灯の明かりを頼りに歩くといったちょっと変わったハイキングを求めて、多くの人が訪れている。小雨の降り出した日曜日の朝、息子と二人で生瀬駅から歩き出した。
歩くほどに、雨足は少しずつ強くなってきた。「トンネルを抜けると、そこはどしゃ降りだった」などと、息子はのんきなことを言っていた。初めは、本当にそんな感じもあったが、途中から雨の降り方は小康状態となってくれた。
武庫川がつくるこの渓谷には、瀬や淵、あるいは川底の岩や崖の岩盤に名所が多く、その名所には古くからここを行き交う人々によって名前が付けられている。コースには、その名や由来を示す案内板が掛かっていた。「米が淵」……江戸時代、丹波の百姓が大阪へ米を売りに行く途中、この淵に一文銭を投げ込んで、水底に沈んだ銭が表を向くか裏を向くかで米相場を占ったという。「姉さん岩」……どれがそれなのか、二人であれやこれや言い合ったが、結局分からない。このあたりの川底の岩は、凝灰岩がほとんどで青っぽい色をしている。「高座岩」……川底に横たわる上が平らな巨岩である。案内板に天女の絵が描かれている。雨乞い場だったというこの岩には、どのような伝説が残っているのだろうか。「溝滝」……岩が両側から張り出して溝のように流れるこの滝に、滝の主神である金の鱗の鯉がいた。この鯉が水面に現れると、大風雨となり遊客が帰路を失うことがあったとある。「天狗岩」……対岸の崖を見上げると、屹立する岩がある。その右の方には、大きな岩が木々をなぎ倒しながら崩れ落ちたときにできた跡が生々しく残っている。
溝滝付近の武庫川渓谷
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地形図を見るとおもしろいことがわかる。三田盆地を出た武庫川は、JR道場駅あたりから武田尾駅を過ぎたあたりまでは、ゆったりと蛇行して流れている。そこから一転して、生瀬駅の手前あたりまではV字谷を形成して勢いよく流れ落ちているのである。河口付近に見られる蛇行や、上流に見られるV字谷が、このように川の中流に、しかも逆の順序で現れるのは、かなり珍しい。これは、このあたりが六甲ー北摂山系隆起帯として、最近になって(100万年前頃から、高位段丘面が形成されてからだとここ20万年の間)上昇したことと関連している。
トンネルの奥から金管楽器の音が聞こえてくる。憂いを帯びたその音は、トンネル内の空間に低く響いてくる。このような場所で、誰が……。トンネルの出口付近で、一人アルトサックスを吹くのは、武庫川ダム建設の反対署名をここで集めている兵庫県勤労者山岳連盟の方であった。少し話をした後、一曲サービスしてもらった。それにしても、この峡谷にダムを造るという計画が以前からある。この谷底にいては分からないが、切り立った右岸左岸の崖の上の平坦面(高位段丘面)には、ゴルフ場が大きく広がっている。その上さらに、この峡谷をダムの下に埋めてしまうとは……いったい、どこのどのような自然なら残されるのか。今日も、あいにくの天気にも関わらず、多くの人が訪れていた。植物の種類を一つ一つ調べながら歩いている人がいた。小さい子供たちがグループでオリエンテーリングをしていた。家族連れが、木の陰に雨を避けて弁当を広げていた。この峡谷は、都会の近郊に残された貴重な自然なのである。
紅葉の走りの森
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大峰山へは、「桜の園」につけられた遊歩道から登っていった。道は、沢から山の斜面をつづらに上っている。ときどき顔を出す岩は、2億年前頃に海でできた丹波層群の黒い砂岩や頁岩。雨の日の雑木林は、色づき始めた木々の葉もしっとりと潤い、詩情あるれる風情である。落ち葉の積もった腐葉土は、今朝からの雨をしみこませても、まだふかふかとした弾力を保っている。
やがて尾根に出た。尾根は土が流され、雑木の根がむき出しになったり、8000万年前頃の火山活動でできた淡い褐色の凝灰岩がゴツゴツと露出している。付着した地衣類のせいだろうか、木の幹が茶色に粉吹いたように見えるソヨゴが多い。「枝が風に揺れると、葉がそよぐのでソヨゴと言うそうや」と私。息子が木を揺すると、葉がざわざわと音をたてて揺れた。かと思ったら、間髪を入れず、葉についていた雨が大粒の水滴となって、ばらばらと木の下の私に降り注いできた。やがて、ソヨゴよりもリョウブやコナラ、あるいはイヌツゲが多くなって、木々に囲まれた静かな大峰山の頂に達した。
山行日:2001年10月21日
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