|
西播磨の沈水海岸 (姫路市~赤穂市) 家島諸島が近く、その西に小豆島の大きな島影。その向こうには、明石海峡大橋から続く淡路島、そして四国の山々まで見渡すことができます。 目を転じて東を見ると、ここから続く海岸線が遠くまで見通せます。海岸線は、岬と湾が連続するリアス海岸です。このリアス海岸は、大地が沈降することによって形づくられました。 1.西播磨の沈降地形 海岸線を目でたどると、近い方から丸山の鼻、釜崎、金ヶ崎、藻振鼻の岬が飛び出し、その間に砂越湾、相生湾、伊津湾が入りこんでいます。 岬の先には、蔓島や君島、三つの唐荷島などの小さな島が浮かんでいます。 岬の海岸線は複雑に入り込んでいます。ここから見えませんが、御津から藻振鼻への道は海岸線に沿って曲がりくねり「七曲り」と呼ばれています。
南に見える家島諸島は、大小40余りの島々からなっています。島の位置を見ると、ほぼ東西(東北東ー西南西)に並んでいることがわかります。 男鹿島・家島・坊勢島・西島の海岸線も、複雑に湾入してリアス海岸をつくっています。
複雑に出入りする海岸線の地形は美しい景観をつくり、万葉の昔から歌人たちに歌われてきました。湾の奥は天然の良港となり、多くの人々や物資が行きかい豊かな文化をつくりました。 穏やかな瀬戸内海に浮かぶ島々は見るものに安らぎをあたえ、島では漁業が発達しました。
2.兵庫の海岸の傾動運動 複雑に出入りする海岸線や散在する島々は、大地が沈降することによって生まれました。 このように大地が沈むことによってできた海岸を沈水海岸といいます。(沈水海岸は、海水面が上昇することによっても生まれます。) 大地が沈むと谷や低地に海水が入りこんで湾入します。山地の稜線は岬となって、海に突き出ます。また、低地に海が入りこむと、低地の中の小さな山や丘は沖合の島となって海に浮かぶのです。 沈水海岸が見られるのは、御津より西の海岸線です。播磨の海岸地域は、西は沈降していますが東は隆起しているのです。 下の図は、姫路市史(2001)を参考につくったものです。明石川付近・加古川付近・御津・赤穂のおよそ100万年前以降の、1年間の平均隆起量・沈降量を赤の矢印で示しています。 これらの数値は、各地点でのボーリングデータをもとにして、海成堆積物の層や火山灰層、あるいは地磁気逆転境界などによって求められました。ただし、赤穂の数値はデルタの地下の粘土層から求められ、年数も2,7000年と短いため過大に出ている可能性があります(田中 2001)。
播磨の海岸の東が隆起し西が沈降していることは、ここまで見てきた海岸線の姿のほかにも地形に現れています。 大地が隆起することによって生まれる地形に段丘があります。明石川や加古川付近では海成段丘や河成段丘が発達しています。段丘は市川東岸でも見られますが、市川西岸では限定的になり、さらにその西の揖保川や千種川ではほとんど見られないのです。 加古川の東、いなみ野台地には河成段丘が何段もつくられていますが、一枚の段丘面では東が高く西が低くなって傾いています。このことは、東ほど隆起量が大きかったことを示しています。 六甲山の隆起が始まったのが、約100万年前です。それにともなって播磨の海岸付近では東側が隆起しました。逆に、姫路平野あたりを支点として西は沈降したのです。 大地が一様に隆起しないで、このように傾いて隆起することを傾動運動(傾動隆起)といいます。播磨の大地は、この100万年の傾動運動の影響を大きく受けながら形づくられたのです。 引用・参考文献 田中眞吾(2001) 姫路市史 第一巻上 第3章~第6章,姫路市 ■岩石地質■ 新生代第四紀 海岸地形 |