那智の滝はこうしてできた 青岸渡寺から、朱塗りの三重塔の向こうに那智の滝を遠望したあと、飛瀧神社へ下りました。 目の前に屹立する岩盤。青空の下の落ち口から、水が真下へ勢いよく流れ落ちます。陽を浴びて輝く水の束は、途中で岩盤にあたり、飛沫をあげて白い流れに濃淡をつくっています。 落差133m。この高さは、まっすぐに流れ落ちる滝としては日本一です。 この滝が、どのようにしてできたのか考えてみましょう。 1.那智の滝の地質 まず、那智の滝周辺がどのような地質でできているのかを見てみましょう。
那智の滝の北には、花崗斑岩が分布しています(下の地質図のピンク色の部分)。花崗斑岩は、マグマが冷えて固まった火成岩の一種です。この花崗斑岩は、今からおよそ1400万年前にできたものです。 那智の滝の南には、熊野層群という地層が分布しています。熊野層群は、砂岩や泥岩や礫岩の地層から成っていて、今からおよそ1800万〜1500万年前にできました。 那智の滝は、花崗斑岩という火成岩と熊野層群という堆積岩の境界にできているのです。
2.那智の滝をつくる岩石 那智の滝の岩盤をつくっているのは、花崗斑岩です。岩盤はほぼ垂直に切れ落ちています。岩盤の表面を見ると、縦方向に割れ目がたくさん入っていることがわかります。連続性があまりよくないのですが、この割れ目は柱状節理といって、マグマが冷えて固まり体積が小さくなるときにできます。
飛滝神社の観覧舞台から、崩れ落ちた岩石の表面を双眼鏡で観察しました。岩の表面は風化していたり汚れたりしているので、割れて内部が見えるものを探します。 岩の色は灰色で、白い鉱物と黒い鉱物がモザイクのように交じり合った花崗岩のように見えます。その中に、白くて大きな粒が目立ちますが、これが長石や石英の大型の結晶(斑晶)で、花崗斑岩の特徴を表しています。
3.那智の滝の岩石を那智川に見る 那智の滝の岩石を調べるために、滝に行く途中で那智川に降りて川原の石を観察しました。
ここで採集した岩石を観察しました(下図)。 1・2・3は、花崗斑岩です。 大きな結晶(斑晶)の中で、白い粒は変質した長石です。斜長石とカリ長石の区別はつきません。 黒い粒は、黒雲母です。六角形の自形のものも見られます。黒雲母の中には、変質して茶色くなっているものもあります。 茶色の粒の多くは、角閃石か輝石が変質したものです。ほとんどが変質していて、この2つのうちのどちらかは、わかりませんでした。 大きな結晶の間を埋めている部分(石基)は、灰色をしています。この部分は、小さな長石・石英・黒雲母・角閃石or輝石がふくまれ、ルーペでは見分けられないさらに小さな結晶がそれらを埋めています。 これらの花崗斑岩は、那智の滝をつくる熊野花崗斑岩の分布域からここまで運搬されてきたものです。 4〜8は、熊野層群の堆積岩です。 4は、黒色の泥岩です。 5・6は、中粒砂岩です。 7は礫岩で、最大5mmの礫をふくんでいます。礫の多くは、黒色の泥岩です。 8は中粒砂岩ですが、ほぼ同じ方向に伸びた黒色の泥岩の偽礫(ぎれき)をふくんでいます。この偽礫は、まだ固まっていない泥岩が削り取られて、その上に堆積してきた砂岩層に取り込まれて礫状になったものです。
4.那智の滝はこうしてできた 那智の滝は、花崗斑岩の末端に架かっています。花崗斑岩は硬く、風化や侵食に強くて残りやすい岩石です。 滝の前には、熊野層群の地層が分布しています。地層をつくる泥岩や砂岩などの堆積岩は柔らかく、風化が進んでどんどん侵食されていきます。 硬い花崗斑岩が残り、軟らかい熊野層群の地層が削り取られて、そこに那智の滝ができたわけです。 これを、もっと時間と空間を広げてストーリーとイラストにしてみました。 @ 熊野層群の地層が前弧海盆に堆積しました。(約1800万〜1500万年前) この時代は、アジア大陸から引きはがされた日本列島がほぼ現在の位置へ移動し終わった時代です。 海洋プレートは引き続いて沈み込んでいました。海洋プレートの上の部分は沈み込むことができずに、付加体として日本列島に付け加わっていきました(四万十帯の地層)。 付加体の海側は盛り上がっていて、日本列島の間に大きなお盆のような地形ができます。これを、前弧海盆といいます。前弧海盆には、陸から運ばれてきた泥や砂がたまり地層をつくります。このようにしてできた地層が、熊野層群の地層です(図1)。
A 熊野層群の地層中にマグマが貫入し、冷えて花崗斑岩となりました。(1400万年前) この時代に、熊野では巨大な火山噴火がありました。 地下にたまった膨大なマグマが噴出して、その上の大地が陥没してカルデラができました。大地が陥没すると、地下のマグマがさらに押し出されて、さらに大きな火山噴火となりました。この噴火によって、地表は膨大な厚さの溶岩や火山灰、火砕流でできた火砕岩におおわれました(図2)。 古座川の一枚板は、この時の火道が冷え固まってできたものだと考えられています。 このとき、マグマの一部は地表まで達しないで、熊野層群の地層中に入りこみ、そこで冷え固まりました。このようにしてできたのが那智の滝の岩盤をつくっている花崗斑岩です(図2)。
B 熊野の大地が隆起しました。(1400万年前〜) この隆起の原因は、紀伊半島の地下に存在する巨大な花崗岩の浮力だという考えがあります。 1400万年前のマグマの活動は、大規模な噴火でカルデラをつくったり、地層中に貫入して花崗斑岩をつくったりしましたが、その活動のもとになった巨大なマグマだまりがもっと深い地下にあったと考えられます。 マグマだまりのマグマが冷えると、地下深くで花崗岩になります。花崗岩は周囲の岩石より密度が小さいので浮力がはたらき、その上の大地を持ち上げるように上昇するという考えです(図3)。
C 硬い花崗斑岩が残り、その末端に那智の滝ができました。(現在) 隆起した大地は、水のはたらきによって表面からどんどん削り取られていきます。カルデラの形はなくなり、1400万年前の火山活動で積もった火山灰や火砕岩も削り取られて、その下の花崗斑岩や熊野層群の地層がむき出しになります(図3)。 花崗斑岩は硬いので今も地表に残り、その末端で、削り取られた熊野層群の上に滝をつくったのです(図4)。
目の前で勇壮に流れ落ちる滝の水。この景観にも、長い大地の営みがあったのです。 ■参考文献 長谷川修一,2009,14Ma花崗岩体と西南日本外帯のネオテクトニクス.電力土木,341別冊,1-6. 川上 裕・星 博幸,2007,火山ー深成複合岩体にみられる環状岩脈とシート状貫入岩:紀伊半島,尾鷲ー熊野地域の熊野酸性火山岩類の地質.地質学雑誌,113,296-309. ■岩石地質■ 花崗斑岩 約1400万年前(新第三紀中新世) 熊野層群中に貫入 |