妙 見 山    (693m)        中町  25000図=「中村町」「丹波和田」
時空を越えて今、この山を想う
 
高岸から望む妙見山
 各地で、ふるさとの山が見直され、これまで以上に親しまれるようになってきた。

 中町の妙見山もそんな山である。最近になって、登山コースに丸太階段や木のベンチ、何合目かを示す板の看板などがつくられ、誰でも安心して登れるようにコースが整備されている。
 7合目付近で、上から降りてきた家族連れに出会った。元気良く駆け下りてきた男の子に「どこから来たの?」と聞いてみた。「頂上から」と男の子。「いやー、そうではなくて……。どこの町から来たん?」。「中町の中村から」。
 この日は『妙見山に登りませんか』という町の行事があって、多くの人が登ったということを、後から降りてきたお母さんから聞いた。ほとんどの参加者が、頂上から牧野コースに降りていったということである。その後、3歳の孫を連れた若いお祖母さんや、もっと小さい子の片腕を引っ張り上げて下っているお母さんなどに出会った。

 中町からの妙見山は、周囲でもっとも高い山として均整のとれた姿で立つ。その山姿から妙見富士とも呼ばれている。登山口のある東山には、古墳時代後期のものとされる「東山古墳群」がある。人々が崇拝する太陽を真っ先に仰ぐのがこの妙見山であり、そのふもとの東山が中町の信仰と豊穣の地であったと考えられている。

 今日は、小2の娘と二人で歩いた。ずっとマツの林が続いたが、やがてコナラが優勢な紅葉真っ盛りの雑木林となった。娘は、マツボックリやドングリを拾いながらずっと私の前を歩いていた。
 たどり着いた頂上からは、笠形山から飯森山そして千ヶ峰と続く稜線が目の前に広がっている。ゆるやかに曲線を描く吊り尾根と枯れて赤茶けた笹原が頂上付近に広がる千ヶ峰の姿に惹かれた。
 妙見山の山頂をつくっているのは溶結凝灰岩。いまから、約7000万年前の火山の噴火で火山灰などが流れ下り、その熱と重みで一部が溶けて、その後冷え固まった岩石である。山頂付近の岩石は特に硬く、周囲の岩石の風化浸食から残されたようである。

 約7000万年前の岩石でできた妙見山。その後、妙見山は長い年月にわたる風化・浸食によってしだいに形を整えていった。そして、この山を下から仰ぎ見て崇拝し、今に残る古墳をつくった古墳時代の人々。そして、今もなお、その山を朝な夕なに見上げ、この山を愛する地元の人々。山頂に立ち、時空を超えて今、この山を想った。

 山頂でおにぎりを食べてゆっくりしていると、いつの間にか厚い雲におおわれ、急に寒くなってきた。笠形山の頂上は、雲の中に入ってしまった。娘にせかされ、雨を予感しながら、山頂を後にした。


山行日:2000年11月12日
山 歩 き の 記 録 (ルート)

行き:多可高校裏〜東山古墳群〜林道入り口〜東山登山口〜3合目コル(310m+)〜619mピーク(展望台)〜山頂
帰り:行きと同じ
 いくつかの登山コースがあるが、その中で東山コースと牧野コースが整備されている。その中の東山コースから上った。多可高校裏に車を止めて歩き出す。すぐ右手に東山古墳群。妙見山の619mピーク(展望台)を背に、横穴式石室を埋めた小山がいくつか立っていた。石室の壁や天井をつくる岩石は、石英の結晶片を多く含む凝灰岩が主であった。東山古墳群を過ぎると「登山道東山口に至る 0.7km」の看板が立ち、北にコンクリート舗装の林道が入っている。この林道を進む。林道が東に折れ曲がったら、「妙見山登山口東山側口」の看板の立つ登山口。
松林にて(木を揺らしてマツボックリを落とそうとしたら、自分が傾いてしまった)
 まずは、ヒノキの林。ヒノキがマツに変わりだしたところが、1合目。ここから、マツの疎林が続く。3合目は、城山(364m)との間のコル(300m+)。向かい合わせに備えられた木のベンチに腰掛け、娘とソーセージを食べる。マツにモミの樹が混じっている。低木層にほとんど木はなく、風が良く通り気持ちがよい。3合目からは、ほぼ尾根に沿って上っていく。4合目付近から、谷を隔てて展望台のある619mピークが見え始める。紅葉の山肌は、黄・赤・茶・緑と多彩である。上るにつれて、マツに少しずつコナラなどの雑木が混じってくる。やがて、胸突きの急坂になる。7合目には、「ルートが変更になりました。右へおまわり下さい。」の看板が立っていた。ここから右へ回り、南から展望台のある619mピークに達するのが新しく整備された道である。619mピークの下に割れ目の多く入った岩石が露出しているが、これが「あまんじゃこのわすれ石」らしい。619mピークの展望台からは、南に中町の田園風景が見下ろせる。展望台から降りてすぐの600m+のコルが8合目。7合目からの旧道は、619mピークの西をまいてここへつながっているようであるここから、北へ上ると町界尾根に達する(670m+)。ここには、3段の石積みが、はっきりと残っている。何があったのであろうか。「能野部村 豊部村 山林境界」と刻まれた石柱も立っていた。ここから少し下って、新しい丸太小屋を過ぎて上り返すと、すぐに山頂に達した。
 牧野コースへ降りたかったが、出発時間が遅かったのと雨が降りそうになったことで、行きと同じ道を通って下山した。

   ■山頂の岩石■ 白亜紀  有馬層群玉瀬溶結凝灰岩層 流紋岩質溶結凝灰岩

妙見山山頂
 山頂は、板状に割れ目の発達した岩石でできている。ほとんど垂直に立ち上がったこの山頂の岩石は、小規模で難なく登れるが、頂上に達した喜びを感じることのできる景観をつくっている。黒っぽい色をしたこの岩石は、溶結凝灰岩である。石英や長石の結晶片を多く含んでいる。黒雲母と角閃石と考えられる黒色の鉱物も含まれている。茶色に変色した火山ガラス(軽石)が細長く伸び、溶結したことを示している。また、火山レキらしい岩片も少し含まれている。
 妙見山のほとんどは、山頂と同じ溶結凝灰岩からできている。登山道の所々に、この岩石の露頭があったが、全体的に白っぽく風化している場合が多かった。それに比べて、山頂の岩石は緻密で硬い。風化に強い部分が山頂として残ったのであろう。

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