鍋ヶ谷山(1253m)・船木山(1334m)・後山(1344.6m)
   宍粟市・美作市  25000図=「西河内」


鍋ヶ谷山北東尾根より後山へ、早春のスキー山行

船木山を越えて後山へ

 午前5時。外に出てみると、アルクトゥルスが空に高く、東からはもう夏の大三角形が昇っていた。天気は問題ない。山に雪が残っていることを願って出発した。

 6時55分、林道を歩き始めた。林道に残った雪は、10cmほど。表面がクラストし、シールの下でバリバリと音がする。幅の広いタイヤの跡が、雪の下の泥を跳ね上げて続いていた。帰りの滑降はできそうにない。少し暗い気分になるが、わだちと凍った泥をよけながら道の端を進んだ。
 雪面には、スギの葉や何かの小さな種が落ちていた。ときどき車のわだちから人の足跡が出て、薬きょうが1つ落ちていた。野鳥のさえずりが聞こえ、林道に朝陽が射し込んできた。

 標高900m、林道が深く谷に入り込んだ地点で林道を離れた。ここから、この谷を南に進み、鍋ヶ谷山北東尾根に取りつく計画である。谷に入り込んで、すぐにスキーをあきらめた。スギの枝葉がたくさん落ちていて、スキーでは進めなかった。流れの畔で、スノーシューにはき替えた。
 標高930mで沢を離れ、左の斜面を登った。ときどき雪を踏み抜くと、背負ったスキー板が頭に当たった。
 標高960mで、北東尾根に出た。尾根は意外にやせていて、ソヨゴや植林された若いヒノキが伸びていた。雲ひとつない青空に、イワツバメがもつれ合うように飛んでいる。ホオジロやヒガラのさえずりが聞こえてきた。朝陽が南東にまだ低く、雪面に木々の影を長く引いた。

斜面を登って達した北東尾根 振り返ると
ウリハダカエデの冬芽の向こうに東山

 尾根は開けていなかった。スノーシューは、雪の下の木の株によくひっかかった。潅木の間をもぐりこむようにして分け入ると、スキー板が枝に当たって、はね返された。尾根を進むのが難しくなったので、少し下の木々が疎らになったところを選んで登った。左の谷で、雪崩の音が聞こえた。
 再び尾根に戻って、ヒノキの間を進んだ。標高1040mあたりは木々がまばらで、少し歩きやすくなった。ザックに座って一休みしていると、近くの木の枝にシジュウカラが止まってさえずった。ウリハダカエデの冬芽は、赤くふくらんでいた。
 雪の深さは40cmほど。潅木やヒノキの幼樹を雪が隠すには、あと2mも積もっていなければならない。この尾根が真白き尾根であったのは、もうはるか昔のことだった
 相変わらず、枝葉を払いながら木々を縫って登った。雪は陽射しによって融け始め、シャーベットのようになってきた。左に、木々の間から後山が近づいてきた。

鍋ヶ谷山へ
(ここからスキーをはいた)
鍋ヶ谷山北東尾根より望む
後山(左)と船木山(中央)

 標高1100mに達したところで、スキーにはき替えた。斜面がゆるいところはよく進んだが、急になると直登できなかった。斜めに登ろうとしたが、そうすると今度はササがじゃまをした。ササを引っ張り、ミズナラやブナの木をつかみながら、急斜面を登った。鍋ヶ谷山の山頂に近づくと、木々を抜けて風が流れた。雪面には、木の枝についた霧氷が融けて落ちていた。

鍋ヶ谷山山頂と雪の夏道

 尾根の傾斜がゆるくなって、広がってきた。ササの間を進むと、夏道に飛び出した。鍋ヶ谷山の山頂は、夏道の脇に一枚の小さなプレートがかかっているだけだった。

 尾根道は、そこから小さなアップダウンを繰り返した。下りは、シールをつけたままのスキーが重く滑った。ササは、枝の先を雪の中に埋め、雪の上に輪を描いていた。道の狭くなったところは、この輪にスキーが突っ込みそうで、思うように滑ることができなかった。
 雪面にシカの足跡がしばらく続いた。ゴジュウカラが近くで鳴いた。今年初めて、ウグイスのさえずりを聞いた。
 いつの間にか、雪の道は船木山の山頂をめざして、一方的に上り始めていた。日当たりの良いところでは、雪解けが進んで土が見え始めていた。

 東粟倉からの道と合流すると、まもなく船木山の山頂に達した。コル1つを隔ててもう後山が近い。後山は思った以上に雪解けが進み、南面のササの緑が濃かった。
 船木山の山頂を50mほど越えたところに、「鍋ヶ谷山登山口」の標識が立っていた。この道を偵察し、帰りはここを下りようと決めた。
 最後のコルは、雪が消えかかっていた。山頂斜面は、雪の上にササが広がっていた。幾本にも枝分かれしたリョウブの古木が立っていた。風雪に耐えてここに立つリョウブは、黄金色の毛で包まれた小さな冬芽をつけて、今年も春を待っていた。

 12時20分、先客で賑わう後山の山頂に達した。もうお腹は、ぺこぺこ。三角点の近くに座り込んで、弁当を広げた。何人かと話をしたり、写真を撮ってあげたりした。10人くらいのパーティーが発つと、山頂は静かになった。
 山は、やわらかな春の陽射しに包まれていた。雲ひとつない青空。北に、真白い尾根をゆるやかに突き上げた氷ノ山が見える。その右に三室山。東には、植松山が大きく座っている。植松山のふもとには、川井のT字路や小学校の校舎がたたずんでいた。
 南東に遠く、暁晴山・七種山・明神山。湿気と黄砂の影響で水平方向は、白くかすんでいた。西に立つ那岐山の南には、吉備高原の低い山並みが幾重にも重なって白く沈んでいた。

船木山より後山を望む 後山山頂より植松山を望む

 帰りは、船木山山頂の手前から、夏道を鍋ヶ谷林道へ下った。夏道は船木山山頂の北を西へトラバースしながら下り、標高1240mあたりから北へまっすぐ下っていた。山の北側はまだ雪が深く、雪を載せた東山を正面に見ながら、スノーシューでぐんぐん下ることができた。
 標高965mで林道へ。ここからの林道歩きは長かった。

山行日:2010年3月14日
行き:鍋ヶ谷林道入口(標高800m)〜鍋ヶ谷林道標高900m地点〜鍋ヶ谷山北東尾根〜鍋ヶ谷山〜船木山〜後山
帰り:後山〜船木山(山頂の東の分岐、標高1225m地点)〜鍋ヶ谷林道登山口(標高965m)〜鍋ヶ谷林道〜鍋ヶ谷林道入口
 鍋ヶ谷山北東尾根は、木々が伸びてスキーには適していなかった。縦走路は、雪が多いときならもっと滑ることができただろう。船木山から鍋ヶ谷林道までの夏道は明瞭だった。ときどき、木の幹にピンクのビニールテープが巻かれていて、コースを教えてくれた。

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