室尾山(629.7m)    朝来市             25000図=「八鹿」「直見」


ヒルとの闘い、梅雨の室尾山

弥生が丘より望む室尾山

 法宝寺で車を降りると、梅雨の晴れ間に水色の空が広がっていた。西の空には更待月が残り、センダイムシクイが鳴いていた。

 道を少し下った小いさな橋に、「室尾山登山口」の標識が立っていた。鳥居をくぐり、石段を登ると八幡神社の小さな社。
 神社の脇から、スギ・ヒノキ林の下に古い参詣道が伸びていた。踏み込まれた道は深い溝になっていて、がレ石の間に水が流れていた。昨日までの雨で、山全体がじっとりと濡れていた。
 アカマツ林で、道の溝が浅くなり、流れていた水も消えた。ガレ石も減って、歩きやすくなった。またすぐ、ヒノキの人工林になった。道はときどき折れながら急な斜面を上っていた。
 自然林の中に入ると、木漏れ日が射しこんだ、地面には、シイやカシやアベマキの落ち葉が重なっていたが、それらの葉も湿っていた。

 曲がり角の露頭で岩石を調べていたら、落ち葉の上にムカデが1匹。ハンマーの先でムカデをつついて遊んでいると、靴にヒルがついているのに気がついた。
 1匹、2匹、3匹・・・。ズボンの裾をまくり上げると、タイツの上をヒルが上昇中。ウヒャー!太い!指ではじき落とした。ここから、ヒルとの闘いが始まった。

 自然林と人工林が交互に現れた。道の傾斜がなくなり、小さな沢を一つ渡った。道はそこから尾根に上っていた。
 石垣に囲まれた平坦面が現れた。シカ柵を開け、丸太階段を登ると広場が広がっていた。法宝寺跡・・・。

 法宝寺は、天平20年(748年)、行基によってここに建立された。鎌倉時代には、15の堂宇を有し大いに栄えた。昭和30年(1955年)、大雪で庫裏が倒壊し、ふもとの岡田に移転した。

法宝跡

 ヒルとの闘いは続いていた。地面で頭をもたげ、ぐにゃぐにゃとその頭を回して靴に張り付いてくる。木の上から落ちてきたヒルは、肩の上で動いていた。「高野聖」の中の世界・・・。見つけては、はじき落とした。
 ヒルを少しでも避けるために、立ち止まるわけにはいかなかった。イヌシデや、ハリギリの大きな木が立っていた。クロツグミやイカルが鳴いていた。

 急坂を登ると東西尾根に合流した。西に少しだけ寄り道して、送電線鉄塔下に出た。ここなら、日当たりが良い草地で、つかの間ヒルから避難できる。
 眼下に、和田山の町。その向こうに竹田城址が低い。大倉部山が稜線を斜めにせり上げ、須留ヶ峰が山頂部を波打たせていた。
 
鉄塔より望む大倉部山(左)と須留ヶ峰(右)

 鉄塔から再びヒルの森へ。尾根を東へ進んだ。
 男山へ0.1kmの分岐があった。男山は、南へ分枝した支尾根上の小さなコブ。人工林とヤブツバキやヤマモミジなどの雑木林の間に丸く開け、丸太のベンチが一つ置かれていた。

男山

 分岐に戻り、室尾山山頂をめざした。
 単調な急坂が続いた。相変わらず、暗くて湿った道。それでも、標高550mを越すと、尾根の両側に自然林が広がった。イヌシデの白い幹が目についた。コシアブラの葉が陽を透かして、鮮やかな黄緑色を浮かび上がらせた。トビが樹幹を横切った。
 ようやく傾斜が緩くなり、登り詰めると室尾山の山頂に達した。

室尾山山頂

 山頂は北西に開けていた。山々は、遠くになるほど白く青くなって幾重にも重なっていた。スカイラインは、三川山・蘇武岳・妙見山と続く但馬中央稜。その南に、鉢伏山や氷ノ山が連なっていた。
 山の間に、点のように但馬ドームの白が際立っていた。
 山の上には、発達した積雲が並んでいた。イワガラミがコナラをはい登り、上で白い装飾花をつけていた。

室尾山山頂からの景色
遠くに但馬中央稜(左から妙見山・蘇武岳・三川山)

 山頂を後にして、東へ続く切り開きを進んだ。台形の上底にあたる室尾山の山頂部。下から見上げた山形どおり、長く平坦な道だった。クリの花穂がたくさん落ちていた。クロツグミが大きな声でさえずった。

 山頂部東端のコブから、切り開きのようなものが南への尾根を下っていた。滑り落ちるようにしてその尾根を下った。
 473mピーク手前のコル(450m)がら右への斜面を下った。樹間を下ると、標高380mで小さな谷に下り着いた。そこから、その谷の流れの脇を歩きやすいところを探して下った。標高300mあたりまで下ると、沢の右に道らしきものが現れた。
 標高250mで谷が合流し、そこから左岸に広い道が現れた。堰堤を巻き下ると、野村集落の上に広がる心諒尼農村公園に下りついた。

 不思議なことに、山頂からは1匹のヒルも見かけなかった。下山後に見上げた室尾山は、青空をバックに午後の斜光を受けてのどかに立っていた。

とうもろこし畑の上に室尾山(林垣)
山行日:2012年7月9日

法宝寺〜八幡神社〜法宝寺跡〜送電線鉄塔〜男山〜室尾山山頂〜山頂部東端〜473mピーク手前コル(450m)〜心諒尼農村公園〜野村〜法宝寺
 法宝寺下の登山口から法宝寺跡まで、古い参詣道が残されている。法宝寺跡からいったん西へ向かい室尾山荘を経由する道もあるが、そのまま北に向かって東西尾根に合流した。東西尾根を東へ登って室尾山山頂へ。
 山頂から山頂部東端のこぶまでは切り開きがあった。そこから南南東に尾根を下り、473mピーク手前のコルから南へ向かい野村川に沿って野村集落に下りた。

山頂の岩石 古第三紀 矢田川層群出石累層 デイサイト質溶結凝灰岩
 矢田川層群出石累層は、豊岡市出石町から朝来市和田山町にわたって分布し、主に流紋岩質火砕岩〜デイサイト質火砕岩から成っている。
 室尾山山頂部で見られた岩石は、デイサイト質溶結凝灰岩であった。結晶片として、石英・長石・黒雲母・普通角閃石を含んでいる。長さ最大10mmのレンズ状に伸ばされた軽石が見られる。また、異質岩片としてホルンフェルス化した黒色頁岩(最大10mm)を含んでいる。
 下山時に観察した野村川沿いの標高330m地点では、流紋岩質溶結凝灰岩が見られた。山頂部の岩石より石英の結晶片が大きく(最大5mm)、量が多い。
 また、法宝寺から送電線鉄塔の間には、細粒の石英閃緑岩が分布していた。石英・斜長石・黒雲母・普通角閃石を主な構成鉱物としている。

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