三 尾 山    (586m)              春日町  25000図=「宮田」
連なる2億年前の海洋底
 
 篠山盆地の北方、丹波山地の西部に位置する多紀連山。東から西へ、櫃ヶ嶽(ひつがだけ)、雨石山、八ヶ尾山、小金ヶ嶽、三嶽、西ヶ嶽、三尾山、さらに国領川を経て向山、氷上盆地を越えて安全山まで、急峻な山並みが東西40kmにわたって屏風のように延々と続く。これらの山頂をつなぐ稜線には、チャートと呼ばれる岩石が細長く連続して分布している。
 チャートは、大洋底で放散虫という小さなプランクトンの遺骸などがゆっくりと降り積もってできた岩石。多紀連山のチャートは、古生代ペルム紀から中生代三畳紀(およそ2億〜3億年ほど前)に太平洋の底でできたとされている。それが太平洋のプレートにのって、何千万年もの歳月をかけて移動し、陸に押しつけられて隆起した。
 チャートは火打ち石にもされる岩石で、ハンマーでたたくと火花が出る。大変に硬い岩石で、そのため風化や浸食に強く、この部分が削り残されて多紀連山の主尾根を形成しているのである。地質図を見ると、地形と地質が見事に一致していることが分かる。

三尾山東峰(切り立つ岩石はチャート)
 山々が少しずつ色づき始めた秋の一日、多紀連山の一角を占める三尾山に向かった。初めて見る三尾山は、その名が示すとおり西峰、東峰、本峰の三つの頂を持ち、独特な山容が印象的であった。山頂の標高は586m(本峰)と低いが、麓からこの山を見上げると、急な斜面に切り立つ岩壁が目立ち、標高以上の高さと険しさを感じた。
 春日町中山の登山口から沢沿いの路を歩き、東峰と西峰の間のコルに出た。東峰に登った後、西峰から本峰をめざす。三尾山本峰山頂は、「三尾城址」の石碑が建つ明るい広場であった。頂上直前には数段の平坦地があり、かつてここに城があったことを物語っていた。さえぎるものがない山頂からの眺望は、四方に開けている。南には、夏栗山と黒頭峰の間の窓から、並び立つ松尾山と白髪岳のシルエットが見える。西から北へ、笠形山、千ヶ峰、その手前の篠ヶ峰、さらに……。北東には、まだ知らぬ京都丹波の山々。そして竹田川の南には、ここにつながる多紀連山の山稜が東へ連なっている。広場にあぐらをかいて、昼食のおにぎりを食べた。年輩の夫婦が登ってこられて、あれやこれやと話しながらあたりの山々を眺めている。また、もう一組登ってこられた。蝶が、のどかに飛んでいる。今からおよそ2億年前、太平洋の海の底で放散虫の遺骸がゆっくりゆっくり降り積もってできたこの山稜に、艶やかな巻雲や巻層雲が広がる秋の空から穏やかな光が降り注いでいた。
山行日:2000年10月7日
山 歩 き の 記 録 (ルート)

行き:春日町中山の舞鶴自動車道高架下駐車場〜砂防堰堤下登山口〜二つの休憩所〜590m+コル〜東峰(530m+)〜590m+コル〜西峰(560m+)〜三尾山本峰(586m)
帰り:三尾山本峰〜覗岩(520m+)〜鏡峠手前〜破線路を北へ〜中山集落〜舞鶴自動車道高架下駐車場
東尾根より三尾山を望む(左から本峰、西峰、東峰)
 舞鶴自動車道を春日ICで降り、県道69号線を東へ走る。春日町中山の神姫バス「三尾山登山口」で右折して、集落を抜け、舞鶴自動車道の高架下に車を止める。三尾山東峰の切り立った岩壁が目の前に迫っている。地形図の破線路に沿って、沢沿いの広い道を登っていく。100mごとに白い標柱が立ち、頂上までの距離を教えてくれる。砂防堰堤下に広い駐車スペースがあり、ここから細い登山路となる。スギ・ヒノキの林を登っていくと、やがて沢にかかった小さな橋が現れる。この橋を通り、沢の右に出ると、古い休憩所がある。休憩所の裏は、高さ30m程度のチャートの崖。表面に、細かい石英の結晶が多くついていた。ここから、山頂まで1kmである。
 チャートの岩塊が階段状になった小径を上っていくと、すぐに二つ目の休憩所。壁に落書きが多く、見苦しい。層状チャートより成る大きな岩に掘られた祠に立つ地蔵さんを左手に見て上っていくと、二股(標高300m)に達する。右の沢をコルをめざして上っていくが、ここから自然林となった。「丹波自然友の会」による標札が、ところどころに掛かっているのが嬉しい。まだ青い小さな実を付けたヒサカキ、光沢のある全縁の葉をもつソヨゴ、紅葉が始まった鹿子模様の幹のリョウブ、それにアベマキ、ヤブツバキ、コナラ、ネジキ、ナツハゼ、ヒカゲツツジ、モチツツジ、ベニドウダンツツジ、細長い葉のヤダケ等々……。コルまでは短い上りだが、木を見ていると時間はどんどん過ぎていった。
 コルには、「東峰120m、三尾山頂(本峰)300m」と書かれた案内板が立っている。まず東峰へ向かう。東峰山頂は北に眺望が開けていた。眼下に舞鶴自動車道が通り、絶えずゴーゴーという車の走る音が聞こえてくる。二羽のカケスが、羽の鮮やかな青を見せて飛び立ち、止まった木の枝でギャーと短く鳴いた。
リョウブの紅葉
 元のコルに戻り、本峰に向かう。道は西峰を巻いて本峰に続いているが、途中、西峰山頂に向かう小径が斜面を登っている。西峰は小さな二コブとなっていて、初めのコブは見晴らしもよく、丸く突き出た東峰を下に見下ろすことができる。二つ目のコブは、一つ目より高く、こちらが西峰の山頂である。この西峰山頂はヤブの中にあり、文字の消えた小さな木のプレートが掛かっているのみであった。いったん下って、上り返すと三尾山本峰山頂の広場に出た。。
 帰りは、春日町と篠山市の境界尾根を東へ鏡峠をめざした。ずっとチャートから成るやせ尾根が続く。道ははっきりしているが、あまり使われていないようで張り出した木の枝を払いながら進んでいった。地形図533mピークの一つ手前のピークに、大きなチャートの岩体が現れた。兵庫登山会による「覗岩 標高520m」のプレートが掛かるこの岩に乗ってみた。表面の白いこの大きなチャートの岩体には、複雑に割れ目が入り、その一部が北の谷底の上に突き出ている。その先端部には、恐くて乗れなかった。
 鏡峠の直ぐ手前の小さなコルを鏡峠と勘違いして、北へ降りた。当然、道はない。雑木林の疎林の斜面を転げるように下り、いよいよ進退きわまったと思ったとき、目の前に鏡峠からの道が見えた。胸をなで下ろして、この道(地形図破線路)を北へ下っていった。大きな堰堤横に、「長寿の泉」と看板の立つ水場がある。この水をおみやげに、高架下の車まで帰った。
 
   ■山頂の岩石■ 古生代ペルム紀〜中生代三畳紀  丹波層群 チャート

覗岩のチャート(手前)
 三尾山の山体の、ほとんどがチャートから成っている。始めの休憩所の裏の崖に露出するチャートは、塊状で縞模様(層理)ははっきりしない。しかし、層理のはっきりした層状チャートも多い。色は灰色が多く、白やオレンジが混じる。東峰・西峰間のコルから東峰までは、灰色をした頁岩が分布しているが、東峰山頂は層状チャートであった。この東峰山頂のチャートは、色は灰色から白が主で赤が混じり、灰色をした頁岩の薄層を挟んでいる。
 三尾山本峰の山頂広場にも、地面の一部に層状チャートが露出している。
 覗岩は、白いチャートの岩体である。表面は白いが、割ってみると内部は灰色〜褐色の部分が多い。塊状で、不規則な割れ目が多く入っている。

TOP PAGEに戻る登山記録に戻る