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三草山(423.9m) 加東市 25000図=「比延」 明るく広い山頂での思い出
源平の古戦場、その後の赤松氏と山名氏との争いなど、歴戦の史に彩られた三草山。晩秋の一日、娘と二人で三草山を訪れた。
畑の集落から北に舗装路を進み、口池の登山口へ。ここは、立派な案内板が立ち駐車場も整っていた。 三草山神社の鳥居をくぐって登山道に入った。いきなりの急な坂であるが、コンクリート製の丸太階段がつけられている。 その後も急な箇所には丸太階段があり、地形図の破線路通りに遊歩道が山頂へ向かっていた。 大きく曲がって進路を南に変え、緩い起伏になったところが中間地点。ここはベンチが設置され、展望所となっていた。 南西の展望が開け、手前に素通りしてきた東城湖ランドのジェットコースターの黄色い骨組みが目立つ。 360mピークを過ぎると目の前に城山特有の平らな山頂がやや右上がりの傾斜でそびえていた。山は、マツやウバメガシの緑、コナラやミズナラの黄、ツツジのオレンジ色とまだらに色が入り交じっている。色づき始めたコシアブラの葉が、青空をバックに陽を透かしていた。
コルに降りてその先を急登すると頂上台地の南肩に達した。ここで、鹿野コースと合流する。北へ緩い坂を進んでいくと、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきた。三草山の山頂であった。
帰りは、鹿野コースを下った。 分岐から鹿野コースに入ると、次のコルまでは急な下りだった。トレッキングポールで体を支えながらゆっくりと降りる。 このコースは、いくつもの小ピークを越え何回もアップダウンを繰り返す。下山後、地形図で確認すると、8つのピークを越えていた。
ふもとに下ってからも、朝光寺まで長い長い車道歩きだった。疲れが目立ち始めた娘を励まし励まし手を取って歩いた。 山行日:1999年11月27日
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| 行き(畑コース):朝光寺〜畑〜口池登山口〜5合目展望所〜鹿野コース分岐〜三草山山頂 帰り(鹿野コース):三草山山頂〜376mピーク〜304.4mピーク〜233mピーク〜鹿野コース登山口〜鹿野川に沿った道を歩いて朝光寺へ |
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| 三草山の山頂までは、地形図に破線で描かれた通りに畑コース(1.4km)・鹿野コース(3.3km)・三草コース(2.5km)の3つの遊歩道が整備されている。 朝光寺を起点とし、行きは畑コース、帰りは鹿野コースと回遊した。 行きの畑コース1時間10分、頂上で1時間、帰りの鹿野コース1時間50分、アプローチも全部含めて5時間30分の娘と二人の山歩きであった。 |
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| 山頂の岩石 後期白亜紀 鴨川層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩 |
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| 三草山の山体全体が後期白亜紀の鴨川層から成っている。全体的に風化が進んでいて、新鮮な部分は少ない。 登山道を歩いていると、硬い岩石の部分、やや風化して粘土鉱物が多くなり暗赤褐色や褐色になった軟らかい岩石、完全に土壌化した赤土や黄土色の土と風化の進行程度がよく分かる。 頂上付近にはかなり新鮮な岩体がところどころに露出している。結晶片は少なく、粘土鉱物に変質した斜長石や角閃石、それに少量の石英が含まれている。厚さ1mm、長さ1cm程度の薄いレンズが含まれていて溶結凝灰岩であることが分かる。 |
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