三重山(203m)・川向山(286.9m)・高雄山(182m) 
 赤穂市   25000図=「相生」


千種川左岸の三山、初冬を歩く

三重山(中央が三重山頂上)

 播磨灘に向かって南下する千種川は、赤穂市の有年橋をくぐったところで山脚にぶつかり、大きく西へ蛇行する。その流れは、高雄橋の手前で再び山にぶつかって今度は東へ曲がっている。
 この間、陸地が千種川に向かって突き出たところに連なる山々を歩いてみた。

 JR有年駅から国道を渡ると、西に三つのピークが見える。この姿が三重山(みかさやま)の名前の由来となった。この中で、展望台をのせているのが三重山の最高点で、ここには鴾ヶ堂城があった。

 有年横尾の山王神社を7,80m南に進むと、右手にコンクリート道が分かれていて、「鴾ヶ堂城跡0.8km」の標識が木に掛かっていた。浅い谷を西へ向かうこの道を登った。
 コンクリート道を終点まで登り切ると、そこから左手の斜面を山道が上っていた。この山道を登っていくと、車道に出た。道標に従って、再び山道に入った。
 広いその山道は、等高線に沿うように西に向かっていたが、途中に「鴾ヶ堂城跡0.3km」の標識があった。そこから細い道が、まっすぐ稜線に向かって上っていた。コナラやアベマキの落葉を踏んで、朽ちかけた丸太階段を急登すると尾根の広い道に出た。 

稜線へ

 この尾根道を北へゆるく登ると、三層の大展望台が建っていた。三重山の山頂である。城跡を意識して建てられたのか、本物の砦のような立派な展望台。展望台に登ると、あたりをぐるりと見渡すことができた。
 北に電波塔をのせた宝台山。西に、谷を隔てて荒山が大きい。そのあいだ、遠くに的場山や大蔵山が見える。南には、川向山が逆光に色を失って2つのピークをのせていた。
 三重山の山頂には、鴾ヶ堂城(つきがどうじょう)があった。展望台下の標柱に、「赤松氏の太田(小田)弾正が居城したといわれているが、赤松関係資料には記されておらず、謎が多い。」とあった。
 穏やかな気持ちの良い天気だった。山際こそ少しかすんでいるが、上空には澄んだ青空が広がっていた。そんな空を巻雲が西から東へゆっくりと動いていった。

三重山山頂 三重山山頂より望む宝台山と巻雲

 もう正午が近く、お腹も減ったがぐっと我慢。今日はここからまだ長い。
 ゆるくアップダウンする尾根道を南へ進むと、験行寺に出た。本堂の前は広い境内。後はコジイやスダジイの森。このあたりは、兵庫県の自然環境保全地域に指定されている。
 境内の脇でヤブツバキが花を咲かせ、その下にマンリョウガ赤い実をつけていた。

神護寺とシイの森

 験行寺から、平坦で広い道がしばらく続いた。上りにさしかかったところで道は細くなった。丸太階段を登ると、落葉が帽子にコツンと当たった。
 ソヨゴが赤くて小さな実をつけている。頭上ではヒヨドリがにぎやかに鳴いていた。230mピークの東屋で少し休憩。
 木漏れ日の道を歩いた。落葉を踏む音が乾いている。正面に、めざす川向山。その上の青空には、巻積雲が浮かんでいた。
 道は下りになって、雑木のトンネルに。ヒサカキ、ソヨゴ、シキミ、アカマツ、イヌツゲ、ヤマモモ、ヤブツバキ、どれも青々とした葉をつけている。
 180mコルの前で、道は2つに分かれた。一方は、川向山をめざす道。もう一方は、川向山の東を巻く道である。
 川向山への道は、踏み跡程度のかすかな道だった。あたりは、コナラ、アカマツ林。地面のコシダを分けて進む。
 240mピークを越えた220mコルからは、背丈ほどのウラジロガ繁茂して道を隠していた。
 ウラジロの葉から首だけを出して、うずもれた踏み跡を探りながら登った。急坂に足がすべる。サルトビイバラがまとわりつく。両手でシダを握り、体を一歩ずつ引き上げる。今日の楽しいハイライトだった。

登路より川向山を望む シダのジャングル

 ウラジロジャングルの急坂を登り切ると、山頂手前の270mピーク。ここからは、背の低いコシダに変わって歩きやすくなった。
 川向山の山頂は、ヤマモモとアカマツに囲まれ、三角点(286.2m)の横にベンチが備えられていた。見晴らしのよいところから、今日初めて海が見えた。
 海は坂越湾から広がる播磨灘。その向こうに、家島本島、黒島、坊勢島、西島と家島の島々がかすんで浮かんでいる。海は、手前の低山と向こうの島々に囲まれ、丸い湖のように見えた。海面は横縞模様に光り、その真ん中に一艘のタンカーがポカリと浮かんでいた。

川向山山頂から播磨灘を望む

 川向山から東の尾根沿いに踏み跡が下っていたが、その踏み跡は送電線の鉄塔下で消えてしまった。しばらく迷ったが、鉄塔の20mほど下で、遊歩道を見つけた。
 道標や東屋を見ながら南へ進んだ。はっきりした道が尾根の東側をゆるやかに巻き下っていた。谷を隔てて、神護寺跡をのせた台地が見える。谷の奥部を越えると、道はゆるく上り下りを繰り返して、その台地に近づいていった。

神護寺跡をのせた台地

 いつの間にか、空にうす雲が出ていた。風も少し冷たくなった。
 突然現れた車道をかすめて、ヒノキ林を急登すると何段かの平坦面があって、その一番下が広場となっていた。ここが神護寺跡であった。
 神護寺跡から東へ、高雄山をめざした。タカノツメの黄色の落葉を踏んで山道に入ると、太子堂がブリキで囲まれてかろうして立ってた。その隣の山王権現の社も半ば壊れている。大石良雄寄進(1687)の石灯篭がその前に立っていた。1687年というと、大石がりくと結婚した翌年。その後の運命はまだ知る由もなかった平穏な日々の頃である。
 その先の薄暗いヒノキ林をつづらに登ると、高雄山山頂の東屋に達した。南に尼子山の整った山形が近く、その前を山陽道が走っていた。山陽道の下をくぐって大きく曲がって流れる千種川は、うす緑色の水をたたえていた。 

高雄山山頂 高雄山から尼子山を望む

 山王権現に戻り、石段を下ると荒れた広場があって、そこから広い道がゆるく南に下っていた。その道は、次のコルで、表参道と裏参道に分かれていた。その2つの道の間に、細い道が南へ上っていた。この道を登ると、この山塊の南端、179.4mの三角点のあるピークに達した。
 ここにも、東屋が木々に埋もれるように建っていた。眼下に流れる千種川の上を、ときどき新幹線の白い車体が走り抜けた。
 午後3時。いつの間にか、空全体を高層雲がおおっていた。モチツツジが、季節外れの花を2,3輪咲かせていた。

179.4mピークのモチツツジ
 
 
山行日:2015年12月20日


有年横尾登山口〜三重山(鴾ヶ堂城跡)〜験行寺〜川向山(286.9m)〜神護寺跡〜高雄山(182m)〜179.4mピーク〜裏参道〜周世登山口
 周世八幡神社に自転車をデポし、有年横尾登山口から山に入った。三重山、験行寺、高雄山と結ぶ今回歩いたコースは、「赤穂ふれあいの森」として遊歩道がつけられ、要所に道標や東屋、ベンチなどが備えられている。
 道は全体としてよく整備されていたが、川向山山頂をめざす道に入るには、ちょっとした覚悟が必要である。
 高雄山と179.4mピークの間のコルからは、西へ表参道、東へ裏参道が下っている。今回は、裏参道から周世の集落へ下った。

山頂の岩石 白亜紀後期 赤穂層
  ■三重山 流紋岩
  ■川向山 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
  ■179.4mピーク 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
 この山域には、白亜紀後期の赤穂層が分布している。
 三重山の山頂は、流紋岩。石英と長石の斑晶を含み、石基はガラス質で硬い。ハンマーでたたくと、不規則に割れる。
 川向山の山頂は、流紋岩質の溶結した火山礫凝灰岩。ガラス質で、石英、長石、黒雲母(少量)の結晶片を含んでいる。強く溶結し、大変硬い。表面は風化のため白っぽくなっているが、内部は淡灰色である。
 179.4mピークは、川向山と同じ火山礫凝灰岩。結晶片は、石英と長石。石英は融食が認められる。溶結構造が顕著で、褐色または灰色の引き伸ばされたレンズが観察された。

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