御 祓 山 (773.1m) 養父市 25000図=「大屋市場」「関宮」
「糸原のみづめ桜」と「樽見の大桜」を結んで歩く
 |
| 石ケ堂ノゾキ岩より望む御祓山(2003.9.27) |
養父市の御祓山は、大屋川・明延川と建屋川に挟まれた山域に位置している。建屋川対岸の山麓に「石ケ堂」があるが、そこに立ち並ぶ岩塔に立つと、左右に大きく裾を引く御祓山の雄姿を見ることができる。
この御祓山の南の中腹に「糸原のみづめ桜」、北の山麓に「樽見の大桜」がある。『山であそぼっ』の島田さんは、これらの2本の桜をマウンテンバイクで結んだ「御祓山桜縦走」を報告している。私も、この花の季節にほぼ同じコースを辿ってみた。
「糸原のみづめ桜」へは、糸原から登山道が整備されている。初めは、坂尻川にそって歩く。谷底の道には、スギ・ヒノキの枝葉を透かした陽が注ぎ、朝の森のにおいが漂っていた。
二つ目の小橋を渡ったところに、南ルートとの分岐があり、そこにはあずま屋が建っていた。北ルートで、小さな尾根を東へみづめ桜を目ざすことにした。
尾根にとりかかると、すぐにコバノミツバツツジの群落の中に入った。自生なのかもしれないが、他の種類の木がほとんど切り倒され、新しくつけられた道によって地肌がむき出しになっている。「つつじ回廊」と銘打っての整備がなされ、確かにピンク一色に染まった景色は壮観である。しかし、雑木に混じるツツジ、それらを縫ったかすかな踏み跡の方がずっと好ましいと私には思われた。
残されたモミの木の下で休み、再び上る。コナラの幹には、シカが木の皮をむしりとって食べた跡が残されていた。512mピークは小さな展望所。南に、須留ケ峰と大杉山の大きな山体が迫っている。この先で、尾根は形を失い、浅い谷に沿った斜面を上っていった。
ふと見上げると、斜面の前方に大木が立っていた。樹齢約600年、エドヒガンの巨木「糸原のみづめ桜」である。コケに覆われた主幹は、斜面の角度とバランスをとるように斜めに立っている。四方に分かれた幹からは、細い枝が横に張り出し、さらにその先はしなやかに垂れ下がっている。それは優婉ともいえる姿で、私はとっさに夢二の描いた女性の姿を連想した。満開の花を下から双眼鏡で眺めてみた。わずかにピンクがかったその花は、小振りで可憐だった。
 |
 |
| 糸原のみづめ桜を下から見る |
糸原のみづめ桜 |
桜を後にして200m程南に辿ると、「みづめ桜周回コース」が御祓山南尾根と接する地点がある。ここから、踏み跡が南尾根を山頂へ向かっていた。
しばらく急な上りと緩やかな上りが交互に現れた。地面には、アカマツ・コナラ・アベマキ等の落ち葉が積もり、落葉樹に混じるアセビの緑が鮮やかだった。このあたりのコバノミツバツツジはまだほころびはじめたばかりで、冬芽の殻をつぼみの先端につけているものもあった。
やがて、山頂への最後の急登が始まった。コースも角度も全くの一直線。急斜面で息をはずませながらの岩石の観察は、かなり苦しかった。こんな坂は、一度立ち止まると次の一歩がなかなか出ない。
御祓山の山頂には、まだ新しい白い標柱が立っていた。展望は大きく開け、東に粟鹿山から千ケ峰までの稜線が白いもやの上に淡く青黒く浮かんでいた。雪を残す氷ノ山をバックに、天滝が白く筋を引いていた。
山頂を北へ下った。真北へ続く尾根をそのまま下りた谷の破線路を歩く予定であった。初めは快適な伐り開きがあったが、しばらく進むと広い作業路と交わった。そのあたりから尾根の伐り開きが消えたこともあって、この作業路を進むことにした。分岐や合流を繰り返しながら尾根や谷を強引に縫って下るその作業路を進むと、広い牧草地に出た。
牧草地を西から東へ横切ると、「おおや花霞の森」の案内板が立ち、そこから遊歩道が山すその林の中へ続いていた。
樹齢約400年、神の宿木と呼ばれてきた「口大屋の大アベマキ」は、蛇行する大屋川とふもとの村を見下ろす山の斜面に立っていた。主幹の下に大きな洞が開いている。その上から空に向かって、力強く枝を張り広げていた。
 |
 |
| 牧草地 |
口大屋の大アベマキ |
アベマキから雑木林の斜面を北へ下った。林を抜けると、眼下に爛漫と咲く大桜とその名声に集まった人の群れが見えた。仙桜とも呼ばれ、神の木として崇められてきた「樽見の大桜」は、くわ畑の石垣の残る伐採地に単独で立っていた。1000年の風雪に耐え抜いたこぶだらけの幹から樹冠を広げ、鉄パイプで支えられながらも、枝にはこぼれ落ちんばかりに花をつけている。花の色は、みづめ桜よりもまだ淡く、若葉の瑞々しい緑と美しいコントラストをつくっていた。
樽見の大桜
 |
山行日:2004年4月10日