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的形ふるさと里山回廊〜高坪山 坂の山(110.7m)・大日山(107.4m)・青の山(90m)・丸山(81m)・高坪山(105.9m) 姫路市 25000図=「姫路南部」 的形の低山を巡って播磨灘へ
播磨灘に面した的形の町は、その北を低い山でぐるりと囲まれている。ここに、標高100m前後の小さなピークを結んで「的形ふるさと里山回廊」が整備された。
大鳥分岐を過ぎると、再び竹林に。ここにもシュロが入りこんでいる。林床にマンリョウが実をつけていた。 竹林の先は急坂になり、道には丸太階段がつけられていた。木の丸太は、適度に古くなって、周囲の景色に溶けこんでいた。 たくさんの木に、木製の名札が付けられていた。エノキ、アキニレ、ナワシログミ・・・。ここまでも、いろいろな木の名前を知ることができた。マルバアオダモには、トサトネリコという別名が付けられていた。 名札は、木の名前を知りたいときに役に立つが、木にくくりつけているひも(麻ひも)がどれもパンパンに張っていた。これから木がさらに成長したとき、ひもが切れてくれればいいのだが、木肌を痛めたり、幹にくい込んだりしないだろうか。名札を見るたびに気になった。
急坂を登ったところに、小さな道が分岐していた。その小道をたどると、展望の開けたところに出た。東に、高御位山から桶居山の山並みが、陽を浴びて浮かんでいる。北には、南山、小富士、仁寿山が近かった。
2 大日山へ
やがて前方に、緑の屋根の四角い東屋が見えた。そこが、大日山の山頂だった。
3 青の山・丸山へ
青の山を少し下ると送電線の鉄塔。さらに、急な坂を下るとコルに達した。そこは、土塁のようにまわりより高くなっていて、コケでフワフワしていた。
山頂から、4、5段の平坦面を下ると、竹藪が行く手をはばんだ。道が見つからなかっので、竹藪の中を下り、さらに灌木をこぐと、登山道に跳び出した。そこには、ノジギクの葉が広がっていた。
高坪山を南へ下る。一瞬海が見えたが、そこから深い竹林に入っていった。平坦面が何段も重なっている。
さらに進むと、福圓寺に下りついた。境内を歩いていると、ルリビタキが目の前に現れた。背中の青、腹のオレンジの鮮やかなオスのルリビタキだった。
福泊の道を歩き海岸に出ると、切り立った岩肌の小赤壁が見えた。防潮堤の下を歩くと、ゴールの八家地蔵に達した。
山行日:2015年1月18日
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| 坂の山登山口〜坂の山〜大日山〜青の山〜丸山〜青の山南登山口〜高坪山〜八家地蔵 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 八家地蔵に自転車を止め、車を坂の山南麓の登山口に移動。そこから、「的形ふるさと里山回廊」に沿って歩いた。 回廊は、丸山には上っていなかったので、その部分だけはコースを離れた。丸山への上りは、切り開きがあったが、下りは藪をこいだ。 250号線を横切ると、高坪山北登山口があった。そこから、高坪山を南へ越して福圓寺に下った。海辺の道を歩いて、八家地蔵へ。 |
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| 山頂の岩石 後期白亜紀 宝殿層 流紋岩・流紋岩質溶結火山礫凝灰岩 |
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坂の山には、流紋岩溶岩が出ている。流理構造は山頂の東の岩盤で明瞭で、風化面にも細い縞模様が表れている。この流紋岩には、径1cm程度のメノウ化した球顆が観察された。 山頂の流紋岩は不規則な割れ目が入って、自破砕構造や球顆のために表面がごつごつしている。 大日山山頂近くの露頭は、溶結火山礫凝灰岩である。石英・長石・黒雲母の結晶片を含んでいるが、長石と黒雲母は完全に変質している。火山礫は白色〜緑色の流紋岩が多く、黒色頁岩を異質岩片として含んでいる。 青の山の山頂は、流紋岩溶岩である。流理に沿って、割れ目が平行に走っている。斑晶は、石英・長石・黒雲母。石基は、新鮮な部分では帯緑褐色で緻密である。不均質な岩体で、一部は、溶結火山礫凝灰岩に見える。 高坪山山頂北の大きな岩盤は、強く溶結した火山礫凝灰岩である。軽石のレンズが細く長く伸ばされ(長さ100mm、厚さ2mm程度)、再流動したように見えるところもある。石英・長石・黒雲母の結晶片を含み、褐色〜灰色の基質は緻密で硬い。 |
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