乗越から信仰の山、黒尾山へ
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| 黒尾山(一宮町三林より望む) |
黒尾山山頂より北を眺める |
山頂を後にして、シキミの香の匂う中央稜を下った。狭いながらも、明瞭な伐り開きが真っ直ぐ下へ続いている。小さくてあられのように丸い雪が、ぱらぱらと降ってきた。
雪の深さは、30cmほど。時々、スノーシューの金属が、雪の下の岩を引っかける。落ちた木の枝や枯れたササの茎が、スノーシューに引っかかる。電柱を撤去した跡の丸い中空の金属が、埋もれたまま地表に口を開けている。雪がもっと深ければと思いながら、つまづき落ちるようにして、標高差500mの急斜面を下りていった。
中央稜から谷に下り、谷沿いの林道を下った。行きよりも長く感じる帰りの道を歩き終えて、車の横で登山靴をほどいていた。すると、先ほどからこちらを見ていたおばあさんが寄って来た。「たいへんやったなあ。ひっさ、きてないなあと心配しよった。」と、話しかけてくる。もう一人、近くの家から女の人が出てきた。冬は雪が積もって大変だから、春になったらまた来たらいいと、何回も誘われた。
山のふもとの小さな村の暖かい土地柄に触れて、ほのぼのとした気持ちで家路についた。
1000mを越す山としては、兵庫県で最南端に位置する黒尾山。山の要所に、不動明王、虚空蔵菩薩、行者像が祀られる古くからの信仰の山である。『播磨鑑』には、「山の高さ麓より五十丁 山の形富士山に似たり」とある。土地の人は、「くろうさん」と、「ろ」にアクセントを置いて、この山を呼んでいる。
その朝、ふもとからこの黒尾山を見上げた。山からの水を集めた流れによって開かれた谷の奥に、黒尾山は雪をまとって高くそびえていた。
不動滝
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乗取の集落のはずれに車を止め、谷の林道を上っていった。登山者記帳所のある二股から、不動滝へのコースをとった。道は狭くなり、長く続いていたスギ林から自然林に変わった。
雪を載せた谷底の岩塊の上方に、「不動滝」が見えた。黒く光る岩盤の中央を水が薄く広がって滑り落ちている。流れの左右には、氷柱(つらら)が並んで垂れ下がっている。水の飛沫がその氷柱にかかり、氷柱はさらに大きく伸びようとしている。滝の下には、不動明王の古い石仏が祀られ、手折られた新しいシキミの枝が供えられていた。
日が射したかと思うと、また暗くなって雪がちらつくといった天気であったが、ちょうどこのとき射しこんだ光が滝の上部を照らし、水の流れや氷柱をまばゆく輝かせた。
滝の左を巻き上がり、しばらくその沢を遡った。やがて、道は左へ折れて斜面をトラバース気味に南へ向かった。西には、揖保川を隔てて暁晴山が大きく対峙している。道の両側にはササが増え、雪の上には幾頭かの鹿の足跡が続いている。鹿の足跡がつくるシングル・トラックは、スノーシューには少々狭すぎた。やがて、急な斜面を上って、中央稜に出た。
虚空蔵尊
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そこから中央稜を少し上ると、大きな岩が特異な形で重なっていた。突き出した岩のひさしの下には祠があって、その中には虚空蔵菩薩が安置されていた。しばらくここで休んだ。いつの間にか、あたりにブナやイヌシデやモミが混じるようになっていた。
虚空蔵菩薩から山頂をめざした、途中の道標にしたがって行者尊へ立ち寄ることにした。中央稜を離れて、山頂直下の斜面を横に進むと、目の前に褐色の大きな岩壁が広がった。屏風のように垂直に立つ岩壁の下には、太い氷の柱が幾本か落ちていた。上を見上げると、長さ5,6mのツララが何本も下に向かって尖っていた。その岩壁の下ほどのくぼんだ所に、古色に満ちた行者像が立ち、ここにも新しいシキミが供えられていた。
行者尊から、ほとんど真っ直ぐに急登すると、黒尾山の山頂に達した。
山頂は、北風が強かった。空全体に雲が厚く垂れ込めているが、南の視程はすぐれていた。重なる山並みのずっと向こうに、瀬戸内海に浮かぶ男鹿島の姿が見えた。
北の空は暗かったが、ところどころに雲の隙間もあった。その雲の隙間から射しこんだ光が、雲の下の湿った空気をレースのカーテンのように銀白に輝かせていた。揺れ動く雲のカーテンの間から、阿舎利山、一山、東山と、近くの山が順に姿を見せては、また隠れていった。
山行日:2003年2月2日
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