国 見 山(465m) 宍粟市 25000図=「安志」
変貌する国見山
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国 見 山 |
山崎断層は、兵庫県南部を北西から南東へのびる活断層である。この山崎断層は、断層破砕帯に沿って直線的にのびる谷地形「断層線谷」が発達している。この地形を山の上から見ようと、宍粟市の国見山へ出かけた。
国見山は、山崎市街地の南西に位置する標高465mの山である。
金谷の集落の端に「金谷山部古墳」の案内板があった。国見山東尾根の始まるこの地点から山に入った。
石段を上ると霊園があり、その上の古墳の左脇から、「国見の森公園遊歩道(整備中)」が尾根を上っていた。つくられて間もない道は茶色の土がむき出しになり、道の上の落葉はまばらだった。落葉に交じって、マツボックリやイガの破れたクリの実が落ちていた。
雑木を開いてつくられた道は広すぎて、日差しが体に直接あたった。尾根が急傾斜になると、道の真ん中に丸太階段が現れた。
丸太階段を一段一段上っていると、帽子に何かが当たった。上を見ると、それはソヨゴの枝先についていた小さな赤い実だった。
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新しい遊歩道 |
ソヨゴの赤い実 |
丸太階段を上り、傾斜が緩くなったところに、319.3mの三角点の標石が埋まっていた。三角点のそばに設けられていたベンチに座ってひと休みする。足元のカナブンを拾い上げ、腹の虹色が班銅鉱のようだなと見ていると手のひらからブーンと飛び去ってしまった。
三角点からしばらくは平らな道。傾斜が急になると、再び丸太階段が現れた。傾斜がさらに急になると、道はつづらになった。山頂手前で南西へ回り込み、もう一方向からの道と合流してひと上りすると山頂に達した。
山頂には、巨大な二階建ての展望台がほとんど完成していた。ふもとや近くの山から国見山山頂に楼閣のように見えていたのはこれだったのだ。
山頂からは、東方向が一望できた。眼下に山崎の街が広がり、街の向こうを揖保川が蛇行して流れている。
山崎断層は正しくは「山崎断層系」と呼ばれ、7つの活断層からなるが、この国見山のすぐ北から安富断層と暮坂峠断層の2本の断層が東へのびている。あたりはややかすみがかかって写真を撮るにはもう一歩適していなかったが、中国自動車道の走る安富断層の断層線谷が明瞭にとらえることができた。また、暮坂峠断層による断層線谷も、谷や山の鞍部を結んで直線的にのびているのが認められた。
山々もまたよく見えた。安富断層の先に、大倉山が張り出し、そこから北へ七種の山々、明神山、暁晴山、黒尾山……。播磨の山並みがぐるりと取り囲んでいた。
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山頂の展望台 |
山頂より安富断層・暮坂峠断層を見る |
国見山は、今大きく変貌しようとしている。
新しくつくられたこの山頂の展望台もそうであるが、南麓の上比地から山頂近くまでモノレールをつける工事がもうかなり進んでいるのだ。
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モノレールの工事地 |
山頂から下るのに、そのモノレールのコースである南尾根を歩いてみた。
山頂の少し先に、工事用の広い車道がふもとからのびてきていた。その道を歩いて西南西方向へ回り込むと、平坦面に削られた面に駅舎の基礎ができかかっていた。そこから、南尾根に沿って工事中のモノレールの脚が点々と直線的に下っている。尾根の途中と尾根から上比地へ下りる部分はかなりの急傾斜である。
最後は、モノレールのコースを離れて、横の作業道を下って上比地の集落のはずれへ下りた。
山崎の街を見下ろし、由来は分からないが歴史を感じる山名の国見山。この山の10年後、20年後の姿はいったいどうなっているのだろう。
モノレールは、何のためにつくられ、利用の見通しはどうなっているのか。多額の建設費を費やし、豊かな自然を犠牲にして、それに見合うだけのものはあるのだろうか。山を歩き、工事現場を見て、そう思わざるを得なかった。
山行日:2005年10月