奥山(575.0m)〜小世山(706.1m)         市川町・神崎町  25000図=「粟賀町」 

奥山から小世山へ静かな山頂を結ぶ

池の畔に佇む早朝の奥山 奥山北東尾根より小世山

 野山にウツギが白く清純な花をつける初夏の早朝、小世山に向かった。

 小世山は、笠形山から南西へ派生する尾根上に突き出た標高706mのピークである。南からは、右に頭をもたげたその姿が市川の東にくっきりと見えるのだが、背後にそびえる笠形山に目を奪われて目立たない。しかし、小畑橋あたりから眺めると、奥山と562.6mピーク(点名河内)にはさまれたV字の谷の後に堂々とそのピークをせり上げているのである。

 「東小畑の地名」(岩澤徳美氏・岩澤利行氏作成)という地図がある。その地図には、地形図からはその存在がほとんど判別できないような小さな谷にもひとつひとつその名が記されている。どの村でも昔はそうであったように、人々は山で柴を刈り、あるいは炭を焼き、山が生活の舞台であった。その頃の地名がこの地図には残されている。そして、この地図には小世山山頂部の二本の小さな谷に、「ニシコゼ(西小世)」・「ホンコゼ(本小世)」と記入されている。この山が「コゼ」と呼ばれているのは、この谷の名に由来しているのだろう。

奥山山頂
 

 東小畑川をせき止めた池の畔に立った。堰堤の上には、アザミが群れ咲いている。水面の向こうには、奥山がせり上がっている。池からこの奥山に上り、そこから小世山まで稜線を歩くという計画であった。
 垂れこめた低い雲から降りたガスが、奥山の山頂部をうすくおおっている。奥山は標高575mの山であるが、朝もやに立つその姿は深く厳しく、「本当に上れるのか」という思いがよぎった。
 池を左へ回りこんで、「東小畑の地名」にツノタニ(角谷)と記されている谷を上った。初めにあった広い作業道はすぐに途絶えた。谷を埋めるガレ石の上に降り積もったスギの落ち葉と倒木が、かつてはそこにあったと思われる杣道をほとんど消していた。傾斜はしだいに大きくなっていった。気温はそんなに高くないのに林の中ははじっとりと湿り、汗で衣服がまとわりついた。
 ずいぶん上に炭焼き跡があった。その炭焼き跡からは傾斜がさらに大きくなり、谷形も不明瞭な斜面となった。両側に自然林が迫まる中、スギの植林は細長く稜線まで続いていた。

 たどり着いた稜線を北に上ると、ほどなく奥山の山頂に達した。雑木に囲まれた山頂には、四等三角点が左右2つの保護石に守られて静かに埋まっていた。あたりには、ヤマツツジの朱色の花、モチツツジのピンクの花、ネジキの小さな白い花が、まだわずかに残っていた。ツガの木は、枝先に淡い色の瑞々しい若葉をつけていた。

 奥山から399mコルまで、踏み跡はほとんどなかった。雑木の枝葉を払いのけながら、急な傾斜の尾根を下った。ときどき、木々の間から正面に立つ小世山が見えた。斜面を下るほどに、その小世山の姿はは大きく高くなっていった。
 地形図を見ると、399mコルは両側の村を結ぶ峠であったことが分かる。その峠道も消えかかっていたが、ここから小世山山頂まではずっと小径が続いていた。小径の左はヒノキの植林、右は自然林である。大きなアカガシが、あたり一面に大量の落ち葉を降り積もらせていた。
 やがて植林も途絶えて周囲全体が自然林になると、標高差200mの急斜面が待ち構えていた。何度も、木の幹につかまって、呼吸を整えながら上った。

小世山山頂 小世山山頂にて空を仰ぐ

 小世山の山頂も雑木に囲まれていた。ソヨゴ、クリ、コシアブラ、アカマツ、アセビ、ネジキ、ツツジ……コガクウツギが三弁の真白い花をつけていた。
 雑木の中には古い切り株が残っていた。山頂が切り開かれていた頃には、ここから瀬戸内海が見えたと地元の人に聞いたことがある。雲を透かした柔らかい光が木々の葉にやさしく降り注ぎ、木漏れ日が地面をまだらに射した。風がつくる木の葉の小さなざわめきに、遥か上空を飛ぶ飛行機の音が低く重なった。
 展望の山頂もいいが、私はむしろこのような木々に囲まれた静かな山頂の方が好きである。

 通勤途上の車から、あるいは職場の窓から、いつか歩いてみたいと見ていた小世山。明日からは、また違った思いでこの山を眺めることだろう。

山行日:2003年6月7日

山 歩 き の 記 録

東小畑川最上流の池(Ca.190m)〜奥山(575.0m)〜399mコル〜小世山(706.1m)〜東小畑川源頭部〜東小畑川最上流の池(Ca.190m)

 市川の支流、小畑川は小畑小学校の北で西小畑川と東小畑川に分かれる。東小畑川に沿って進み、最上流の池の下で車を止める。池を左に回りこみ、奥山(575.0m)と437mピークの間の谷を北西に上る。はじめあった作業道はすぐに途絶えた。標高370mあたりで方向を東へ大きく変え、奥山山頂南の稜線に出た(標高約530m)。その稜線を北へ上り、奥山山頂に達した。

 奥山からは、北東へ伸びる尾根を下る。399mコルから上り返して、小世山(706.1m)に達した。

 小世山からの帰路は、山頂の南斜面を下り東小畑川の源頭部にあたる谷を下った。地形図に破線路が記されているが、途中まで道はまったくない。はじめは自然林の中を、続いてガレ石にスギの落ち葉の積もった斜面をすべり下る。標高380mあたりまで下りたところで細い道が現れた。この道はすぐに広くなり(実線路)、そのまま東小畑川沿いのこの道を下って池の下に止めた車へ戻った。

   ■山頂の岩石■ 奥山   白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩
               小世山  白亜紀後期 笠形山層 結晶質溶結火山礫凝灰岩


奥山の溶結凝灰岩(転石)
 奥山に分布しているのは、大河内層の溶結火山礫凝灰岩である。岩石片として黒色粘板岩(黒色頁岩)を多量に含み、その他チャートや基質の凝灰岩と同質と思われる流紋岩を含んでいる。また、結晶片として石英・長石・黒雲母を含み、写真のようにレンズ状に押しつぶされた軽石が一定方向に並ぶ溶結構造が観察される。全体的に変質が著しく、基質の凝灰岩は淡褐色〜淡緑色に変質し、岩石全体が白くなっている部分もある。

 一方、小世山には笠形山層の結晶質溶結火山礫凝灰岩が分布している。紫色を帯びた灰色の岩石で、含まれている岩石片は小さく、量も奥山の岩石に比べてずっと少ない。多量の石英の結晶片を含んでいるのが特徴で、石英以外にも長石や黒雲母の結晶片を含んでいる。風化面で溶結構造が明瞭な部分があり、その部分での軽石レンズの長さは普通で1〜4cm、最大15cmであった。

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