雨の氷ノ山、コシキ岩・古生沼の植物群
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| ブナとチシマザサ |
ヤチスゲ(古生沼) |
氷ノ山は、1983年に『21世紀に残したい日本の自然100選』(朝日新聞社・森林文化協会)に選ばれた。選定理由は、「日本海気候と瀬戸内気候の接点地帯・針広混交林が多い」というものである。
森林文化協会は、『100選』の選定後17年間に渡って、自然の変化を追うために全国10地点で定点観測を行った。氷ノ山は、この10地点に選ばれ、植物学者の橋本光政さんを中心に定点での植生調査が行われてきた。
選定から20年たった今年、橋本さんの呼びかけでさらに観測が続けられることになり私も参加させていただいた。この日は、橋本さんを隊長とする一行6人で、第4定点「コシキ岩」、第5定点「古生沼」へと向かった。
大屋川沿いの林道を遡り、広域基幹林道を利用して大段ケ平登山口へ。標高は、ここですでに1100mに達している。
はじめ緩かった登山道は、しだいに傾斜を増していった。ブナにいろいろな種類の木が混じっている。オオイタヤメイゲツ・コミネカエデ・ウリハダカエデなどのカエデの仲間。もう赤い実をつけているオオカメノキ。ミズキは風のせいか、新しい葉を周囲に落としていた。
ブナの古木には、地衣類や蘚苔類、あるいはつる性の植物が着生して一本一本が豊かな表情をつくり出している。しかし、今年のブナは葉になぜか虫食いが多くて、樹冠を見上げても勢いが感じられなかった。
大屋町避難小屋で一休みする。雨は依然として小降りのまま。まだしばらくは、合羽を着ないで歩くことにする。さらに20分ほど上って、神大ヒュッテへ。
神大ヒュッテを過ぎると木道が敷かれていて、その木道は千本杉の中に入っていった。黄色い花を付けているのはオトギリソウの仲間。オトギリソウの仲間の見分け方は、葉を透かして見て「腺体」という斑点を見るのだと、植物分類学を研究されている池田さんに教えてもらった。大きなカタバミが生えていた。
「こちらがヒョウノセンカタバミで、こちらがミヤマカタバミ。」
しかし、葉の違いだけでは私には区別できなかった。
初めてそれとして見るフウリンウメモドキにクロソヨゴ……。やがて、ブナも他の高木も消えて、あたり一面がチシマザサにおおわれた。そして、再び現れたアシウスギの林を抜け古生沼の傍を過ぎると、白いガスの背後に山頂避難小屋の三角屋根が現れた。
山頂周辺は、刈り払われたためにできた裸地を復元するためにロープが張ってあった。登山道にずっと続いていたオオバコがこの山頂まで上がってきていた。スギナまでもが生えていて、橋本さんがびっくりされていた。いづれも、種子や胞子が登山者によって麓からここまで上がってきた植物である。ヨツバヒヨドリが薄ピンクの花をつけていた。
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| チシマザサに埋没する |
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| コシキ沼での定点観測 |
第4定点「コシキ岩(甑岩)」は、山頂から西へ稜線をわずかに下ったところにある。今は新道が北側斜面につけられているが、かつての登山道は稜線をそのままコシキ岩へと向かっていた。この旧道の入口はチシマザサにおおわれながらもはっきりと残っていた。そこから分け入ると、踏み跡はしばらく続いたが、やがてだんだん不明瞭になり、とうとう完全に消えてしまった。小雨と深いガスの中で背を軽く越すチシマザサの海原にのみ込まれた我々は、そこから撤退するしかなかった。
山頂に戻り、今度は新道からコシキ岩を目ざした。新道が稜線と交わった地点から、コシキ岩まで下へ踏み跡が残っていた。
コシキ岩は、かつて残雪期にアイゼンで上ろうとしたことがあった。その時は、岩に張りついた氷にはばまれて上には上れなかったが、今回はそのまま岩の上に出た。
第4定点は、この岩の上部斜面にある。急な傾斜面に白いひもで観測地を囲み、その中の植生を調べた。
クロソヨゴ・ホツツジ・(サイゴク)クロヅルなどの低木が岩の間を埋めている。ホツツジは、まだピンク色の小さな花を残している。クロヅルの果実の翼は赤褐色に染まっていた。それらの低木の下には、コケモモ・マイヅルソウ・ノギランなどがひそかに葉をつけていた。
コケモモやマイヅルソウを見るのは、20年以上も前の大雪山以来かもしれない。
北方要素の強いこの草地は、このような氷期のレリックが今なお残る貴重な自然なのである。調査は、本降りになった雨の中、ときどき風にあおられながら行われた。
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| 古生沼での定点観測 |
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| モウセンゴケとマイヅルソウ |
「1日に3回も登頂を果たした。」と喜んだ山頂を後にして、第5定点「古生沼」に向かった。古生沼は、山頂から大段ケ平に向かってわずかに下ったところの緩斜面上にある。
名の由来について、安木五夫氏が「播磨の植物」(兵庫県生物学会編 1981年)におもしろい逸話を書いている。
それは、1937年の夏のことである。牧野富太郎博士が案内人の古老に「なんという沼か。」と尋ねると、その古老は「別に名前はにゃーですが、みんなはコセの沼っていっとりますだがな。」と答えた。「コセ」とは但馬の方言で斜面をさす言葉だが、それを聞いた牧野博士は「コセイ沼か。」と言って笑い、「古生」の字を連想したという話である。したがって、古生沼は斜面にある沼という意味で「コセ沼」と呼ぶべきだと安木氏は書いている。(地形図にも、「古生沼」には「こせぬま」とルビがついている。)
古生沼は、昭和の初期まで楕円形の池だったそうだが、その後湿原となった。現在も乾燥化が進んでいるため、この貴重な高地性湿原を守るために今は立ち入り禁止となっている。
定点観測のために、植物を傷つけないようにそっと足を踏み入れた。一面を覆い尽くすコケの上に薄く水が浮き、ときどき登山靴が地面にめり込む。しかし、1984年の定点観測で記録されていたいくつかの小さな池はもう残っていなかった。
アブラガヤが茶色の穂をつけ、ここが日本では分布の西限にあたるヤチスゲが褐色になった葉を伸ばしている。アブラガヤやヤチスゲを分けると、ツマトリソウの葉が地をはい、モウセンゴケが白く小さなつぼみをつけていた。
湿原の植物から目を離すと、あたりは雨と霧にけむっていた。上側斜面は、一面チシマザサにおおわれ、そのチシマザサの描く緩く丸い曲線の上に山頂避難小屋の三角屋根がかすかに見えた。下側は、アシウスギに囲まれ、その下をイヌツゲが湿原に迫っていた。
古生沼での観測が終わると雨が急に激しくなった。濁った水が川のように流れる登山道を、一行は大段ケ平へ下っていった。
山行日:2003年8月17日
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