小谷城跡(218m)   加西市    25000図=「北条」


落ち葉に埋まる赤松氏の城跡

小谷城跡(中国自動車道の近くより)

 小谷(こだに)城跡は、加西市の市街地の北、標高218mの小高い山の上にある。
 中国自動車道からすぐ近くに見えて、その平坦な山頂によって一目で城跡だとわかる。

    小谷城跡案内図(公民館前の案内板より)        小谷城跡縄張図(公民館前の案内板より)

 小谷城は、室町時代、赤松直操(なおもち)の居城であった。直操は、嘉吉の変(1441年)で将軍足利義教を殺害した満祐の弟にあたる。満祐を追って赤松氏を攻める幕府軍に対し、直操も戦ったが、真弓峠の合戦で幕府軍の山名勢に敗れ自害した。
 応仁の乱(1467〜1477)で、赤松政則(まさのり)が赤松家を再興すると、小谷城は赤松祐尚(すけひさ)によって再建された。
 その祐尚も、1542年播磨に侵攻してきた尼子氏に敗れて、討死した。

 ここ数日、この季節としては記録的に暖かい日が続いた。田んぼのあぜ道には、ホトケノザが群れて咲き、ナズナが花をつけていた。

 小谷区公民館から民家の中を進むと、祐尚によって建てられた陽松寺。二体の仁王像の間を通り、山門をくぐると、本堂の前に池と岩が配置された境内が広がっていた。
 

陽松寺

 
鐘堂の後ろから、道標に従って城跡への道に入った。寺の上には小さな池があった。池の畔には、イロハモミジが紅葉し、その奥からエナガの声が聞こえてきた。
 池の上には、家臣群の墓があった。その後ろには、一石五輪塔や蓋付五輪塔が並んでいる。尼子氏に敗れて討ち死にした武士たちを供養したものである。一段と大きな墓が、城主赤松祐尚のものであった。

 
一石五輪塔

 防獣ゲートを開いて、山に入った。道はゆるく上っていたが、少し急なところには角材で階段がつくられていた。
 木には、「くぬぎ」の名札が掛かっていたが、これはアベマキの間違い。あたりはアベマキの林だった。道は、厚く積もったアベマキの落ち葉に埋もれていた。
 落ち葉の上を動く小さな生き物がいた。落ち葉色になったアマガエル。体温が下がっているのか動きがにぶい。それでも何とか逃げようともがいていた。
 「がんばれ〜。ほんで、そろそろ冬眠するんやでぇ。」

落ち葉に埋まる登山道

 「あと200m」の標識を過ぎると、アベマキにコナラが混じりはめた。 道は、城跡の真下で、西へ回り込むように上っていた。
 道に3本のイロハモミジが並んでいた。一本は真っ赤に紅葉、一本は半分赤い、そして一本は緑だった。
 日当たりの良いところに、タツナミソウが季節外れの花をつけていた。

タツナミソウ

 低い土塁の隙間を抜けると、城跡の上に出た。城跡もまた、落ち葉に埋まっていた。
 城跡は東西に長く広がっていた。
 西から虎口跡、西小丸跡、堀切を隔てて、五の丸跡、四の丸跡、三の丸跡、二の丸跡そして本丸跡と階段状に高くなっている。
 石垣のない土の城だが、城をぐるりと取り囲む帯曲輪や土塁や堀切、それに畝状竪堀などの地形がよく残っていた。五の丸跡には、竪堀が中ほどまで入り込んでいた。

小谷城跡  竪堀が入り込んでいる五の丸跡

 山頂の本丸跡には、東屋が建っていた。
 東屋の中には、テーブルといすがあって、壁には小谷城に関する資料や縄張図が貼られていた。

小谷城跡山頂(本丸跡)

 山頂には、城跡にふさわしい展望が広がっていた。
 南を見下ろすと、加西市の市街地。
 市街地の向こうには、善防山、笠松山、藤ノ木山、畑山とつながる低い山並みが起伏を繰り返している。山並みの下には、白いもやが水平に長くたなびいていた。
 南東には明石海峡大橋、そして六甲の山並み。
 西を見ると、茶色く染まった近くの山の上に、明神山や七種の山々が、斜めからの光を浴びて浮かんでいた。

城跡より南を望む(左寄りの高い山は善防山)

 山頂を後にして、城跡を下った。
 五の丸跡と西小丸の間の堀切の近くに、大きなムクノキとエノキの木が立っていた。
 ムクノキはすっかり葉を落としていたが、エノキは褐色の葉をまだ枝に残している。ムクノキの葉とエノキの葉は似ているが、地面に落ちた葉を比べてそのちがいが初めてわかった。

城跡に立つエノキ

 堀切に架けられた木の橋を渡って、北西に伸びる尾根を進んだ。 この尾根道も、落ち葉に埋まっていた。何度か下ったり上ったりすると、やがて若井峠から下ってくる舗装道に出た。
山行日:2020年11月22日

上り:小谷区公民館〜陽松寺〜赤松祐尚の墓〜小谷城跡
下り:小谷城跡〜(北西尾根)〜尾根伝いコース西入口〜(猪野坂林道)〜小谷区公民館
 小谷区公民館の前に、城跡登山者用の広い駐車場がある。公民館から城跡まで遊歩道が整備され、要所には道標が立っている。
 今回は南の陽松寺から遊歩道を登ったが、城跡の東や西から尾根伝いに登ることもできる。公民館の案内板に、これらのコースを示したマップが描かれている。

山頂の岩石  ジュラ紀 丹波帯 若井層群 頁岩・チャート
チャートの露頭(山頂)
 小谷城跡には、丹波帯の若井層群(若井コンプレックス)が分布している。
 陽松寺境内の右手に露頭があって、ここには黒色の頁岩が見られた。
 登山道の下にも、ところどころに小さな露頭があって、茶色に風化した頁岩が続いた。
 この頁岩層は、ジュラ紀に付加した地質体で、チャートや砂岩をレンズ状にはさんでいる。
 山頂には、頁岩とともに、このチャートが露出していた。チャートは、灰色の層状チャートで、一部は赤色をしていた。

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