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6.実践の記録3 神戸市内フィールドワーク

 阪神・淡路大震災から10年を迎えた神戸市。復興も進み,街はようやく落ち着きを取り戻し,表通りが新しい都会の風景をつくっている。その神戸市内のあちこちには,被災された方々の想いが刻まれた慰霊碑・追悼碑・モニュメントが多くつくられている。
 これらの「震災モニュメント」を巡り,震災の記憶を後世に伝えようとする「こころ」に触れて,生命のかけがえのなさや支えあうことの大切さを学ばせたいと思った。「震災モニュメント」の中には,生徒たちに地震の巨大なエネルギーを実感できるような,地震で破壊された建物や施設を保存したものある。
「震災モニュメント」を巡ったあとは,「人と防災未来センター」で地震と防災の学習を行った。

取り組みの展開

(1) 神戸市内フィールドワークの概要

 5〜6人で班を構成し,班ごとに「震災モニュメント」を巡った。各班は,主要ポイントとして設定した5つの「震災モニュメント」の中から一つを選び,それを中心にその周辺を巡るように計画を立てた。
 震央に近い舞子公園を9:30に出発し,集合地点の「人と防災未来センター」に14:00までに帰ってきた。各班が計画を立てるにあたっては,次の資料を参考にした。

「忘れない1.17 震災モニュメントめぐり」 震災モニュメントマップ作成委員会・毎日新聞震災取材班 葉文館出版 2000年
「思い刻んで 震災10年のモニュメント」 NPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り・毎日新聞震災取材班 どりむ社 2004年
「震災モニュメントマップ」 震災モニュメントマップ作成委員会 2001年

(2) 出発地点の舞子公園

写真6 舞子公園から明石海峡・淡路島を望む
 バスを降りて,明石海峡を望む舞子公園のテラスに集合した。
 対岸に見える淡路島の北端部が,兵庫県南部地震の震央である(写真6)。そのとき活動した野島断層が,淡路島に白く小さく見える江崎灯台のすぐ近くに伸びている。そこから,この下を六甲・淡路島断層帯の活断層が走り,建設中であった明石海峡大橋は,この地震で橋の長さが1.1m長くなった。
 頭上に架かる明石海峡大橋を見上げながら,そのような活断層や橋の話をした。生徒たちは,ここから班ごとにフィールドワークへ出発した。

(3) 「震災モニュメント」5つの主要ポイント

写真7 須磨浦公園みどりの塔の落ちた地球儀
@ 須磨浦公園みどりの塔(写真7)

 地震のゆれで石柱から落ちた重さ2.4トンの地球儀が,そのままの状態で残されている。新しくつくられた半球型の石碑には,「この直径1.2メートル,重さ2.4トンの地球儀を落下させた兵庫県南部地震は正に『地球』すなわち『わたしたちの世界』を根底から揺り動かした,言語を絶する出来事だったことはまちがいありません。」と記されている。

A JR新長田駅こうのとりタイル

 JR新長田駅のホームには,復興を願って全国から寄せられたイラストをタイルに模写した「復興モニュメント」が設置されている。子どもたちや各界の著名人,復興を願う全国の人々からの温かいメッセージが,幸せを運ぶ「こうのとり」をテーマに描かれている。

B 大輪田橋

 戦災を生き残った石造りのアーチ橋を,今度は地震が襲った。地震で倒れた橋の飾り柱が,地元の人々の要望でモニュメントとして残された。橋のたもとに横たわる飾り柱は,地震の激しいゆれを今に伝えている。

C 神戸港震災メモリアルパーク(写真8)

 崩れ落ちて海中に沈みこんだ岸壁や鉄柵,傾いた街灯など,メリケン波止場の一部が被災したままの状態で保存されている。周囲には,見学用の通路が設けられている。また展示スペースには,映像やパネルで神戸港の被災状況や復興の過程が紹介されている。

D 東遊園地(写真9)

 東遊園地は,竹筒にろうそくの火を灯して犠牲者を追悼する「阪神淡路大震災1.17のつどい」や,神戸の復興・再生への夢と希望を託して始まった「神戸ルミナリエ」の舞台となっている。ここには,「慰霊と復興のモニュメント」,「1.17希望の灯り」,「マリーナ像」などの「震災モニュメント」がある。地震で倒れ落ちた「マリーナ像」は,地震発生の時刻のまま停まってしまった時計を抱えている。

写真8 神戸港震災メモリアルパーク 写真9 東遊園地のマリーナ像

(4) 「人と防災未来センター」での地震・防災学習

 「人と防災未来センター」には,「防災未来館」と「ひと未来館」がある。今回は,「防災未来館」を見学した。
 はじめの「1.17シアター」では,地震発生によって崩壊するビルや高速道路,地震後発生した火災など,震度7の恐怖が迫力ある映像で次々と展開された。「大震災ホール」で,震災から復旧・復興へと至る街と人々の姿を映像で見たあと,生徒たちは震災関連の資料や防災に関する展示を見学した。地震や防災に関する実験やゲームのコーナーでは,スタッフの方からていねいな説明を聞くことができた。
 最後に,二班に分かれて「防災セミナー」と「語り部による被災体験談」を受講した。
7.終わりに
写真10 生徒たちが書いた新聞
 総合的な学習の時間は,生きる力の育成を目指している。"いのち"をみつめ,"地震"を知り,"防災"を考える今回の取り組みは,そのままストレートに生きる力に結びつくものである。
 取り組みのなかで,"いのち"については道徳の授業と関連性をもたせ,"地震"については理科の授業と関連をもたせた。特に,地震を科学的にとらえることが防災意識の基盤になると考え,地震の学習を重視した。

 今回の学習のまとめとして,生徒一人一人が新聞を書き(写真10),それを基にして学習発表会を行った。生徒が書いた新聞の一部を紹介して,この報告の終わりとしたい。
<地震の学習で>

○これから,私たちの住んでいる市川町でも大きな地震が起こる可能性は十分あります。特に南海地震は,今後30年間に50%の可能性で起こり,市川町でも震度5弱ぐらいになるそうです。それに,東海・東南海と連なって起こった場合はすごい被害が出て,電気やガスも使えなくなってしまうかもしれません。
 そんなときのために,備えをしたいです。私が工夫したいのは,部屋の家具の配置です。今,私のベッドの上には窓があります。もし地震がきたらガラスが割れて危険なので,移動させたいです。それに,ドアの前にミニテーブルがあって出入り口がふさがるので移動させたいです。こんな風に,地震がきたときのために工夫したいです。
<神戸市内フィールドワークで>

○ 私たちは,須磨浦公園みどりの塔に行きました。そこでは,大きな重い石の地球儀が落下していました。私も押して動かそうとしたけど,とても無理でした。あんなに重い地球儀を落とすなんて,やっぱり阪神・淡路大震災はすごかったのだと改めて思いました。
 この地球儀が,地震の恐さを人々に教えてくれているのだと思いました。

○ 神戸港震災メモリアルパークには,震災のあった10年前の姿が今も生々しく残っていました。コンクリートでできているはずの壁がボロボロに崩れ,ひびがはいっていました。立っていた街灯は,あちこちに傾いていました。写真で見たときより迫力があって驚きました。
<人と防災未来センターで>

○最初は,地震についての説明がありました。震度は0〜7まであって,弱や強を入れると10階級に分けられます。阪神・淡路大震災のときは震度7でした。
 兵庫県南部地震は,野島断層が動いて発生しました。震源で断層が動いて地震が発生し,地中の四方八方に伝わって地上にゆれとなって伝わります。兵庫県南部地震では,震源で地震が発生してから5秒後に地震の波が神戸に到着しました。その後,強いゆれが10秒間ほど続き,この間に多くの家や鉄道・道路などが壊れました。
 セミナーを聞いて心に残ったことは,地震はわずか数秒間の間に多くのものを一気に壊してしまうものなのだということです。

○私たちは,語り部のおばあさんから10年前に経験したことを伺いました。東灘区のことです。早朝,まず縦ゆれがきました。そのあと横ゆれがきて,その横ゆれでほとんどの建物が崩れました。
 テレビは,落ちるのではなく,2mも飛んだそうです。このゆれで,屋根が吹っ飛び電柱は倒れ,液状化現象まで起こったそうです。家屋の2階にいた人は助かりました。しかし,1階にいた人は2階の圧力で押しつぶされ,ほとんど全滅だったそうです。左右どちらを向いてもガレキの山。
 変わり果てた神戸におばあさんは絶望しました。でも,そんな気持ちに負けずに,おばあさんは真っ直ぐ前を向いて進もうとしました。
 何がおばあさんをそうさせたのでしょう。それは,全国各地から来たボランティアの方々の励ましです。全壊した神戸も,ボランティアの人々,神戸の人々の復旧・復興への想いによって素晴らしい街へと発展しています。


審査委員会の講評

「神戸で学ぶ”いのち”と”防災”」での地震の学習

 阪神・淡路大震災から10年を迎え,総合的な学習として,中学1年生を対象として実践されたものである。慰霊碑・追悼碑・モニュメントがつくられたが,それらをフィールドワークでまわり,生命のかけがえのなさや支え合うことの大切さを学ぶと同時に地震を科学的にとらえ,地震を理解した上で,防災(減災)の方法や実践力を高め,自ら学ぶ力を身につけようとしたものであり,助け合いの精神,道徳との関連にも考慮されており,その教育効果は大いに評価された。