地層に残るさざ波の跡とシカの足跡化石 |
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シカの足跡化石と漣痕(れんこん)
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大型シカの足跡化石
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足跡化石が発見されたのは、香住区下浜の県立香住高校艇庫東の波食棚の上である。この波食棚は、北但層群豊岡累層(新第三紀中新世)に属する砂岩優勢の砂泥互層から成っている。
写真左は、淡緑色砂岩の上に堆積した黒色泥岩の薄層の上面が地表に現れた部分である。手前の波型の模様は、さざ波の跡(漣痕)である。波の波長が3〜5cmであることから、ここがごく浅い湖底であったことが分かる。その向こう(写真上側)にシカの足跡化石が見える。
写真右は、大型シカの足跡化石である。シカの足は二本指であるが、前足の足跡と後足の足跡が重なって三本指のように見える。ひづめの長さは10cm程度で、写真左のものの2倍近くの長さである。今のニホンジカよりはるかに大きなシカであったと思われる。後の土が盛り上がるなど周辺にも足跡による変化が認められ、リアルな足跡化石となっている(スケールの円は一円玉)。
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鳥類の足跡化石とサイの足跡化石 |
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鳥類(ツルの仲間)の足跡化石
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サイの足跡化石
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写真左は、鳥類の足跡化石である。右に置かれているのは、この化石のレプリカであり足跡部分は着色されている。大きさや指の開いている角度からみて、サギの仲間よりもツルの仲間に近いと考えられている。
写真右は、サイの足跡化石である。長さ約25cmで、5cm程度周囲よりめり込んでいる。大きな三本指とかかとの後のへこみが、この足跡がサイの仲間であることを示している。足跡は、薄い黒色泥岩の上に残され、へこんだ部分を2〜3mm程度の小礫を含む粗粒砂岩が埋めている。足跡の周辺部も盛り上がったりへこんだりしている。
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ゾウの足跡化石 |
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ゾウの前足(後足が重なっている)
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ゾウの後足
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写真左は、ゾウの足跡化石である。径約22cmで、周囲よりもわずかに盛り上がっている。ゾウが歩いたときの地表面はもう少し上にあったのだが、その部分が侵食によって失われ、その下の圧縮された面が、足跡化石としてこのように残された。
前足だけのように見えるが、表面の起伏の詳細な観察や足跡部の地層の葉理(ラミナ)から、前足に後足が重なったものと考えられている。
写真右は、ゾウの後足化石である。ゾウの足裏は、前足が円形なのに対して後足は楕円形である。
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足跡が語る動物の楽園 |
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サイの足跡化石
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ゾウの足跡化石
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ゾウやサイの足跡が入り混じり、表面が複雑に起伏している部分がある。かつて、この地は動物たちの楽園だったのだ。近くの地層からカエデの仲間やケヤキの葉の化石が産出することなどから、当時は今よりも少し暖かい気候で、湿地の周囲には森林が広がるといった今の東南アジア型の環境であったと考えられる。
写真左は、サイの足跡化石である。水面上に現れているのが指の部分で、足裏が地面に着地し、横にずれ動いて、その後、足を地面から抜いたといった一連の動きが読み取れるということだ。専門家の観察力はすごい!
写真右の円形のくぼみは、ゾウの足跡化石である。説明会の間にも、潮がしだいに満ちてきて岩棚が海水につかり始めた。波食によって地表に現れ永い眠りから覚めた足跡化石であるが、このままではさらなる風化や波食によって早いうちに消えていくことだろう。地元の香住町では、今後詳細な調査を行い、保存を検討することにしている。
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足跡化石から何が分かるか |
日本でこの時代の大型哺乳類の足跡化石が見つかったのは、福井県越廼村についで2例目である。今回香美町で発見されたことによって、1800万〜1700万年前に日本海沿岸には広範囲に大型哺乳類が棲息していたことが分かった。
1800万〜1700万年前というと、それまでアジア大陸の周縁部にあった日本が大陸から離れて、日本列島が形成されつつある時期である。このとき、大陸と列島の間に海水が流れ込み日本海が誕生した。このような時期に、日本海側に湖が存在し、そこに大型哺乳類が棲息していたということは、日本列島の形成とも関わる意義深い事実である。
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淡水魚化石産地と大型哺乳類足跡化石発見地(安野氏による図をカメラで撮ったもの) |