春日山(飯盛山)(197.9m)    福崎町   25000図=「北条」


春日山はなぜ山なのか

南東より望む春日山

 春日山(地形図では飯盛山)は、福崎町八千種の山である。標高わずか197.9mの小さな山であるが、その整った山容から八千種富士として親しまれている。

 北西麓にある西邦寺の右脇に登山口がある。登山口には、「春日山山頂0.4km」の標柱と「春日山城跡」の説明板が立っていた。

 春日山城は、建武年間の築城とされ、後藤基明が初代城主。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下で、応仁の乱で軍功をたてた。
 天正6年(1578)、春日山城は羽柴秀吉の播磨攻略で落城し、時の城主基信は自刃したと伝えられている。

 いきなりの急な坂。雑木林の中の階段道を登る。ヒメウズが、ひそやかに下向きの花をつけていた。根が半ば浮き上がったアベマキが、その下に大量の落ち葉を敷き詰めていた。
 道の左手に保存樹の案内板があった。そこから少し入ったところに、一本の古いヤマモモが立っていた。根元から幹が大きく4、5本に分れ、それらが広がりながら空に向かって伸びている。
 ゴツゴツした太い幹の下の方から、新しい枝が出て葉をつけていたが、上の方は枯れかかっているように見えた。ヤマモモは、静かにその生命を終えようとしているのかもしれない。

ヤマモモの木

 やがて、山頂北のコルに達した。ここも、アベマキの落ち葉でふわふわ。何という種のツバキなのか、大輪の深紅の花をつけていた。
 コルから南に進んだ。コゲラがヒノキに止まり、幹を突きながら上ってはまた急降下した。
 登山道にはときどき露頭が表れた。黄土色に風化した頁岩で、劈開が発達して小さく割れている。丹波帯の地層である。

登山道の頁岩の露頭

 さらに進むと、岩石は淡いうぐいす色をした珪長質岩に変わった。変質した黒雲母が点々と入っている。
 道はしだいに急になって、樹脂製の階段となった。コシダの斜面につづら折れになった道を登った。山頂まで0.1kmの地点で、城の曲輪跡なのかいったん平らになった。
 再び急になった坂を登ると、春日山山頂の城跡に達した。

春日山城跡

 広くて平らな山頂に、大きなシラカシが2本。若いサクラの木が数本。ベンチや案内板が設置されている。案内板の裏に深さ1mぐらいの穴が空いていて、「食糧貯蔵庫」の標柱が立っていた。
 ふもとはのどかな田園風景。ため池が6つ7つ、空の青を映している。市川の開いた平野が南北に広がり、家々が立ち並んでいた。
 市川の向こうを、ぐるりと低い山並みが取り囲んでいた。広峰山から棚原山、明神山と七種の山々、千町ヶ峰に段ヶ峰、日光寺山と深山の間に笠形山。
 反対側には善防山から笠松山、そして高御位山。市川の流れを南に追った一ヶ所だけ山が途切れていて、そこに姫路市街地が広がっていた。その先の播磨灘は、空と溶け合うようにうすくかすんでいた。

 弁当を食べ、山々を見ながらベンチに座っていた。数羽のキアゲハとヒオドシチョウがもつれ合うように飛んでは、ときどき地面に舞い降りた。カメラを持って近づくと、ヒオドシチョウはバタバタと乾いた羽音を立てて飛んでいった。
 雲一つない快晴。上空は澄んでいたが、黄砂の影響か山際はどこも白くかすんでいた。飛行機雲が、ひと筋ふた筋と白い線を描いては消えていった。
 ずっとホオジロが絶えずさえずっていた。ふもとの小学校から、チャイムの音が上がってきた。

山頂より西を望む

 ところで、山頂周辺で観察できたのは、溶結火山礫凝灰岩だった。大きさ1cm程度の角張った礫を多く含み、基質はガラス質である。
 周囲は丹波帯の頁岩。溶結火山礫凝灰岩の分布の様子や頁岩との境界に珪長質岩脈が貫入していること、内部の軽石がほぼ垂直に配列していることから、山頂の岩石は径200mのパイプ状に貫入した凝灰岩脈と考えられている(5万分の1地質図幅「北条地域の地質」 地質調査所 1995)。
 周りの頁岩が軟らかいのに対して、凝灰岩脈をつくっているこの岩石は硬い。風化に抗してこのパイプ状の岩脈が残り、周りが侵食されてこの春日山をつくった。
 春日山が山なのは、このような理由からである。

山頂付近の凝灰岩脈の岩石

 山頂を南に下り、ふもとの春日山キャンプ場に下り着いた。
 オオイヌノフグリやナズナやホトケノザの咲く東麓の道を歩いて、車を止めた鍛冶屋熊野神社へと帰った。

春日山キャンプ場付近から見る春日山

 
山行日:2016年3月17日


鍛冶屋熊野神社〜西邦寺登山口〜春日山城跡(山頂)〜春日山キャンプ場〜鍛冶屋熊野神社
 鍛冶屋熊野神社から山頂の春日山城跡を経て春日山キャンプ場までは、山陽自然歩道「福崎 春日山散策の道」として整備されている。
 キャンプ場から、東の山麓をぐるりと回ってもとの鍛冶屋熊野神社に戻った。

山頂の岩石 白亜紀後期  凝灰岩脈  溶結火山礫凝灰岩 
 この春日山の山頂には、凝灰岩脈の溶結火山礫凝灰岩が分布している。
褐色や緑色をした同質あるいは類質の流紋岩の礫を多量にふくみ、ガラス質の基質には石英と長石の結晶片が認められる。軽石は、緑色となってレンズ状に押しつぶされている。気泡は残っていない。
 鍛冶屋熊野神社の横の崖や山頂北の登山道で見られたのは、黄土色の頁岩。細粒砂岩がレンズ状にはさまれているところもある。山頂南の登山道には、赤茶色に風化した頁岩が分布していた。
 5万分の1地質図幅「北条地域の地質」(地質調査所 1995)によると、山頂北は丹波帯の八千種コンプレックス。山頂南は、超丹波帯の福住層。山頂に分布する凝灰岩脈は、岩相から鴨川層凝灰岩の供給火道であった可能性が指摘されている。

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