坊勢島 かしわの山 100m     姫路市家島町坊勢  25000図=「真浦」


夏の坊勢島をぐるりと一回り
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坊勢漁港から望む「かしわの山」

 大小40余りの島々からなる家島諸島。坊勢島はそのひとつで、漁船の数日本一を誇る坊勢漁港を有する漁業の島である。夏の一日、地質を観察しながら坊勢島をぐるりと一回りした。
※島の地質に関しては、 地質岩石を訪ねて『坊勢島 弁天島と島の地層』へを見てください。

 7時20分に姫路港を出た船は、男鹿島を経由して30分余りで坊勢島奈座港に着いた。

奈座港

 まずは、船着き場に近い弁天島へ。朱塗りの欄干がゆるいアーチを描く海神橋を渡ると、この島の伝説を伝える石碑が立っていた。その伝説とは、

 昔、掟破りの荒漁ばかりする漁師と、利発で優しい娘が住んでいた。ある日父親は漁に出て魚を溜め込んだが、その魚の中に龍神の使いがいることも知らず、大漁々と喜び港を目指して櫓をしならせていた。
 やがて港の入口にさしかかったところ、一天にわかに黒雲がおおい、波風と横なぶりの雨の激しい嵐に見舞われ、舟が転覆寸前になった。
 岸にいた娘は、「この嵐は無法な漁による龍神のたたり、早く魚を海に返して」と叫ぶが父は聞き入れず、娘は父の命を助けようと龍神の御霊を鎮めるために自ら海に身を投じたところ、水煙が天を貫いて竜巻がおこり、そのあと嵐はうそのようにおさまって、そこに美しい小島が現れた。(船着き場にかかる「坊勢中学校区地域夢プラン資源マップ」より)


 石段を上ると、「海神社」の小さな社が青い海と空をバックに鎮まっていた。この神社は、「神権さん」の名前で親しまれ、海神・龍神・弁財天が祀られている。
 鈴緒の下には何本もの酒が供えられ、この朝もひとりの島の人が境内や石段を掃き清めていた。神権さんは、娘の伝説を伝えるとともに、海の守り神として今も信仰を集めている。
 今回の島一周の旅は、安全への祈りと島に伝わるロマンから始まった。

海神橋と弁天島の神権さん 神権さん 

 弁天島をつくっているのはデイサイト溶岩。湾曲する流理や自破砕構造、海食台やタフォニなどの侵食地形などが見られた。

 弁天島をあとにして、西へ進んだ。道の脇には、ツユクサが咲いている。海辺の道を歩いていくと砂浜があって、その先の岬に岩壁が見えた。道を離れて、その岩壁に近づいた。
 もうここはデイサイトではなかった。石英や長石の結晶がたくさんふくまれた流紋岩質の溶結凝灰岩。縦に白い筋が何本か走っている。石英脈だった。石英脈にはところどころに空隙があって、そこに水晶の結晶が光っていた。

石英脈中の水晶

 道は海辺を離れて、島の中をゆるく上っていた。ダキバアレチハナガサは、花が咲き上がって、どの花穂も長く伸びていた。
 日差しが強くなってきた。蒸し暑さが増してきた。ウバメガシの厚い葉が、太陽の光を強くはね返している。ヤマウルシの葉は、一部がもう赤い。汗をぬぐって空を見上げると、二羽のトビが悠々と輪を描いていた。

ダキバアレチハナガサ

 道の西は、「坊勢しまの森」として何本かの遊歩道がつくられていた。遊歩道の入口に案内板が立っていて、ここからかしわの山をめざすこともできるようだったが、この暑さ。そんな寄り道をする余裕はなかった。
 そのまま広い道を登っていった。だいぶん進んでいくと、右手が開けて、南東方向に播磨灘が広がった。手前に、西ノコウゴ岩と呼ばれる小さな岩礁が1つ海から顔を出している。左に桂島、右に小松島が遠くかすんでいた。
 やがて、道の向こうに「かしわの山」が見えた。

南東に広がる播磨灘 かしわの山 

 かしわの山の登山口は、1本の桜の木の下にあった。ここにも「坊勢しまの森」の案内板が立っていてわかりやすい。登山口から入ると、すぐに分岐があって、「展望台160m」「海辺440m」の道標 。展望台へは、そこから丸太階段が上っていた。

かしわの山の山頂へ

 丸太階段を登り切ってゆるくなった坂を進むと、物見やぐらのような展望台が見えた。標高およそ100m、この山頂が坊勢島でいちばん高い。

かしわの山山頂の展望台

 坊勢漁港が下に見えた。防波堤が港を囲み、岸や桟橋にたくさんの漁船がつながれている。漁港の向こうには、矢ノ島が浮かび、さらにその先には家島や男鹿島が横たわっていた。
 反対方向には、西島が淡いベージュ色の石切り場を載せて大型客船のような姿で横たわっている。
 南に広がる播磨灘は、水蒸気に満ちた空気と逆光によって白くかすみ、海と空との境はにじんでいた。

 坊勢漁港を見下ろす 向こうに矢ノ島と家島 かしわの山から見る西島

 かしわの山を下りて、島の道を東へとゆるく下っていく。コマツナギがピンクの花をつけ、キチョウが花に止まっては、すぐまたひらひらと飛んでいった。
 小さな漁港に出た。漁港の道は車が一台通れる狭い道。道の両側には、漁具やタンクが並んでいる。油やペンキのにおいがかすかに漂う。
 網やフロートやいかり・・・、島のどこを歩いても漁具は整然と並べられていた。きれいな島だった。
 海岸に出ると、浜の向こうに岩が見えた。岩まで歩いて地層を観察する。岩の割れ目に、ハマナデシコが咲いていた。

コマツナギ ハマナデシコ

 道に戻り、小さな峠を一つ越して、護岸や民家の中の道を進む。
 坊勢中学校の校門を入ったところに、「波の化石」が展示してあった。およそ2億年前の丹波帯の地層にできたもの。漣痕と呼ばれるこの波の跡は、昭和34年にすぐ近くの海岸で見つかった。今、そこは港のコンクリートの下に埋もれている。

 あった!やっと見つけた!飲料水の自動販売機・・・。横には屋根があって、屋根の下にはソファーが並べられている。飲み物を一本買って、ソファーに座りこみ一気に飲んだ。
 5,6人の島の人たちが横で話し込んでいる。ときどきバイクに乗った人が立ち寄って声をかけていく。島の生活の雰囲気を感じながら、しばらくここで体を冷やした。一息ついて前を見ると、港に並ぶ漁船の向こうにかしわの山があった。
 もう一本飲み物を買って、日なたの道へ。道の壁には、スヌーピーの絵。
 海守堂というお堂が建っていて、その下に丹波帯の頁岩が現われていた。この島でいちばん古い地層が、ここにわずかに分布していた。

 坊勢漁港の道 海守堂と丹波帯の頁岩層

 道ばたに「大亀之碑」が立っていた。どのようないわれがあるのだろうか。
 東の海辺を北へ進んでいく。島の北端の坊崎の手前に、波切地蔵尊があった。中に祀られている不動明王に手を合わせる。漁の安全を願う祈りが、島のいろいろなところで感じられた。
 道は坊崎で峠になっていて、峠を越すと島の西に出た。もうひたすら歩くしかない。
 舟がつながれた広い防波堤が、こんもりとした島へ延びていた。島の入口に恵美酒神社の鳥居が見える。
 防波堤を歩き、鳥居をくぐって石段を登る。島の上に建つ社殿の日陰で休み、奈座の船着き場へたどり着いた。

 恵美酒神社へ

 帰りの船から、家島諸島の島々が順光にくっきりと見えた。上島・クラ掛島・太島が並んでいる。船のうしろには、家島や男鹿島や坊勢島などの島々、そして小豆島・・・。
 播磨灘の真ん中に続く高みから直線状に顔を出して並ぶ島々を眺めながら姫路港へと帰っていった。

クイーン坊勢から上島・クラ掛島・太島を見る
山行日:2024年8月22日

奈座港~かしわの山~坊勢漁港~坊崎~恵美酒神社~奈座港  map
 船の着いた奈座港から島の道を歩いてかしわの山へ。かしわの山から、島の道をぐるりと一周して奈座港に戻る。
 弁天島の神権さん、かしわの山の展望台、坊勢漁港、波の化石、海守堂、波切不動尊、恵美酒神社など島の名所を巡るコースである。

かしわ山の岩石 白亜紀後期 家島層 流紋岩質溶結凝灰岩
 坊勢島には、丹波帯の地層や白亜紀後期の火山岩類などが分布している。かしわの山の登山口付近では、島の中部から南部を広くおおう流紋岩質の溶結凝灰岩が見られた。
 褐色を帯びた灰色で、石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・普通角閃石の結晶に富んだ流紋岩質の溶結凝灰岩である。石英以外は変質していることが多い。この岩石は、白亜紀後期の火砕流によってできたもので、家島層(佐藤大介,2016)に属している。同じ岩石は、坊勢島のほか西島全域、男鹿島南部などに分布していて、西島南西部から約9000万年前のジルコンU-Pb年代が報告されている(佐藤大介,2016)。

地質岩石を訪ねて『坊勢島 弁天島と島の地層』へ

引用文献:佐藤大介(2016)兵庫県姫路市,家島諸島に分布する後期白亜紀火山岩類のジルコンU-Pb及びFT年代.岩石鉱物科学,45,53-61.

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