観音山(245.0m)      新温泉町    25000図=「浜坂」


浜坂県民サンビーチから観音山へ

浜坂県民サンビーチから観音山を望む

 ジオパークセンターから海岸に出た。浜坂県民サンビーチに、砂浜がずっと続いている。砂に打ち寄せる波の音が大きい。砂浜の向こうに立つ観音山は、海に没する山脚が波に削られて荒々しく見えた。
 波打ち際に並ぶ、丸く扁平な小石を拾いながら観音山に向かって歩いた。コマツヨイグサの黄色の花弁が、朝の日ざしを浴びて開き始めていた。

砂浜のコマツヨイグサ

 砂浜から上がり、岸田側河口の歩道橋を渡る。橋の上で、海からの風に帽子が飛ばされそうになった。
 田んぼの中の道を進み、小さな川を渡ると相応峰寺。ここが観音山の登山口である。

 道は古くからの参詣道で、石仏が立ち並んでいた。すぐに1丁目の標識が現れた。

相応峰寺の登山口

 道は、よく歩きこまれていて山肌に深く掘られていた。石仏には新旧があって、古いものは風化に痛み、一部がはがれ落ちている。ときどき、枯れたケヤキの葉が舞い降りた。
 やがて小さな尾根に出たが、その尾根はすぐに広がって山の斜面となり、道がつづらに上っていた。ホオノキが、その下に大きな葉を敷き詰めていた。
 6丁目で、主尾根に達した。ここは、「お休み処」となっていて、日本海が見えた。

海の見える地点

 急な尾根道を登っていく。あたりは海岸の雑木林。道には木漏れ日が射し込んでいた。道の両脇に生えていたササがコシダに変わった。
 いつの間にか、あたりはシイの森になっていた。
 シイの中に続く道を登っていくと、中でもいっそう大きくて風格のあるスダジイが現れた。やや斜めになりながら、枝を空に大きく広げている。その先に、赤い瓦の仁王門が見えた。
 仁王門は痛みが激しく、壁板の一部がはがれていたが、その中に赤く塗られた二体の仁王像が力強く立っていた。
 
スダジイと仁王門

 仁王門から傾斜を失った道を進むと鐘堂。木札に、「御祈りの心で三回」と書かれている。鐘の音は、他に誰もいない山の中によく響いた。
 その先の阿弥陀堂の前を抜けて進んでいくと、奉納された幟が立ち並んだその先に圓通殿が建っていた。銀杏が落ちてきて落葉の上で音をたてた。
相応峰寺 奥の院「圓通殿」


 圓通殿の右脇を登ると、北に小高い丘が見えた。そこが観音山の山頂だった。
 
 山頂は公園風に大きく開かれ、目の前に日本海が広がった。海の青は沖へ行くほど薄くなって、霞んだ空の水色と遠くで溶け合っていた。海面のあちこちに三角波が立っている。波は、海岸の岩礁にぶつかって白く砕けていた。

観音山山頂

 新田次郎『孤高の人』の一節が思い出された。

 翌日に結婚式を迎えた加藤文太郎は、新婦花子さんの待つ浜坂へ列車で向かった。列車の中で、文太郎は、「そうだ観音山に登ってみよう。」「お婿さんが山からおりて来たと人はいうだろう。いかにもおれらしいやり方ではないか。」と、香住駅で下車してしまう。
 そこから歩き始めた文太郎は、夜は日本海岸の舟かげで眠った。翌日檜原山の山頂も極めた後、指杭から観音山に登った。
 「観音山のいただきには無人寺があった。そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおろした。
 眼下に岸田川が流れていた。岸田川をへだてて向こうに目をやると・・・」
 「(花子さん、いま行くぞお)と呼んでみたいと思った。実際にはそんなことは恥ずかしくていえなかったが、いってみたかった。そう呼べなくても、花子さんとひと声呼んでみたかった。彼は、あたりを見廻した。人がいるはずはなかった。・・・」
 このとき、もう結婚式の始まる午後三時が過ぎていたのである。

 山頂から、西に浜坂の街並みが見えた。浜坂港の防波堤が湾内に突き出し、その上に城山が稜線を引いている。
 東には、切り立った岸壁が海に落ちていた。
山頂から望む浜坂港と城山 山頂から見る但馬御火浦

 波の寄せる音が、低くここまで上がってくる。波の音に、木の葉を鳴らす風の音が重なった。木の葉が鳴ると、地面に映った木の影も揺れた。
 山頂に備え付けられたコンクリートのテーブルの下や広場のまわりに、アキノキリンソウが黄色の花を咲かせていた。
山頂のアキノキリンソウ
山行日:2019年10月31日

行き:新温泉町山陰海岸ジオパークセンター〜浜坂県民サンビーチ〜白馬歩道橋〜相応峰寺〜仁王門〜圓通殿〜観音山山頂
帰り:観音山山頂〜岸田川河口登山口〜北須神社〜白馬歩道橋〜浜坂県民サンビーチ〜新温泉町山陰海岸ジオパークセンター
 登山口の相応峰寺から奥の院「圓通殿」まで、広い参詣道がついている。「圓通殿」から山頂まではすぐである。
 帰りは、西南西に伸びる尾根道を歩き、岸田川河口の磯へ下った。磯の岩の上を歩き、小さな北須神社の下を抜けると、白馬歩道橋に出た。

山頂の岩石 新第三紀中新世 北但層群豊岡累層  流紋岩質溶結火山礫凝灰岩
 観音山の山頂付近に露頭はない。
 6丁目付近で見られたのが、強く溶結した火山礫凝灰岩。石英・長石・黒雲母の結晶片を多くふくんでいる。石英は、融食しているものが多い。チャートや泥岩の岩石片を少量ふくんでいる。
 山頂の西、標高130m地点でも同じ岩相の岩石が見られた。観察できた岩石は、どれも風化が進んでいた。

 下山した岸田川河口の磯は、圧砕花崗岩。直径10〜50cm程度の花崗岩が、圧砕された基質部の中に残っている。

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