観音寺山(214m) 市川町 25000図=「前之庄」「北条」
山頂に眠る古代の遺跡
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| 観音寺山を南から望む |
近くの山、今日の2つ目は観音寺山。市川町奥の集落の北、先ほど登った妙見山のすぐ近くに位置している。
山といっても、尾市川と振古川にはさまれた山塊の南に突き出した一つの小さなピークに過ぎない。標高、わずかに214m。
すぐ北に、標高230.1mのピーク(点名大谷)が続いているので、ここまで足を伸ばすことにした。
観音寺山は、その山頂に古墳のあることで知られている。南麓の観音寺の境内に、観音寺山古墳の説明板と登山口があった。
道は墓の中を通り、観音堂の前を横切っていた。石仏の並ぶその道はコケにおおわれ、あたりに広がる古刹の気配に心が落ち着く。
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| 観音寺境内の登山口 |
観音寺観音堂 |
観音堂を過ぎると、道はスギ林の急な斜面に入った。踏み跡はほとんど消えかかっていたが、雑木林に変わったところで再びはっきりした。地面には、イガに包まれたまだ小さなクリの実が落ちていた。
標高180m、尾根の傾斜が緩くなったところに、石碑が1つ立っていた。ここで、進路を北東から東へ変えて、緩やかに上っていくと小さなピークに達した。
観音寺山古墳の竪穴式石室
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ピークの真中のヤマハギの木の下に、蓋石の取り去られた石室が口を開いていた。
石積みによってつくられた、長さ3.6m・幅0.8mの細長い空間……。石室が埋まるこの高みが、全長27mの前方後円墳であることが調査によって分かっている。
この古墳は、竪穴式石室の構造からみて、4世紀以前の古代古墳と考えられている。
山頂に築かれた古代の遺跡は、雑木と夏草におおわれて静かに眠っていた。
観音寺山古墳から北へ向かった。初め、雑木の尾根に踏み跡が残っていたが、それはすぐに消えた。足元のコシダを分け、肌を刺すネズミサシの尖った葉と張り巡るクモの巣を避けるように背をかがめて進むと、目の前が急に開けて明るい山頂に達した。
山頂には、四等三角点の標石が4つの防護石に守られて埋まっていた。
眼下には、市川の両岸に広がる市川町の町並みが見える。三角点のすぐ横のごつごつした岩の上に立つと、そうびろ山―薬師峯―七種山―七種槍―大中山と、七種の山々が雄大にその峰々を連ねていた。
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| 点名大谷の山頂 |
点名大谷より市川町を望む |
山行日:2006年8月31日