金ヶ崎・点名 柏(134.2m)  
                   相生市・たつの市          25000図=「相生」


金ヶ崎の海岸と岬の山を歩く

金ヶ崎の流紋岩.月報あしおと 3月号(一般社会法人 兵庫県自然保護協会) No.400.p.4

金ヶ崎(近くの島は、左から地ノ唐荷島、中ノ唐荷島、沖ノ唐荷島)

 金ヶ崎は、相生湾の東を縁どる岬の先端にあって瀬戸内海に突き出ている。この岬の最高点は、標高143m。134.2mの地点に三角点があり、岬の西には海岸に沿って遊歩道が設けられている。

 山上に建つ「ホテル万葉岬」の手前に駐車スペースがある。今回はここからスタートして金ヶ崎に下り、海岸の遊歩道を歩いて鰯浜へ。そこからスタート地点へ登り返して、最高点と三角点へ向かった。

 ホテルの上のなだらかな丘は、椿園になっていた。
 展望台の上から、瀬戸内海を見渡すことができた。海面は逆光に鈍く光り、その中に島々が点々と浮かんでいる。
 展望台の近くに、屏風仕立ての「山部赤人万葉歌碑」が建っている。「あじさはう・・・」の長歌一首に、短歌三首。どれも、望郷の歌である。
 短歌の一つに、「玉藻刈る 辛荷の島に 島廻りする 鵜にしもあれや 家思はざらむ」がある。鵜であったら、家を思わないでいられるだろうという、何を見ても家(家に残してきた妻)を思ってしまうという歌である。
 歌中の「辛荷(からに)の島」が、ここから下に見える三つの唐荷島(からにしま)。万葉の時代からの風景が、目の前に広がっていた。

展望台から藻振鼻を見る

 ここから、岬の先端、金ヶ崎に向かって道がつけられていた。
 白い灯台を乗せた蔓(かずら)島を下に見ながら、擬木の階段道を下っていく。
 ツバキの木が途切れると、ウバメガシ林となった。ウバメガシに混じるコナラの葉は、すっかり黄橙色に変わっていた。
 
蔓島を下に見て下る

 道はいったんゆるくなって、そのあと再び急になった。そこを下ったコルには、西の海岸へ下る道が分枝していた。
 ここには、「魚つき保安林」の説明板が立っていた。豊かな森林が豊かな海をつくり出して、魚も多く棲む。森林のそのような機能は、江戸時代から認識されていたという。
 コルの先のヤマハゼの葉は真っ赤に紅葉。サルトリイバラの赤い実には、白い粉がまぶさっていた。
 少し登った小さな高みからは、道はもう海に向かって真っ直ぐに下っていた。眼下の君島には、狭い砂浜が見えた。君島の手前を、小さな釣り船が軽快なエンジン音を立てて走り抜けた。

君島と家島の島々

 岬の先端は崖になっていた。その崖を右に巻くようにしてコンクリートの階段が下っていた。海からゆるく風が吹いてきた。その風に、崖に着いているトベラの葉がそよいだ。
 階段を下り切って海に出ると、大きな流紋岩の岩が重なっていた。岩の上につけられた遊歩道を左に行くと、すぐに行き止まり。ここが、金ヶ崎の先端であった。

 波も静かな穏やかな海だった。藻振鼻の先に、地ノ唐荷島、中ノ唐荷島、沖ノ唐荷島と三つの島が並んでいる。君島と蔓島の間を、赤と白に塗り分けた輸送船がゆっくりと進んでいった。
 近くの島は緑色をしているが、その向こうの家島の島々はもう青白い。遠くの小豆島は、さらに薄くなってその島影を海に低く広げていた。

金ヶ崎の風景
(左から西島、院下島、小豆島、蔓島)

 岬の西の海岸に沿ってつくられた遊歩道を歩いた。岩石は流紋岩ばかりだと思っていたら、頁岩が現れ、ホルンフェルスになって、最後は溶結凝灰岩となった。
 地質の見どころがたくさんあったが、頭は混乱した。

節理の発達した流紋岩

 流紋岩の表面にできたアタカマ石の写真を撮ろうとコンクリートの上に腹ばいになっていると、曲がり角から突然男の子が現れた。そのすぐうしろにお父さん。
 男の子は、浜辺でひろったといって赤い玉を見せてくれた。「あー、これはガラスや。今頃、海辺でガラスの破片、集めるんがはやっとんやけど、赤いんは人気があるんやで。」というと、うれしそうにしていた。
 もう一つ、貝殻の破片を見せてくれたけど、これは私にとられると思ったのか、自分の手から離してくれなかった。
 遊歩道は、ときどきゆるくアップダウンしながら海岸に続いていた。シャリンバイが、ブルーベリーのような実をつけていた。

シャリンバイ

 鰯浜の防波堤には、釣り人がたくさん並んでいた。こんな穏やかな日、釣りもええなぁ。
 その防波堤の付け根から、道が山上のホテルめざして上っていた。
 けっこうな急な坂道。ウバメガシの小判のような葉を踏んで登った。カクレミノの大きな葉は、パラパラと黄色に色づいていた。

ウバメガシ林を登る

 急な坂が終わり、山の肩に出たところに四角い屋根のあずま屋があった。ここにも、山部赤人万葉歌碑が建っていた。
 赤人が「縄の浦」と詠んだ相生湾が、ここからよく見えた。
 細長く湾入した海は、低い山並みにぐるりと囲まれていた。さまざまな色に染まった山肌に中に、小さな岩山も見えた。

山部赤人万葉歌碑

 そこから少し登れば、あとの傾斜は緩くなった。
 アキノキリンソウやワレモコウの花を見ながら尾根をひと登りすると、スタート地点の駐車場に出た。

アキノキリンソウ ワレモコウ

 採集した岩を車に載せ、この岬の最高点、143m地点をめざした。
 ホテルの北に廃屋になった建物があって、その近くが143m地点だと思える。
 ホテルの周りを行ったり来たりしながら、やぶにもぐり込む地点を探した。結局、その廃屋の横から山に取りついて、やぶを分けた。
 やぶの中にシュロの木が葉を広げていて、そのあたりが一番高いように思えた。シュロのそばのイロハモミジが、真っ赤に染まっていた。

イロハモミジ

 ここから尾根を北へ進めば三角点であるが、とても進めそうにない。いったん車道に出て、カーブに反射鏡の立つ地点あたりから、再びやぶにもぐり込んだ。
 踏み跡らしきものはあるにはあったが、ほとんど消えていた。帽子を深くかぶり、かがみこんで頭から突っ込んでいく。ときどき、蔓やとげに進路をふさがれた。
 もうあきらめかけたとき、やぶに中に白い四等三角点(点名 柏)の標石を見つけた。

134.2m三角点(点名 柏)

山行日:2017年11月25日


万葉の岬駐車場〜金ヶ崎〜鰯浜〜万葉の岬駐車場〜143m最高点〜134.2m三角点〜万葉の岬駐車場
 ホテルの手前に、万葉の岬駐車場がある。ここから、金ヶ崎に下る遊歩道も海岸の遊歩道もよく整備されていて歩きやすい。
 ホテルから143m最高点、134.2m三角点へは、相生市とたつの市の境界尾根であるが、切り開きの道は、ほぼ完全に消えている。

山頂の岩石  白亜紀後期  天下台山流紋岩  流紋岩
金ヶ崎の流紋岩
表面に流理構造が表れている)
 金ヶ崎には、流紋岩が分布している。この流紋岩は、「ホテル万葉岬」近くの展望台や金ヶ崎の海岸で観察することができる。
 展望台の流紋岩は、淡灰色〜淡橙色で石英(最大2mm)と長石(最大1mm)の斑晶を含んでいる。流理が発達し、流理と平行に節理が見られる。
 海岸の流紋岩は、淡灰色で珪化しているものが多い。微細な石英の中に、1mm程度の斑晶の石英が認められる。流理と斜交する2方向の節理が発達し、流理の方向にも薄く割れやすくなっている。
 これらの流紋岩は、相生市街地の西に位置する天下台山から続く岩体で、天下台山流紋岩と呼ばれている。

 天下台山流紋岩の形成年代は、白亜紀後期の8200万年前(「5万分の1地質図幅 播州赤穂付近の地質  産総研地質調査総合センター 2016年」による)。大規模な火山噴火によってカルデラができたとき、カルデラの外縁にできた環状割れ目に沿って貫入したものと考えられている。
 この流紋岩は、一部で頁岩層を挟み、また、部分的にホルンフェルス化している。金ヶ崎から岬の西の海岸に沿った遊歩道で、この頁岩やホルンフェルスを観察することができた。

 遊歩道が鰯浜に近づくと、海岸の岩石は溶結凝灰岩に変わる。暗灰色の岩石で、石英と長石の結晶片を含んでいるがそれらの量は少ない(デイサイト質ガラス質溶結凝灰岩)。頁岩やシルト岩やチャートなどの岩片をふくんでいる。
 この溶結凝灰岩は、赤穂層にあたり、カルデラの内部に堆積した火砕流堆積物であると考えられる。

「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ  登山記録へ