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金 山(540m) 篠山市・丹波市 25000図=「柏原」「宮田」 山頂直下に頂く「鬼の架橋」
国道176号線、新鐘ヶ坂トンネルを丹波市側に出たところに、「天下の奇岩 鬼の架橋展望所」がある。そこから金山を見上げて目を凝らすと、山頂近くに岩の重なりが見える。斜めにそそり立つ大岩がひとつあって、その左に岩が橋渡しになっている。ぽっかり開いた岩の穴から、向こうの白い空がのぞいていた。
つづら折れの道が続いた。スギに雑木が混じる林内に、木漏れ日が降り注いだ。傾斜が緩んだところに、笠木の落ちかけた古い石の鳥居が立っていた。 鳥居をくぐり、道に張り出したアセビの曲がりくねった幹や枝をよけながら進むと、道は再び傾斜を増した。ウラジロノキの葉が、茶やオレンジに色づいている。道の落ち葉は、乾いた音をたてた。
尾根が合流したところ(標高425m)は四差路で、ここかを北に向かった。
山頂を西に下ったところが、景勝地「鬼の架橋」だった。そこには10数個の大岩がもたれ合うようにして群がっていた。その一つが「鬼の架橋」で、2つの岩の間に板状の岩が橋のように架かっている。 岩は、白とピンクがまだらになったチャート。ごく小さな水晶が、キラキラ光っているところがあった。 架橋で架かっている岩は長方形に近く、大きさが2×3m程度で、厚さは70cmほどある。土台の岩との接触部は、驚くほどわずか。 この架橋は1449年に起こった地震でできたという記録が残されている。そのとき、上にあった岩が崩れ落ち、絶妙のバランスでここに止まった。地球の長い歴史からすると、次の大きな地震までの瞬間的な景観である。 架橋の左には大きな岩が立っていた。これが国道からも目立った天狗岩である。この岩の北側と東側はスッパリと切れ落ちた絶壁で、何本かのハーケンが残されていた。南側は斜めになっていて、ここを伝って岩に上った。 岩の上は、狭いながらも水平な広がりがあった。そこは前にいくほど細く、先は船の舳先(へさき)のようにとがって虚空に飛び出していた。この上に立つと、眼下に国道が伸び、その脇の展望所に停まっている車がおもちゃのように小さく見えた。正面には譲葉山が大きく座り、西に千ヶ峰・飯森山・笠形山が薄く稜線を引いていた。 わずかな距離しか歩いていないのに、石を見ている間にずいぶん時間がたっていた。西に傾いた陽が、天狗岩とその上の私の影を、はるか下の樹冠に映し出していた。
山行日:2010年10月23日
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| 追入登山口〜園林寺跡〜金山山頂〜鬼の架橋〜大乗寺〜追手神社 | ||||||||||||||
| 追入神社の南の登山口から道が整備されている。帰りは大乗寺に下り、そこから追手神社に寄った。追手神社には、千年モミや夫婦イチョウ、あるいはムクノキの巨木があって、イチョウの下で銀杏を拾っている人がいた。 | ||||||||||||||
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| 山頂の岩石 三畳紀〜ジュラ紀 丹波帯U型地層群 藤岡コンプレックス チャート | ||||||||||||||
| 金山周辺には、丹波帯の三畳紀〜ジュラ紀に付加した地層が分布している。 登山道には、ずっと細粒砂岩が見られた。細粒砂岩は褐色を呈し、露出面は風化によって軟らかくなっている。一部で、劈開の発達した褐色の頁岩に移行している部分が見られた。 金山の山頂部だけがチャートであった。チャートは、白色とピンク色がまだら模様を呈し、一部にオレンジ色の部分が縞状に入っている。全体的に層状であるが、塊状の部分もある。「鬼の架橋」が板状なのは、層状チャートが層理面で割れたことに因っている。天狗岩は、単層の厚さが10cm程度の層状チャートであった。 |
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