金 香 瀬 山 (709.8m) 朝来市 25000図=「但馬新井」
ヒカゲツツジ咲く生野鉱山
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| 銀山湖の対岸から金香瀬山(中央奥)を望む |
生野鉱山は今、ヒカゲツツジの花に彩られている。その薄黄色の花は、「へいくろう花」として昔から春の鉱山を包んできた。
年中、坑内の厳しい環境の中で働いている坑夫の中には、ヒカゲツツジの咲く頃になると浮世の風に吹かれたくなって仕事を休む者が多くいた。鉱山では、そんなふうに仕事を休むことを「へいくろうする」と言っていた。それで、ヒカゲツツジは「へいくろう花」と呼ばれていたという。
ヒカゲツツジは、「史跡生野銀山」の駐車場に早くも咲いていた。北面の岩壁に張り付くようにして群れ咲いている。花の盛りはやや過ぎていたが、下から見上げると、陽を透かした花びらはさらに淡くなって風に揺れていた。
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| 生野鉱山門柱 |
ヒカゲツツジの群落 |
鉱山門柱の左手の道路から山に入った。桜の花びらの散り敷く道に、銀山の施設から音楽が流れてくる。道路脇には、アセビが名残の花を付けている。モンシロチョウが、数匹舞っていた。
下の谷を流れる水の音が少しずつ大きくなってきた。その流れに出たところで、史跡の観光道と合流した。
道の両側には、切り立った岩盤が露出していた。岩の表面は、どれも熱水変質を受けて赤褐色をしている。道に転がっているズリを割ってみると、表面が紫色に変化した斑銅鉱が見つかった。
ここから、かつての坑口や露天掘りの跡が続いている。左側に見える大きな割れ目は、「慶寿の堀切」と呼ばれている露天掘りの跡である。小川と道をはさんだちょうど反対側にも同じような採掘跡があって、この方向に鉱脈が伸びていたことがわかる。
採掘跡は、ズリで埋められていた。ズリの中には、方鉛鉱と閃亜鉛鉱の濃集部が見られた。その先にも、江戸時代の坑口がいくつか残されている。
ふと、石から目を離してあたりを見ると、流れの上の岩にヒカゲツツジがあちらにもこちらにも咲いていた。
「粘土断層」、「全盛鉱脈」の露天掘り跡を見てさらに進むと、広い道は終点となった。
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| 「慶寿ひ」の露天掘り跡 |
閃亜鉛鉱と方鉛鉱 |
ここで、北から流れてくる小さな沢沿いの道に入った(地形図破線路)。自然林が、スギ・ヒノキの植林に変わった。
少し上ると、道の両側に古い坑口が現れた。その坑口の前の谷には、赤褐色のズリが広がっている。ズリの中から白い石英脈を見つけて割ると、方鉛鉱・閃亜鉛鉱・黄銅鉱が入っていた。
かつては、鉱石を運び下ろした道だったのだろうか。道幅も広かった形跡があるし、石積みの溝も残っている。さびたトタン板が、数箇所に残されていた。
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| 坑口跡 |
石積みの溝 |
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| タチツボスミレ |
枝打ちされたスギの枝葉を踏みながら上っていく。傾斜が増すにつれて道は狭くなり、そのうち細い杣道のようになった。やがて、石積みの溝が途切れると、道も消えた。
あたりはスギの間伐帯である。横たわるスギの木を一本一本超えて、左手の斜面を上り、小さな支尾根にとりついた。その支尾根をまっすぐに上っていく。
スギの落葉の間から、タチツボスミレが顔を出していた。
急傾斜を上り詰めたところが、金香瀬山(かながせやま)の山頂だった。スギ・ヒノキの木立の間を、西からの風が吹き抜けていく。
数本の細いクロモジの木が、若草色の葉をつけていた。近寄ってみると、まだ柔らかい葉が数枚いっしょに上を向いて付き、羽根突きの羽が舞い降りるようだった。一面褐色の世界の中で、そこだけが鮮やかに浮かび上がっていた。
山行日:2005年4月22日