駒山(260m)・大鳥山(280m)    上郡町   25000図=「上郡」


秋晴れの上郡アルプスをぐるりと周回

千種川の対岸より上郡アルプスを望む(マウスを写真に合わせて下さい)

 駒山城跡は、上郡の街並みの北、駒山の山頂にある。今回、駒山を経て大鳥山、羽山を巡る周回コースを歩いた。
 このコースは、2013年、地元の登山愛好家によって開かれた。尾根伝いのこのコースは、「上郡アルプス」と名付けられ、途中のピークには「大観峰」や「小美女平」などの名前も付けられている(神戸新聞 2013.3.14)。

 駒山は、国土地理院25000分の1地形図には、なぜだか「生駒山」と記されている。最近のいくつかのガイドブックにも、生駒山の名前で紹介されている。
 しかし、「播磨 山の地名を歩く(神戸新聞総合出版センター 2001)」によると、地元ではかつてより「駒山」と呼びならわされていた。また、同書には「村字切図(山野里自治会蔵)」に「小馬山」と当て字で記入されていることなども指摘されている。
 江戸時代の地誌「播磨鑑(1762頃)」を調べてみても、「駒山城」の項にこの城を巡る争いが記されているが、そこでも山名は「駒山」となっている。

 登山口には、「駒山登山路案内図」が立っていた。そこから、丸太階段を登って山に入った。
 登山道には岩がゴツゴツと飛び出し、コナラやアベマキのどんぐりがあちこちに落ちていた。木々の色づきを見ても、秋が少しずつ深まっている。
 道が平らになったところで、二手に分かれた。左が「平坦コース}で、右が「岩ボココース」。岩ボココースを登っていくと、シジュウカラがジキジキジキと早口で鳴いた。
 凹凸の激しい大きな岩を登ると、また平らになって平坦コースと合流した。

 さらに登っていくと、大きな岩が尾根をおおっていた。ここが、「馬の蹄(ひづめ)岩」と呼ばれているところ。案内板には、「礫岩の礫が抜けた丸い穴」と説明されていた。
 岩を調べてみると、これは凝灰角礫岩。丸みを帯びた火山岩塊が、飛び出したり抜け落ちたりして、岩の表面に凹凸をつくっていた。

馬の蹄(ひづめ)跡

 蹄岩を越して、坂道と平らな道を何度か繰り返しながら尾根を進んでいった。木々の途切れたところから、駒山城の本丸跡と二の丸跡が間近に迫って見えた。二の丸下の南面は、むき出しになった岩が荒々しい。
 日当たりの良いところを、キタキチョウの鮮やかな黄色が舞った。

 鉄塔跡で、井上からの登山道と合流。サルトリイバラがコナラに巻きつき、高いところで赤い実をつけていた。
 山頂の下に、再び大きな岩盤が広がっていた。その上の方に、四角く飛び出した「荷置岩」があった。岩の側面に、「開基背負荷常設休岩」と彫られている。重くもないリュックをその岩の上に掛けて休んでみた。

駒山山頂下 荷置岩への岩盤

 荷置岩を過ぎて岩盤を越し、数段の曲輪跡の上に出ると、駒山山頂の本丸跡に達した。
 本丸跡は北西から南東に細長く、地面はコケにおおわれていた。うす緑色の蘚苔類をまとったアベマキが周囲を取り囲んでいる。イロハモミジが、日当たりの良いところから色づき始めていた。

駒山城本丸跡

 本丸跡を後にして、二の丸跡へ向かった。何ヵ所かに石垣が残っていた。二の丸との間には、「馬落とし」の空堀が掘られていた。大分埋まっているようだが、それでも5mほどの深さがあった。

 二の丸跡は、南北に細長い三段の平坦面。ここをぐるりと取り囲む曲輪跡にベンチがあって、そこから上郡の街並みが一望できた。

 二の丸を西へ下った。急な斜面を下ると、そこに堀切があった。尾根が3mほどの深さで、幅5m分掘られている。「上郡アルプス はね上げ橋跡」と書かれた木札が掛かっていた。
 そこから、コルに向かって大きく下った。正面に見える大鳥山の山体がだんだん高くなっていく。
 コルには、「堺」と一文字彫られた古い石柱が立っていた。

コルの手前より大鳥山(右)を見上げる
(左は290mピーク)

 コルから急な坂道を登り返す。登山道には、乾いた落葉とどんぐり。途中から、コシダの中の細い道となった。
 空に向かうような急坂を登りつめると、大鳥山の山頂に達した。

 山頂は切り開かれて、眺望が広がっていた。ここまで歩いてきた尾根が低く見える。東に千種川がゆるく蛇行し、その流れの内側に田園が豊かに広がっていた。

大鳥山山頂

 大鳥山を少し下って登り返す。ソヨゴが赤い実をつけていた。ネズミサシが体のあちこちをチクリと刺す。
 すぐに290mピークに達した。このコースの最高地点。エナガの群れがアカマツの枝を目まぐるしく動き回っては、どこかへ飛んでいった。

 290mピークを下った。大観峰が正面に小さく尖っている。コルに下り、小さなピークを一つ越える。コシダを握りながら登りつめると、大観峰に達した。

 名前の通り、ここにはぐるりと360度、胸のすくような展望が広がっていた。
 千種川の上流に白旗山が山脚からせり上がり、千種川の向こうには祇園山や宝台山。千種川の下流側にも低い山並みが重なっているが、その中に尼子山の山頂が富士山型に小さく飛び出していた。
 尼子山の左を双眼鏡で探ると、相生発電所の煙突燈の左に男鹿島の島影がうっすらと浮かんでいた。
 西には高原が広がっていたが、その中に点在するピークは、地形図と見比べてみてもどこがどこなのか分からなかった。

大観峰より眺める上郡の街並み

 ここまで、ゆっくりと歩きすぎた。ここからのコースが見下ろせたが、まだ先は長い。少し先を急ごう。
 240mピークは、小さく切り開かれた中にソヨゴとアカマツが数本残る。

 次のピークが、小美女平。チリ割れた流紋岩の小石が広がる地面に、「小美女平」と書かれた小さな木札が一枚。
 ここは、北の景色がよかった。駒山と大鳥山の間の窓に、苔縄城跡がそのピークをツンと尖らせていた。

小美女平より北を見る

 小美女平から西へは、急な下り。ロープをつたって下った。南への屈曲点で道は平らになった。
 尾根の岩盤の下に、マルバハギが咲いていた。アカマツの幹の脇を抜け、ヤマウルシの木の下を走り抜ける。
 巨大な石が立ちはだかっていた。これが、「関所岩」。そこから登ると、最後のピーク、羽山に達した。アカマツやソヨゴの林が切り開かれ、その中に三角点が埋まっていた。
 ここまで来たら、あとは少しの距離を下るだけ。下ろしたリュックに腰かけた。

 北には、ここまで歩いた尾根のすべてが見渡せた。傾いた陽がうす雲を透かして降りそそぎ、あたりの山々も千種川も田園もやさしい光に包まれてたたずんでいた。

羽山より見る上郡アルプス主要部

 地面のヒメタテアゲハが飛び立ち、木の枝に止まっていたもう一匹を誘ってもつれ合うように舞った。
 さっきから鳴いていたアオジがコシダの中から一瞬顔を出し、またすぐにもぐり込んだ。

ヒメアカタテハ
 
山行日:2016年10月30日


登山口〜駒山城跡(260m)〜大鳥山(280m)〜290mピーク〜大観峰(270m)〜小美女平(200m)〜羽山(192.9m)〜下山

 登山口に近いコープこうべ上郡店の駐車場に車を止めさせてもらう。約3.5kmの周回コース。要所に標識が立てられ、登山路はよく整備されている。
 2016年4月には、大鳥山から西へ岩木山(344.5m)を経て、さらに北西に岡山県境の板場峠まで続く縦走路が完成している。
 

山頂の岩石 後期白亜紀後期  相生層群 上郡上部累層 岩木部層
          駒山 → 凝灰角礫岩
          大鳥山・大観峰 → 流紋岩

 この山域には、後期白亜紀の相生層群上郡上部累層岩木部層が分布している(5万分の1地質図幅「上郡」,1980)。

 駒山の岩石は、山頂手前の「馬の蹄岩」でよく観察できる。岩石は凝灰角礫岩で、凝灰岩中に、火山礫や火山岩塊が多く含まれている。
 火山岩塊は、大きさ最大30cm。白〜灰色の流紋岩で、石英・斜長石・カリ長石の斑晶を含んでいる。
 また、黒色頁岩を異質岩片として含んでいる。荷置岩の上では、150cm四方の褐色のシルト岩が含まれていた。

馬の蹄岩の凝灰角礫岩1
火山岩塊が飛び出している
馬の蹄岩の凝灰角礫岩2
火山岩塊が抜け落ちた穴

 駒山と大鳥山とのコル周辺には、溶結凝灰岩が分布している。軽石がレンズ状になった溶結構造が明瞭で、ガラス質で硬い。

大鳥山の流紋岩自破砕溶岩
 大鳥山や大観峰は、流紋岩でできている。淡いピンク色から褐色をしているが、風化が進んでいるところが多い。
 流理の縞模様が、岩石の表面で観察できる。
 石英・斜長石・カリ長石の斑晶を含んでいる。

 大鳥山では、大小に割れた流紋岩が固結した構造(自破砕溶岩)が見られた(写真左)。
 

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