鎌 倉 岳 (725.5m) 安富町 25000図=「寺前」「山崎」 |
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杤原川の清流に沿った道は、人家が絶えてからも山の中に続いていた。車はその道を、めざす岩壁の山の懐に深く入り込んでいった。 道が二股に分かれたところで車を降りた。車のドアを開けた瞬間、流れの水音、ウグイスの鳴き声とともに、湿った草のにおいが飛び込んできた。オドリコソウやムラサキサギゴケが咲き、鮮やかな若葉におおわれたこの狭い駐車スペースから、今日は歩き出そう。 鎌倉岳は、雪彦山から南下する主尾根から西へ派生した稜線上に高くそびえている。山頂の南西に大きく露出する切り立った岩壁が、この山を特徴づけている。鎌倉のカマもクラも崖を意味し、これが山名の由来となったと考えられている。 地形図を見ると、頂上部には二つのピークが接近していて、その低い方に三角点が埋められている。「点の記」によると、昭和44年に四等三角点を埋標されたときには、西の林田川の砂防堤より谷沿いに登られている。そのときの登山口は、今は安富ダムによってできた富栖湖の底に沈んでいる。 今回は、林田川の支流、杤原川に沿って伸びる実線路、破線路を利用して、南からの登頂を試みた。 いくつ目かの少し広い出合いに、山仕事の休憩所だろうか、トタンでつくられた簡素な小屋が建っていた。このすぐ先で、スギの植林が途絶えた。ますます急になった斜面に、水はほとんど涸れ、谷は浅く明るくなった。ここまで続いていた径も、コケのむした凝灰岩のガレ石の中に、消えていった。 ガレ石を上っていくと、木々の向こうに青い空が見えた。今日はじめてみる青い空。北から張り出した高気圧の下の空である。そして、山頂部の2つのピークの間の小さなコルの大きなモミの木の下に達した。 山頂から西へ、スギの植林の急斜面を下りた。スギの葉が地面に厚く降り積もっている。このような斜面は、道などついていない方が地面がふかふかと柔らかで、ずっと歩きやすい。地形図とコンパスをたよりに、530mのピークへ続く稜線をめざして下っていった。広くはっきりとしない尾根は、しだいに狭くなり、その地形は山頂から南西に伸びている稜線であることを示していた。 稜線上の1つの高みで、530.3mの三角点を探した。スギの植林の方には見当たらない。雑木林の中に踏み込んで、ヤブの中を探したがやはり見つからない。ヤブからやっとの思い出抜け出してふと前を見上げると、樹林の間から先ほど通過した鎌倉岳の姿が見えた。谷を歩き上り、稜線に出ても木々にさえぎられてここまでほとんど眺望が開けなかった。山に入って、初めてまのあたりに見る鎌倉岳の姿であった。 空を見上げた。サルトリイバラのとげとの格闘のあとに見上げる空の青は薄く、輪郭のぼやけた羊雲が左から右へとゆっくりと動いていた。 三角点を探し出せないまま先に進むと、小さなコルを隔ててもうひとつピークが立っていた。ここで初めて、間違いに気づいた。三角点のひとつ手前のピークで、あるはずのない三角点を探していたのだった。 無事、標高530.3mの四等三角点を通過して、境内に村相撲の土俵のある杤原水尾神社に下山した。 山行日:2002年5月6日
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林田川の支流、杤原川に沿った車道を車で進む。杤原の集落をを過ぎた道は、やがて林道となって、谷に沿って大きく東へ曲がる。その突き当たり、地形図で実線路が2本の破線路に分岐する地点の駐車スペースに車を止めた。 沢に沿ってついている北東方向の道を歩き出す。道は、すぐに狭い杣道へと変わった。標高430mの大きな出合いを左にとり、しばらく急な斜面を上った。次の標高510mの出合いには、トタンでつくられた簡素な小屋が建っていた。この出合を左にとると、すぐに次の出合いとなる。ここから上は、ガレ石の積もった浅いが、しかし急傾斜の谷となる。ここまで続いていた径は、ガレ石の中に消えていた。林も、ここでスギの植林から自然林へと変わった。この谷を北北西方向に上りつめると、鎌倉岳最高所(730m+)のすぐ西の小さなコルにたどり着いた。最高所に上った後、再びこのコルに戻り、南へ上り返すと鎌倉岳の山頂(725.5m)に達した。 鎌倉岳山頂からは、南西尾根上の三角点のあるピーク(530.3m、点名 奥中山)をめざす。この尾根は、鎌倉岳山頂からしばらくは広くてはっきりしない。スギの植林された急斜面を西へ下りていくと、やがて尾根はしだいに狭くなり、めざす南西方向につながっていった。 地形図498m地点でスギの植林から雑木へと変わった。尾根の切り開きはかすかで、ヤブコギに近い状態となった。潅木の生い茂る尾根を数回アップダウンして530.3mの三角点に達した。 そのピークからは、スギの植林の斜面を、ほとんどまっすぐ南へ下りていった。やがて、地形図の鳥居マークの杤原水尾神社の屋根が木々の間から見えた。 |
■山頂の岩石■ 流紋岩質溶結凝灰岩 (白亜紀 生野層群下部累層) 鎌倉岳には、七種山、明神山、雪彦山などを広くおおう、生野層群下部累層が分布している。 標高400mぐらいまでは、流紋岩質溶結凝灰岩の大きな露頭が見られる。基質は、暗灰色〜帯紫灰色。緻密で硬い。白く変質した長石と少量の石英が結晶片として含まれている。黒色頁岩、ピンクや緑の珪質岩、緑の火山レキを多量に含むのが特徴である。破断面から判断するのは難しいが、風化面に弱い溶結構造が現れている。 標高400m〜500mには、シルト岩が分布している。灰色の、淘汰のよい均質な岩石である。 標高500mより上は、再び流紋岩質溶結凝灰岩の分布となる。青灰色の硬い岩石で、白く粘土鉱物化した長石の結晶片が目立つ。下部の流紋岩質溶結凝灰岩と比べると、含まれる岩片の量がこちらの方が明らかに少ない。鎌倉岳山頂付近には、ほとんど露頭はないが、この上部の流紋岩質溶結凝灰が分布していると思われる。 |