高場山②(797.5m)    神河町     25000図=「寺前」


巨岩と滝の連なる掛ヶ谷から高場山へ
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宮野より望む高場山

 立岩神社の西、西谷川が流れている谷が掛ヶ谷である。
 掛ヶ谷には、一本の道がついている。
 昔、人々は牛馬の守護神であった雪彦の賀野神社へこの道を通って参拝した。大正11年になると、ふもとに発電所がつくられ、この谷の上に発電のための貯水池ができた。
 今も残るその道を、連続するする巨岩や滝を巡りながら、谷の上にそびえる高場山へ登った。

 宮野公民館をスタートして、小田原川を渡り、集落を抜ける。舗装路から土の道になり、散り敷くアカメガシワの葉を踏んで進むと、左岸に石垣で囲まれた平坦面があった。ここに、「宮野第一発電所跡」の看板が立っていた。
 それには、「大正11年(1922)から昭和4年(1929)に操業。この池から約3.5kmの上方に元貯水池がある」と記されている。

 道は細い山道となった。沢には、1mを越えるような大きな岩が重なっている。6、7mもあるひときわ大きな岩の先を左へ回り込み、小さな支流を渡って進んでいく。
 シカが高い声で二度鳴いた。スギの木立の下に、滝の落ち口がちらりと見えた。そこをめがけて、道から沢へ下ると、そこには小さな滝が連続していた。

 連続する小滝

 そこから沢に沿って登っていくと、両側に見上げるばかりの岩が岩壁をつくって屹立し、その下にゴルジュをつくっていた。
 ゴルジュをふさぐように立つ岩の上から落ちているのが、「一の滝」であった。
 落差6m。岩の右上から水が何筋にも細く分かれて落ちている。空が狭く、太陽の光は届かない。落ち口の左の岩には、ボルトとロープが残されていた。
 滝の右を高巻いて道へ戻ろうとしていると、すぐ上にも滝が見えた。再び下って、その滝の下へ。滝の水は、「くの字」になって、勢いよく落ちていた。
 「くの字」の滝の左は、「一の滝」から続いている岩壁。節理が斜めに走っている。岩壁の巨大さに圧倒される。

一の滝  一の滝の上の「くの字」の滝

 斜面を登り道へ戻った。掛ヶ谷には滝が続くが、道からは見えない。
 次に水音が大きくなったところで、谷底へ下ってみた。そこには、重なる岩の間を抜けるように細い滝が、連続してかかっていた。
 険しくて先へ進めそうにない。また道まで登り返して少し進むと、木に赤いテープが巻かれていた。そこを下っていくと、目の前に「二の滝」が現れた。
 上段で岩をなめるように滑り落ちた水が、先で3筋に分かれて赤茶色の岩肌を一気に流れ落ちている。滝の岩盤は、左の巨大な岩壁に続いていた。
 暗い谷底に一瞬光が射して、上段の滑り落ちる水を輝かせた。

 二の滝

 道へ戻った。「二の滝」のすぐ上にも、もう一つの「くの字」型の滝がかかっているのが道から見えた。

 道はその先でゆるくなって、沢の横に出た。沢には滑床がしばらく続いていた。険しかったここまでと対照的な穏やかな光景。ほっとできるところである。
 道のそばに炭焼き跡。沢に広がる岩には、落ち葉が積もっていた。

滑床の流れ

 やがて道は沢から離れて、急坂を上っていた。水の流れがずっと下になった。木に赤いテープが巻かれていた。谷の底から、滝音が聞こえてくる。
 そこから、急な斜面を谷底へ下っていくと、「三の滝」が現れた。
 三ノ滝は、上段、中段、下段の三段からできている。以前来たときは、道から中段が見えたが、今回は木が茂って見えなくなっていた。今、目の前に見えているのは、下段である。
 岩にぶつかって砕けた水が、滝つぼへ落ちてしぶきを上げていた。透明な滝つぼの底には、岩が敷き詰められている。滝つぼは、茶色の落ち葉で縁取られていた。
 風もないのに、頭上から絶えず木の葉が降っていた。

三ノ滝 下段  三ノ滝 滝つぼ

 また道へと登った。
 支沢に沿って、50cmぐらいの岩が連なっている小さな岩塊流があった。道がまたゆるくなって、再び沢の流れに沿った。
 沢を渡り右岸を進んだ。倒木が多く荒れた道となった。沢が岩壁にふさがれたところで、その右を回り込んで進む。
 岩とスギの枝葉と落葉樹の落ち葉の道をひたすら歩いた。もうここまでで、時間をかなり費やしてしまった。
 やがて、石垣が見え、その上に広がる貯水池に出た。
 
 堰堤の石垣の上で、一休みした。静かな湖面にエナガの声。あたりの紅葉はもうすっかり終わっていた。サルトリイバラが赤い実をつけていた。

 山上の貯水池

 池のほとりから送電線の巡視路がつけられている。スギ林の下をつづらに登っていく。しばらく、木の間から下に貯水池の湖面が見えていた。
 
 高場山の頂上に着いたのは、もう午後2時前だった。三角点は、枯れたススキにうずもれていた。
 山頂から、あたりがよく見えた。
 鉄塔をのせた三辻山が近く、その左肩に暁晴山がのっている。笠形山が大きい。遠くに六甲の山影。七種槍と七種山の間に高御位山がかすんでいた。

高場山山頂から見る三辻山(左) 高場山山頂から見る笠形山 

 山頂から、東へ続く尾根を下った。
 思っていたよりずっと手ごわい下りだった。尾根の切り開きはあいまいで、倒木や木々でところどころふさがれていた。ゆるいアップダウンを何度も繰り返し、急な坂を登ると683.3mピークに達した。
 三角点の周りは、コナラの落ち葉で敷き詰められていた。傾いた日が、その上に木の影を長く伸ばしていた。

 688.3mピークから、尾根に岩場が続いた。岩場の下は、大きな岩壁だった。岩の角や木の幹に手をかけながら、岩場を越えていく。

絶壁の上の岩場

 木々の中で、ルートを外さないように何度も位置を確認した。やがて、険しい岩場も途切れた。それでも、尾根には急な坂が続いた。
 その傾斜もようやくゆるくなってきた。地面をおおうコシダを分けて下っていくと、簡素な社が立っていた。山之口大明神を祀る神社である。
 ここは、地元では明神山と呼ばれるところで、高朝田の集落が一望できる。毎年12月には「明神山祭り」があって、ここで神事や子ども相撲、餅つきが行われている。

 新田橋にたどり着いたのは、午後4時半を過ぎていた。

山行日:2022年11月18日

宮野公民館~一の滝~二の滝~三ノ滝~貯水池~高場山(797.5m)~683.3m三角点~新田橋 map
 宮野の集落の西に墓地があって、その下に広い駐車スペースがある。貯水池までは道があるが、一部は荒れている。貯水池から、送電線巡視路を利用して高場山山頂へ登った。
 地質を調べるために選んだ下山コースは険しかった。

山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩
高場山の溶結火山礫凝灰岩(横32mm)
F:長石(変質している) Q:石英
R:流紋岩の岩石片 Fi:本質レンズ(フィアメ)
 今回のコースには、白亜紀後期の大河内層が分布している。巨大な噴火による火砕流が堆積した地層である。
 今回のコースで見られたのは、主に溶結火山礫凝灰岩である。褐色から灰色で、強く溶結していて緻密で硬い。火山ガラスの量が大きく、結晶片は少ない。結晶片として石英・斜長石・カリ長石をふくんでいるが、どれも2mm以下と小さい。
 流紋岩、安山岩、砂岩、頁岩などの異質岩片を多くふくんでいる。
 高場山山頂にも露頭が見られるが、風化が進んでいた。

 滑床周辺の溶結火山礫凝灰岩は緑色で、成層している。数mm~1cm程度の火山礫を多くふくんでいる。

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