甲  山 (309.2m)    西宮市              25000図=「宝塚」

秋に染まる都会の山に憩う

軽登山道Ca.140mピークから望む甲山

 市街地にポッカリとドーム型に浮かぶ甲山は、西宮のシンボルであり、ハイキングやリクリエーションの場として市民に親しまれている。
 ここはまた、花崗岩や安山岩、それに大阪層群の地層が分布し、地質学的にもおもしろいエリアとなっている。特に、安山岩は四国の屋島や大阪府・奈良県境の二上山と同じように中新世の火山活動による瀬戸内火山帯のサヌカイト類に属し、兵庫県ではここでしか見ることができない。
 紅葉が里に下りた秋の一日、森林公園から甲山を歩いてみた。

 甲山森林公園南入り口から入ると、右手にすぐ「軽登山道」の登山口があった。まずは、甲山に背を向けて雑木の下の小さな尾根を進んだ。眺めのよい小ピークを1つ超え、小さな谷に架かる橋を渡って北に上ったところが、「展望広場」と名の付いたもう1つの小さなピークである。
 花崗岩がオブジェのように顔を出し、重なっている。西側の岩に立つと、森林公園の低地の向こうに甲山が丸く立っていた。山のふところには神呪寺の堂塔が群れ立ち、鳥の声に鐘の音がのどかに交じった。
 薄くかかっていた朝もやが晴れ、紅葉がいっそう鮮やかに見えた。

 コンクリートの橋を渡ると、関学方面からの道と合流した。ここで、「軽登山道」に別れ、家族連れにまぎれて私も公園内のカエデの下を歩いた。
 クロガネモチ、ムクノキ、エノキ、アカメガシワ、ヤマモモ……。木には、樹木名のプレートが掛かっている。「この木何の木?」のプレートは、裏返すと木の名が分かる仕掛けだった。
 「みくるま池」を過ぎ、オレンジ色の欄干の「みどり橋」を渡って「シンボルゾーン」へ。ヤマモモの並木にはさまれた先に、真っ白い「愛の像」が立ち、その背後を甲山がふさいでいる。「愛の像」に向かって歩くと、ベンチや石段、あるいは芝生の上から、にぎやかな声が聞こえてきた。

シンボルゾーン 愛の像と甲山

 林内の小道を通り車道を渡って、「甲山自然の家」へ。ここから山頂に向かった。
 掘り込まれた登山道の両側に、黒や白や赤の小石がぎっしりつまった大阪層群の地層が現れた。この小石は、およそ150万年前の川原の石である。石を拾っていると、何をしているのかと不思議そうな顔で話しかけられた。
 再び現れた花崗岩の上を行くと分岐があった。右手の斜面に階段状につけられた道を上る。
 木々を透かして、下に市街地が見え始めた。ムラサキシキブが、細い枝の先端近くに小さな実を2つ、3つかためてつけていた。

 山頂は、驚くほど広い広場になっていた。何人もの人たちが車座になって憩っている。三角点の横には、この山の安山岩を積み上げたケルンがつくられてた。
 広場のまわりは、ぐるりと雑木で囲まれている。その下の道を、一回り歩いてみた。黄、茶、オレンジとまらだに色づいたコナラの木の下では、子どもたちが落葉の中にドングリを探していた。
 

甲山山頂 大阪市市街地と背後の生駒山

 山頂から甲山南麓の古刹・神呪寺へ下った。好天の休日のせいか、参拝客が多かった。子どもたちに混じって、私も寺の鐘を鳴らしてみた。
 満車となった駐車場の脇から、「甲山四国八十八ヶ所参拝道」が南へ下っている。石仏や花崗岩の露岩がところどころに立ち並んだマサ土の道を進み、車道を渡って197mの小ピークへ。いくつかの大きな花崗岩が、風化に耐えてのっていた。
 1番大きな花崗岩の上には、矢跡が並んでいた。かつて、この石を誰かが割り取ろうとしたが、それが失敗したのか、そこから落ちた部分が今もその下に残っていた。

 ここからは、甲山がまたよく見えた。空では、巻雲がくずれて広がり始め、ちりめん状のしわになった部分が絹のような光沢を放っていた。やわらかな陽射しに包まれた、穏やかな小春日和の一日だった。

197mピークより甲山を望む

山行日:2005年11月23日
甲山森林公園南入口〜(軽登山道)〜Ca.140mピーク〜Ca.140mピーク〜みくるま池〜甲山森林公園管理事務所〜みどり橋〜シンボルゾーン(笠形噴水・愛の像)〜甲山自然の家〜甲山山頂〜神呪寺〜197mピーク〜神呪寺
 甲山森林公園のマップは、甲山森林公園管理事務所や甲山自然の家でもらうことができる。今回はこのマップを利用した。
 初めに、甲山森林公園南東端の仏性ヶ原をぐるりと巡る「軽登山道」を歩いた。関学方面からの園路に合流した地点で軽登山道と別れ、園路を「みくるま池」、「みどり橋」、「シンボルゾーン」へと公園内を進んだ。
 そこから、北へ少し上った「甲山自然の家」に寄って、甲山山頂へ。
 山頂から神呪寺に下り、市道を渡って「甲山四国八十八ヶ所参拝道」を利用し、その南の197mピークまで足を伸ばした。
■山頂の岩石■ 斜方輝石安山岩

 甲山は、斜方輝石安山岩でできている。これは、今から約1300万年前(新第三紀中新世)に火山が噴火してできた岩石である。その後の長年にわたる風化と侵食によって、どんどん削り取られ、ついには地下にあった火道(マグマの通り道)あたりが現在の甲山として残った。
 安山岩の露頭は、甲山山頂への道沿いのところどころに見られる。また、道に転がる石や道の石段として利用されている石もこの安山岩である。
 安山岩の表面は風化によって白っぽく変質しているが、割ってみると内部は暗灰色で緻密である。また、表面に流理構造による縞模様や斜長石の斑晶による白い点が見られるものがある。このような安山岩を割ってみると、流理構造に平行に薄く板状に割れる。
 甲山の安山岩は、その成分やつくりからサヌカイト類と呼ばれている。四国のサヌカイトと比べるとやや緻密さに欠け、叩いてもカンカンといい音はしない。しかし、部分的には、貝殻状に割れて割れ口が尖ることもある。


 詳しくは、「甲山の花崗岩・安山岩・大阪層群(準備中)」を見てください。

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