入相山② (780.0m)  神河町    25000図=「粟賀町」「生野」


岩屋から大屋峠を経て入相山へ
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入相山(右が大屋峠、左が高坂峠)

 四方を山に囲まれた神河町。市川と福知川が流れ出る谷底平野の他は、峠道によって隣りの町とつながっていた。
 かつての峠道は今、国道や地方道が通っているところもある。道だけが残され、ほとんど人の往来の絶えてしまったところもある。岩屋から大屋峠までの道は、その道跡さえ消えてしまっていた。

 賽の神の大岩から坂道を登り、茶ノ木原の集落を抜ける。防獣ゲートを過ぎるともう民家はなくなって、スギ林へ入っていった。道の脇に水が流れていて、そばにウツボグサが咲いていた。
 広い道を進んだ。道の先にいたヤマドリが、低く飛んで行った。何度目かのカーブを曲がると、道は荒れていた。草木が生い茂り、もうずっと人や車の通った形跡はなかった。
 沢の手前にミヤマアカネが飛んでいた。ホバリングしてはススキの細い葉に止まり、葉といっしょにゆらゆらと揺れた。
 

ミヤマアカネ

 道は水の枯れた沢を渡っていたが、そこでは完全に崩れていた。地層の現れた岩盤がむき出しになっている。沢をおおうアカメガシワは果実がふくらみ始めて、先端に残る花柱が茶色に色づいていた。
 沢を渡って、夏草の生い茂る道を進んだ。道はようやくゆるく上り始めた。道にはガレ石が転がり、その間をマツカゼソウがおおっている。マツカゼソウの花と別の、白い点が目に止まった。
 しゃがみこんで見ると、白い点の一つはヤマトウバナの小さな花。もう一つは、シオヤアブ(♂)の腹部先端についている白い毛の束だった。
 カーブを大きく曲がると、草木におおわれた谷の向こうにU字型に開いた大屋峠が見えた。

旧峠道の先に見える大屋峠

 谷はガレ石で埋まっていて、その中に峠道は消えた。ガレ石の上は歩きにくいので、右のスギ林にもぐりこんだ。
 ヒヨドリのにぎやかな鳴き声に、シカの声が重なった。
 スギの木の下には、ロックフォールが広がっていた。岩はコケにおおわれている。岩の上に倒れた木の幹は朽ち始めていて、幻想的な景色をつくり出していた。


 ロックフォール

 道がそれたことに気がついた。もとの地点まで戻り、方角を確認してガレ石の谷を進む。
 岩の間に木々が茂り、倒木も横たわっていて、なかなか前に進めない。
 谷を渡って左側に入りこむと、道跡が見つかった。そこには炭焼き窯の跡があった。

ガレ場を進む

 道跡はやぶにおおわれていた。ミツマタを手で分けて進むが、ときどきサンショのトゲが体にささった。ジャケツイバラのトゲは返しがついていて、もっとやっかいだった。体に一度まとわれると抜け出すのに手間がかかった。
 谷の左の斜面にも大規模なロックフォールが広がっていた。クロツグミが鳴いていた。モンキアゲハが、木漏れ日に当たっては光りながら、岩の上を飛んだ。

 急なガレ場のヤブ漕ぎに、体力が失われていった。よろけて岩に手着くと、目の前に山吹色の鮮やかなキンモンガが止まっていた。
 少し登っては、スギの木の幹にもたれて息を整えた。スマホに示される標高が少しずつ高くなっていくのだけが励み。
 谷の最上部は、谷の全体にロックフォールが広がっていた。岩を一つひとつ乗り越えながら上へと登る。
やがて谷の両側に、ロックフォールの岩をつくり出した岩壁が現れた。一枚の大きな岩壁というわけではなく、3mを越すような大岩の重なりが途切れながら連続していた。
 岩には節理が発達していて、ここから膨大な数の岩が割れて下へ崩落した。

谷最上部付近のロックフォール ロックフォールの上の岩壁 

 標高620m・・・。655mの峠まであと35m・・・。
 岩壁帯の上にはもう岩がなかった。急坂だったが、スギの葉と枝の積もった土の上は歩きやすかった。どこからか、つづらになった細い道も現れて、大屋峠に達した。
 人々がこの峠を越えて行き来したのは、いつごろまでだったのだろうか。大屋峠は今、笠形山から千ヶ峰へと続く縦走路の鞍部として存在している。そこには、「仙人ハイク 縦走コース」と記された道標が、ひとつだけぽつんと立っていた。

大屋峠

 峠で時間をとってゆっくりと休んだ。十分に給水し、おにぎりを食べる。ここからは、尾根に広い道がついていた。
 尾根には自然林が広がっていた。アセビやソヨゴ、ネジキなどの細い木の中に、アカマツやコナラやモミなどの大きな木が混じっていた。


 入相山への尾根道

 ウラジロノキの新しい葉が落ちていて、その白さがきわだった。
 ピークを二つ越えて、最後のコルに達した。ふもとから見た波打つ山頂部の姿が実感できるアップダウン。山頂まであと少し・・・。
 尾根に南風がゆるく通って、木々の影が揺れた。クロツグミのリズミカルで、しかも多彩な鳴き声が響いていた。 
 自然林の急坂を登り、ヒノキ林に入ったところが入相山の山頂だった。

入相山山頂

 山頂は木々に囲まれていたが、木々のすき間から東だけ眺望が開けた。
 妙見山が近くに大きい。その山頂の上は、三嶽を盟主とする多紀連山が重なっている。

 山頂から東を望む

 妙見山の右手には、幾重にも山並みが重なっていた。空は層積雲におおわれていたが、視程の良い日だった。遠くの山ほど青くて淡い。いちばん遠くに、京都の地蔵山から愛宕山への稜線が浮かんでいた。

遠くに浮かぶ地蔵山から愛宕山への稜線

 入相山の山頂から北東へ尾根を進んだ。750mのピークを越えると、あとは高坂峠へと下るだけだった。
 662mピークの手前のコルには道標があって、そこから谷を下った。はじめはいい道だったが、やがてガレ場の中に道は消えた。
 再び現れた道を下ると高坂峠に達した。

 高坂峠もかつては人や物が行きかった。今でも車の通行は可能であるが、高坂トンネルができたため、ここを通る人や車はほとんど絶えている。
 峠には、「天保五牛三月吉日」の銘が刻まれた子安地蔵が静かに佇んでいた。

高坂峠
山行日:2023年8月5日

賽の神の大岩~大屋峠~入相山~662mピーク手前のコル~高坂峠 map
 岩屋から大屋峠への峠道は、途中で消える。谷を埋めるガレ石の上を、ヤブを分け、倒木を乗り越えて登っていった。
 大屋峠から入相山山頂を経て662mピーク前のコルまでは、尾根道が続いている。コルから、沢に沿って下っていくが、途中ガレ石の中に道が消えているところがある。
 高坂峠に置いていた自転車で、賽の神の大岩へ戻った。

山頂の岩石 白亜紀後期 笠形山層 溶結火山礫凝灰岩
 大屋峠から入相山、高坂峠の尾根には、笠形山層の溶結火山礫凝灰岩が分布している。特徴的な赤褐色で、石英・斜長石・カリ長石・黒雲母の結晶片に富んでいる。このうち、野外では石英の結晶片がぎらぎらとよく光って目立つ。黒雲母は変質している。普通角閃石も少量ふくまれている。この地層は、火砕流堆積物と考えられる。

 賽の神の大岩から旧峠道の標高350mあたりまでは、成層した緑色の溶結凝灰岩の地層が見られる。斜長石とデイサイトの岩片をふくんでいる。この地層は、火砕サージ堆積物と考えられる。

 高坂峠からの峠道には、デイサイト溶岩が分布していた。

溶結火山礫凝灰岩(火砕サージ堆積物)
茶ノ木原の東、標高310m地点(横10mm)
溶結火山礫凝灰岩(火砕流堆積物)
岩屋峠付近(横14mm)

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