|
多田坂峠から飯森山を越えて高坂峠へ
飯森山は、千ヶ峰と笠形山を結ぶ稜線の、ほぼ中央に位置している。この山をふもとの寺内あたりから見ると、東のピークがツンと尖り、西のピークがなだらかに盛り上がっている。三角点は東のピークにあって、その標高は900.7mである。
浅い谷に沿って、細い山道が西へ上っていた。道は踏み跡程度で頼りないが、それでも消えることはなかった。 さらに一本の林道を横切ると、石で組まれた四角い祠が遺跡のように残されていた。祠の奥には一体のお地蔵さん。石仏に供えられたシキミは、まだ新しい。峠を越えて行く人を往時から守り続けたこのお地蔵さんは、地元の人たちに今も大切に祭られている。
角張った花崗岩のガレ石を踏んでさらに登った。坂はだんだん急になり、沢音もしだいに小さくなった。地面は、ガレ石からスギの落ち葉に変わり、道はつづらになった。ススキの穂を分けてこの坂を登り切ると、多田坂峠に達した。
峠には新しい森林基幹道が通り、上空からは鉄塔と送電線がかぶさっていて、もう昔の面影はなかった。 今日初めて開けた展望に、大井戸山や篠ヶ峰、岩屋山を見て、その峠から笠形山・千ヶ峰縦走コースに入った。 縦走コースは、広くてよく整備されていた。湿った黒土に落ち葉が積もり、それらがクッションとなって心地よい。ところどころにヒカゲノカズラが地面を這い、ミヤマシキミが赤い実をつけている。行く手を見上げると、坂の上に午後の太陽がまぶしく輝いていた。 Ca.800mの小さなコブを過ぎたあたりで、花崗岩から溶結凝灰岩に変わった。板状節理で割れ落ちた溶結凝灰岩は、ところどころに鳥のくちばしのようになって地面から飛び出していた。 少し下ったコルからCa.820mの肩に登り返すと、展望が大きく開けた。眼下に越知川の流れる谷が細長く横たわり、その上に播但国境の山々が稜線を引いていた。
ススキの原から、再びスギ・ヒノキの林に入った。いよいよ最後の登り。木の根と岩の斜面を登ると大きな岩が現れた。その岩を巻き、胸突きの急坂を登り詰めると、飯森山の頂上に達した。
山頂を西へ下った。最初のコルから登り返すと標高900mの広いピーク。ヒノキの下には、背の低いアセビが枝を張り、地面にはギンリョウソウが白色を際立たせていた。ここを南に下ると、左手の眼下に多可町の山地や細長い平地が広がり、ずっと遠くに六甲の山並みがかすんでいた。
何度か小さく登りながら、南へどんどん下った。鉄塔をくぐり、ソヨゴの赤い実を見ながら雑木林を下っていくと高坂峠に達した。 山行日:2011年11月26日
|
||||||||||||||||||
| 多可町多田登山口〜271m標高点〜峠入口(標高500m)〜多田坂峠〜飯森山(900.7m)〜731.4mピーク〜593mピーク〜高坂峠=自転車=多田登山口 |
||||||||||||||||||
| 多田から多田坂峠へ登り、播磨を東西に分ける稜線を南に進んで飯森山山頂へ。稜線をそのまま南下し、高坂峠へ下った。 高坂峠へは、神河町岩屋側からは車の通行不可。多可町奥荒田側からは通行できる。 |
||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||
| 山頂の岩石 後期白亜紀 笠形山層 流紋岩質溶結凝灰岩 |
||||||||||||||||||
| 飯森山の山頂で見られるのは、流紋岩質の溶結凝灰岩である。暗灰色で、強く溶結していて硬い。結晶片として、多量の石英・長石・黒雲母、少量の普通角閃石を含んでいる。結晶片の大きさは、最大5mmである。また、岩石片として若干の黒色頁岩(最大10mm)を含んでいる。 この地層は、笠形山層に属していて、後期白亜紀の火砕流によってできたものである。 多田坂峠付近には、花崗閃緑岩が分布していた。これは、大畑に分布する岩体と同じものであるが(大畑岩体)、ここでは斑状の岩相を示している。斑状結晶として斜長石と石英を含み、基質は細粒の石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・普通角閃石から成っている。細粒の緑簾石が含まれているため、岩石が緑色を帯びて見えるところがある。 |
||||||||||||||||||
|
「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ 登山記録へ |