飯森山(900.7m)        多可町・神河町  25000図=「生野」「丹波和田」


多田坂峠から飯森山を越えて高坂峠へ

多可町寺内より望む飯森山

  飯森山は、千ヶ峰と笠形山を結ぶ稜線の、ほぼ中央に位置している。この山をふもとの寺内あたりから見ると、東のピークがツンと尖り、西のピークがなだらかに盛り上がっている。三角点は東のピークにあって、その標高は900.7mである。
 この朝、飯森山の山頂付近にかかった雲の影は、カメラを構えて待っていても、ずっとそこから動かなかった。穏やかな晩秋の一日であった。

 多田の集落を過ぎ、宮前谷川に架かる多神橋を渡ったところで西に折れ、獣よけフェンスの前に車を止めた。
 ヒノキ林の中の道を進むと、271m標高点の近くに一軒のロッジが建っていた。ここで道は大きく曲がり、川に沿って北へ向かっていた。右岸から左岸、左岸から右岸へと、何度か川を渡りながらその道を登っていった。
 スギやヒノキの林が続いた。間伐や枝打ちが行き届いた林の中には木漏れ日が射し込んで、落ちた枝葉の積もる地面をまだらに照らした。
 標高420mあたりで、一本の林道を横切った。そこからも、ずっと白いコンクリートの道が続いた。ミツマタのつぼみは、白い綿毛に柔らかく包まれている。クロモジは黄葉し、ムラサキシキブが紫の実をつけていた。

 標高500mで、南北に延びる林道に合流した。多田坂峠へ向かう山道の入口は、この林道を少し進んだところにあった。
 そこには、「大はた 生野」と行き先の彫られた石の道標が立ち、その傍の立て札に道案内が記されていた。
 多田から多田坂峠を越え、大畑に出てから生野鉱山へと続く古い道………。その大部分は、新しいに林道にとって替わられたが、ここからはその旧道が残されている。道案内によると、石の道標は嘉永2年(1849年)、ペリーの黒船来航の4年前につくられている。

ムラサキシキブ 「大はた いくの」への道標

 浅い谷に沿って、細い山道が西へ上っていた。道は踏み跡程度で頼りないが、それでも消えることはなかった。
 さらに一本の林道を横切ると、石で組まれた四角い祠が遺跡のように残されていた。祠の奥には一体のお地蔵さん。石仏に供えられたシキミは、まだ新しい。峠を越えて行く人を往時から守り続けたこのお地蔵さんは、地元の人たちに今も大切に祭られている。
 
旧道の脇に祭られたお地蔵さん

 角張った花崗岩のガレ石を踏んでさらに登った。坂はだんだん急になり、沢音もしだいに小さくなった。地面は、ガレ石からスギの落ち葉に変わり、道はつづらになった。ススキの穂を分けてこの坂を登り切ると、多田坂峠に達した。

 峠には新しい森林基幹道が通り、上空からは鉄塔と送電線がかぶさっていて、もう昔の面影はなかった。
 今日初めて開けた展望に、大井戸山や篠ヶ峰、岩屋山を見て、その峠から笠形山・千ヶ峰縦走コースに入った。

 縦走コースは、広くてよく整備されていた。湿った黒土に落ち葉が積もり、それらがクッションとなって心地よい。ところどころにヒカゲノカズラが地面を這い、ミヤマシキミが赤い実をつけている。行く手を見上げると、坂の上に午後の太陽がまぶしく輝いていた。
 Ca.800mの小さなコブを過ぎたあたりで、花崗岩から溶結凝灰岩に変わった。板状節理で割れ落ちた溶結凝灰岩は、ところどころに鳥のくちばしのようになって地面から飛び出していた。
 少し下ったコルからCa.820mの肩に登り返すと、展望が大きく開けた。眼下に越知川の流れる谷が細長く横たわり、その上に播但国境の山々が稜線を引いていた。
越知の谷と播但国境の山々

 ススキの原から、再びスギ・ヒノキの林に入った。いよいよ最後の登り。木の根と岩の斜面を登ると大きな岩が現れた。その岩を巻き、胸突きの急坂を登り詰めると、飯森山の頂上に達した。

 山頂の周りには、雑木林が広がっていた。コナラは、もう葉を落とし始めている。落ちずに枝に残った褐色の葉は、陽光に透かされて青色の空に浮かび上がった。
 山頂の展望は北方向に開け、北西の稜線上に白岩山、高畑山、小畑山、白口などのピークが並んでいた。北には、千ヶ峰が、雄大にスロープを広げている。千ヶ峰から左に下る尾根の窓に、遠く粟鹿山がのぞいていた。

飯森山山頂 千ヶ峰を望む

 山頂を西へ下った。最初のコルから登り返すと標高900mの広いピーク。ヒノキの下には、背の低いアセビが枝を張り、地面にはギンリョウソウが白色を際立たせていた。ここを南に下ると、左手の眼下に多可町の山地や細長い平地が広がり、ずっと遠くに六甲の山並みがかすんでいた。
 木の幹や岩に、白や赤のペンキで印がつけられていた。ずっと明瞭な縦走路が続いた。
 731.4mピークには、新しい金属の四等三角点が埋められていた。木の幹の影が縦走路に落ちて、縞模様をつくった。木の上では、カラ類が鳴いていた。

稜線より見下ろす 731.4mピーク

 何度か小さく登りながら、南へどんどん下った。鉄塔をくぐり、ソヨゴの赤い実を見ながら雑木林を下っていくと高坂峠に達した。

山行日:2011年11月26日

多可町多田登山口〜271m標高点〜峠入口(標高500m)〜多田坂峠〜飯森山(900.7m)〜731.4mピーク〜593mピーク〜高坂峠=自転車=多田登山口
 多田から多田坂峠へ登り、播磨を東西に分ける稜線を南に進んで飯森山山頂へ。稜線をそのまま南下し、高坂峠へ下った。
 高坂峠へは、神河町岩屋側からは車の通行不可。多可町奥荒田側からは通行できる。

山頂の岩石 後期白亜紀 笠形山層 流紋岩質溶結凝灰岩
 飯森山の山頂で見られるのは、流紋岩質の溶結凝灰岩である。暗灰色で、強く溶結していて硬い。結晶片として、多量の石英・長石・黒雲母、少量の普通角閃石を含んでいる。結晶片の大きさは、最大5mmである。また、岩石片として若干の黒色頁岩(最大10mm)を含んでいる。
 この地層は、笠形山層に属していて、後期白亜紀の火砕流によってできたものである。

 多田坂峠付近には、花崗閃緑岩が分布していた。これは、大畑に分布する岩体と同じものであるが(大畑岩体)、ここでは斑状の岩相を示している。斑状結晶として斜長石と石英を含み、基質は細粒の石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・普通角閃石から成っている。細粒の緑簾石が含まれているため、岩石が緑色を帯びて見えるところがある。

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