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生野銀山の坑道で見る地質と鉱脈 金香瀬坑道では、江戸時代から近代にわたる時代での採掘跡が見られます。 江戸時代は人力で掘られ、そのノミ跡が今も坑内に残っています。 近代になると機械化されていきます。鉱石をかき集めたスクレーパーや積み込んだローダー、運んだ鉛電池機関車などが坑内に展示されています。地下の巨大な空間には、鉱夫や鉱石を運んだケージ(エレベーター)の巻揚機がそのまま残されています。 金づちを振るったり、機械を操作しているのは個性豊かな銀山ボーイズたちです。 また、坑道の天井や側壁を懐中電灯で照らせば、いくつもの鉱脈を見ることができます。 【生野銀山に関連するページ】 1.金香瀬坑道へ 生野鉱山は、1973年の閉山に至るまでの間、大小70条以上の坑道が開発されました。その総延長は350km以上におよんでいます。坑道の最深部は地表から880m(海抜マイナス520m)に達しています。 総延長350kmという距離は、生野銀山からだと静岡県富士市、あるいは山口県宇部市までの直線距離にあたります。 観光坑道の長さは1kmなので、私たちが見ることのできる坑道は長さで350分の1、そしていちばん浅いところに掘られた坑道ということになります。
代官所門から史跡生野銀山へ入ると、正面にアーチ型に開いた石造りの入口が見えます。これが、観光用に公開されている金香瀬坑道の坑口です。 明治初期、鉱山の近代化のために生野に招かれたコワニエが築造したフランス様式の坑口です。
坑口から坑道の中へと入ります。夏なら涼しく、やがて寒くなります。冬なら温かく感じます。坑内の気温は年間を通じて13℃なのです。 下が金香瀬坑道の坑内図です。鉱脈①~⑦のうち、②・④・⑥・⑦には坑内に標示があります。①・③・⑤は、私が確認したものです。
2.江戸時代の採掘と近代の採掘 金香瀬坑道の中には、江戸時代から近代までの採掘のようすが再現されています。再現しているのは、超スーパー地下アイドル「銀山ボーイズ」です。60人の銀山ボーイズの中には女子も入っています。 入口や出口付近は、「江戸時代採掘ゾーン」です。坑口から入るとすぐに排水坑が現れます。江戸時代には、ノミと金づちで穴が掘られていました。岩肌にはノミの跡が今も生々しく残っています。 銀山ボーイズが排水坑の中で金づちを振るっています。発券所でもらった「銀山ボーイズ 全メンバー プロフィール」を見ると、これは飛鳥くん(あすかくん)。生まれた瞬間、父の金づちを持って3歩あるき、「生野銀山唯我独尊」と言いました。人気投票では常に上位を占める人気者です。
江戸時代には、ひと一人がやっと入りこめる穴をはいながら掘り進んでいました。これを「狸掘(たぬきぼり)」といいます。 狸掘の跡はいくつもあって、複雑に走る鉱脈に沿って手掘りで掘り進んだようすが伝わってきます。苦しい労働であったにちがいありません。 最初の狸掘で穴から顔を出しているのは源太(げんた)です。横穴界のスペシャリストで、鉱脈のにおいを感じたらどこまでも横に掘り進みます。好きな食べ物は、緑のたぬきです。 狸掘は金香瀬坑道の天井あたりに掘られています。途中一ヵ所にはしごが掛けられていて、はしごを登れば狸堀を真横から奥まで見ることができます。
坑道の出口当たりでは、銀山ボーイズがいろいろな坑内作業をしています。江戸時代の鉱山にも、分業によっていろいろな職種がありました。 鉱脈をさぐり掘り進む堀大工。掘り出された鉱石を背に負って運ぶ負子(おいこ)。坑内の設計のために山を測量する振矩師(ふりがねし)。 鉱石を小さく砕いて銀や鉛をふくんだ鉱石をより分ける作業には女子があたり、砕女(かなめ)と呼ばれていました。
坑道奥の慶寿ひや大丸ひあたりは、「近代採掘ゾーン」です。ここでは昭和期の採掘のようすが再現されています。 ダイナマイトで破砕された鉱石を手前の方にスクレーパーでかき寄せるスラッシング。採掘された鉱石を井戸から抜いてトロッコに積み込み、鉛電池機関車で運ぶ鉱石運搬。鉱脈を探すための長孔削岩機によるボーリングなどです。
坑道の奥からドドーンと腹に響く音がしました。誰かが坑内爆破体験装置のスイッチを押したのです。そこには、発破のためのダイナマイトのセットの仕方も説明されています。 大丸ひ坑道を進むと、突き当りに巨大な空間があります。ここにあるのが巻揚機です。太いワイヤを巻いたドラムが二つ並んでいて、その先の光栄立坑のケージ(エレベーター)を動かしていました。 鉱夫たちは、このケージに乗り込んで地下深くにもぐっていきます。ドアのないケージにすし詰めになって乗り込んでいる鉱夫たちの写真が展示されていました。 このケージには、地下で掘られた鉱石も乗せられてトロッコの走る送鉱坑道へと運ばれました。
鉱石の採掘は下から上に向かって掘り進められます。生野鉱山では、シュリンケージ採掘法とサンドスライム充填法によって採掘が行われました。 シュリンケージ採掘法は、鉱脈に沿って掘った鉱石を足場にして下から上へと掘り上がる方法です。最後に掘った鉱石を漏斗(じょうご)にかき落とし、下で待つトロッコに積み込みます。 この採掘法による採掘の跡が坑道の奥で見られます。狭く細長い穴が下へと続き、迫力ある光景をつくっていました。
サンドスライム充填法は、掘った鉱石はすぐにかき出して、その空間をサンドスライム(砂や泥)で埋め、削岩機で掘れる高さに調整する方法です。 シュリンケージ採掘法では、足場となる鉱石内に空洞ができやすく不安定になります。この欠点を補うため、1953年(昭和28)からサンドスライム充填法が取り入れられました。 サンドスライム充填法の跡の鉱石井戸や足場が坑道で見られます。
3.坑道で見られる地質と鉱脈 生野銀山に分布しているのは後期白亜紀の生野層です(吉川ほか,2005)。 生野鉱山の周辺には、主に流紋岩質の溶結凝灰岩が分布しています。この地層は、大規模な火砕流によって堆積したものです。 溶結凝灰岩のほかには、流紋岩溶岩あるいは岩脈、安山岩や玄武岩の岩脈なども見られます。 このような地層を母岩として、生野鉱山の鉱床がつくられました。 生野鉱山の鉱床は、熱水鉱脈鉱床です。マグマから分離した熱水や、マグマによって熱せられた地下水が周囲の岩石と反応した熱水が、断層や断裂を上昇する過程で有用鉱物を沈殿させました。 生野鉱山の金香瀬坑道は、コンクリートや樹脂、あるいは鉄の板などでおおわれているところもありますが、天井や側壁の広い範囲で岩盤を直接見ることができます。 観察には懐中電灯が必要です。できるだけ表面がよごれていないところを見つけて観察します。 地層の中に鉱脈も見ることができます。ただし、表面が水で濡れているので鉱脈を構成する鉱物の形や劈開を観察することは難しい場合がほとんどです。もちろんハンマーでたたくことも採集することも禁止です。 坑道の入口付近には、白っぽく塊状の岩石が見られます。石英や長石の結晶がふくまれ、有色鉱物はどれも変質しています。これは、流紋岩質の溶結凝灰岩です。この岩石は、坑口近くの野外でも見ることができます。 この岩石でできた地層は金香瀬本坑や慶寿ひ坑道へ続いていきます。坑口近くでは塊状ですが、多くのところでは変質が進んでもろくなっています。 大丸ひの途中から黒い玄武岩に変わります。白亜紀の火砕流堆積物の地層に玄武岩がともなうことは珍しいのですが、ここでは岩脈として貫入しています。太閤水の近くの玄武岩中には石英脈が発達していました。
玄武岩の岩脈には、あとから流紋岩が貫入していて複雑な境界をつくっています。流紋岩が玄武岩の中に入りこんだり、玄武岩をブロック状に取り込んでいるようすが各所で見られました。 熟成庫の近くでは、断層が見られます。ここでは、断層に沿って岩石が破砕されているようすが観察できます。
鉱脈は7ヶ所で確認できました。そのうち4ヶ所は、坑内に標示があります。鉱脈は、どれも石英脈や方解石脈にともなって黒い縞模様をつくっています。 鉱脈は、閃亜鉛鉱や方鉛鉱を主として黄鉄鉱や黄銅鉱などをともなっていると思われますが、細粒結晶の集合なのと表面が水でぬれていることで、構成する鉱物の種類をはっきりと同定することはできませんでした。 鉱脈①は、熟成庫のそばの天井に見られます。鉱脈の標示はありません。 幅10~30cmで、白い石英脈と黒い鉱脈が縞模様をつくっています。鉱脈は2筋あるいは3筋に枝分かれしながら延びています。
鉱脈②には、天井に「鉱脈」の標示があって「石英(白い場所)の中に金・銀が含まれています。黄色く光っているのが金です。」の説明があります。 ここには、鉱脈の幅が最大50cmの鉱脈があります。石英脈の中に確かに黄色の小さな点が見えますが、これが自然金なのかはわかりませんでした。
鉱脈③は、「江戸時代の手掘り跡」の延長したところに小規模に見られます。鉱脈の標示はありません。 江戸時代の手掘り跡は、ここから五枚合掌支柱組へと続いているので、ここがこの鉱脈の端なのかもしれません。
鉱脈④は、坑内爆破体験装置の手前で道が3つに分かれたところにあります。天井から側壁にかけて鉱脈が延びているようすが見えます。天井では、幅数cm~10cmの小規模な岩脈となっています。 「岩肌に黄色く光っている鉱物は、硫化鉄鉱です。」の説明があります。これは黄鉄鉱のことだと思いますが、確認できませんでした。 ここでは、鉱脈にともなう石英の中にジオード(晶洞)があって、そこに水晶が見られました。 紫外線ライト(長波)を当てると青紫の蛍光を発するところがありますが蛍石だと思われます。
鉱脈⑤は、ボーリングをしている銀山ボーイズ鉱一(こういち)の近くの天井に見られます。鉱脈の標示はありません。 鉱脈の幅は30cm程度で、枝分かれして縞状になったり(写真下)、網の目状になっています(このページの冒頭写真)。
鉱脈⑥は、巻揚機の手前の天井から側壁にかけて見られます。ここには、「生野の代表的な鉱脈 鉱幅70センチメートル 銀580グラム/トン 鉛4.84パーセント 亜鉛8.49パーセント」とあります。 鉱脈にともなう白い部分は、主に方解石です。大きさ1cm以上の劈開が見られます。紫外線ライトを当てると、長波・短波ともに薄く赤い蛍光を発しました。
鉱脈⑦は、出口に近いところにあります。「亜鉛、鉛鉱脈」の標示があって、何筋にも分かれて延びる鉱脈を示すプレートが側壁に張られています。
鉱石の金属成分が溶けだして水や酸素と結びついてできた鉱物を二次鉱物といいます。青色や白色の皮膜状の二次鉱物が見られました。青色は銅の二次鉱物、白色は亜鉛の二次鉱物の可能性がありますが、鉱物種はわかりませんでした。
引用・参考文献 吉川敏之・栗本史雄・青木正博(2005)生野地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅).産総研地質調査総合センター,48p. ■岩石地質■ 後期白亜紀~古第三紀 金属鉱床 |