氷 ノ 山  (1509.8m)      関宮町                  25000図=「氷ノ山」

氷ノ山、春の新雪を歩く

氷ノ山(ブン回し尾根より山頂を望む) 氷ノ山(東尾根休憩小屋の窓より嶮しい山容の北東斜面を望む)

 「多田ケルン」……その追悼碑は、登山口の親水公園の奥に立っていた。兵庫の山々を歩き、名もない山やそこに咲く小さな花を慈しみ、愛した多田繁次。山の自然の素晴らしさ、山を歩くことの楽しさが綴られた氏の著書が、私を山に誘った。その文章には、氏の純粋な人柄がにじみ出ていた。
 いくつもの丸い石をコンクリートで固めた素朴な碑……私は、我を忘れてその前にしばらく立っていた。

 氷ノ山は、多田繁次がこよなく愛した山の一つであった。

布 滝
 昨夜降った春の新雪が、まぶしく光っている。新雪の下の残雪は、今朝の低温に硬くしまり、アイゼンの爪が気持ちよく雪にくい込んだ。
 親水公園の先の砂防堤を過ぎ、沢にかかる小橋を渡って、左の急斜面をつづらに上っていった。最初の曲がり角の右奥に、高く滝がかかっている。絹の光沢をもった白い糸の束が、黒い岩肌を清冽に滑り落ちている。落差65m、「布滝」である。
 次の曲がり角には、遭難者の冥福を祈る石仏と石碑が立ち、今度は左にまた別の滝が見える。
 さらに上っていくと、深く侵食された左手の谷を見下ろせる地点に出た。新雪をまぶした谷底の黒い岩盤を、水が何度も方向を変えながら滝となって滑り落ち、その水音があたりに響いている。「不動の滝」と「くの字滝」……。山に入ったばかりなのに、このあたりは曲がり角ごとに新しい見事な風景が目に飛び込んでくる。


 傾斜はやがて緩やかとなり、コナラ、ミズナラなどにブナが混じる自然林からスギ林に変わった。
 そのスギ林をくぐって進むと、丸太にトタンの張られた「地蔵堂」が立っていた。かつて、加藤文太郎が一夜を明かしたお堂である。建物は造り変えられたというが、お堂の後ろに立つトチノキの老木なら、文太郎をここで見ていたかもしれない。
 再び自然林となり、ブナが増えてきた。ブナの灰白色の樹皮には、地衣類が青くパッチ模様をつくり、浅い横線が入っている。触れてみると、その木肌はすべすべと滑らかで、ひんやりとしていた。ブナの新芽はまだ小さく、褐色の殻を硬くかぶっていた。
 「弘法の水」は、雪を割ってチョロチョロと流れ出ていた。手ですくうと、思ったより暖かく、口に含むとほんのりと甘い感じがした。
 そして、辿り着いた「氷ノ山越」には、ヒュッテ・石仏・因幡堂跡の石柱・いくつかの道標が立っていた。新雪の上に、にぎやかな足跡やスキーのシュプールが残っている。今朝、山頂の避難小屋から来たのだろうか。それらの足跡は山頂方向からここで曲がり、西の舂米に向かって下っていた。
 氷ノ山越から「ブン回し尾根」と呼ばれている稜線を山頂へ向かう。薄雲でおおわれた空の下、白い山肌に葉のないブナの木が疎らに立っている。寒々としたモノトーンの世界。甑岩(こしきいわ)の裾を巻き、雪の稜線を上り切ると、三角屋根の避難小屋の立つ山頂に達した。

 山頂の広場は、小屋と三角点の周辺だけ雪が溶け、赤褐色の土の中に丸まった安山岩の溶岩がゴロゴロしている。山頂広場の先には、白い雪面が大きく広がり、そしてなだらかに緩やかに下っている。ところどころに黄色く枯れたチシマザサが顔を出し、ブナの木がポツリポツリと立っている。ダイセンキャラボクが、雪をかぶりながらも、わずかに緑を見せている。

氷ノ山山頂から望む扇ノ山(手前は赤倉山)
 空気は澄んでいた。北に低く、薄く黒紫に濁った雲の層が水平に伸びている。ここ数日、猛威を振るった黄砂が、今日は日本の上の高気圧に押されて、そこまで退いている。
 その雲の下、扇ノ山が、雪の斜面にそれほど深くはないがくっきりとした山襞を浮かび上がらせている。扇ノ山の手前には、広く深くそして平らな森がゆるく右に上がり、青ガ丸の背後に続いている。
 西の陣鉢山と、雪を頂いた青く大きな山体の東山に挟まれた低地の遙か向こうに、大山の白い峰が浮かんでいた。
 南には、三室山・後山、北東には雪をまぶした三川山・蘇武岳・妙見山……。深くて雄大な自然が、目の前に広がっている。

 氷ノ山山頂を西へ下らないといけないのに、間違って南へ下ってしまった。
 目の前に展開する風景に、あるいは振り返った氷ノ山の姿に気をとられて、なかなかその間違いに気づかなかった。緩やかな高まりを越え、三ノ丸への稜線を半分くらい進んだところで、どうもようすがおかしいと思って地形図を取り出し、やっとまちがいに気がついた。
 道を間違ったおかげで、思わぬ幸運もあった。
 雪上にキツネが歩いていた。向こうも私に気づき、双方立ち止まってしばらく目を合わせていた。私が一歩踏み出すと、キツネは軽やかに雪面を走り去った。
 東尾根に戻るため、山頂から南東斜面に広がる雪原を、千本杉めざしてスノーシューで走り渡った。今からおよそ250万年前に流れ下った溶岩流でできた、広大で緩やかなこの斜面。降り積もった雪は、白く、明るく、そして眩かった。

山行日:2002年3月25日

山 歩 き の 記 録

行き:福定親水公園〜多田ケルン〜布滝〜地蔵堂〜弘法の水〜氷ノ山越〜甑(こしき)岩〜氷ノ山山頂
   (氷ノ山越コース、ブン回しコース)
帰り:氷ノ山山頂〜1448mピーク先でUターン〜千本杉(東尾根コースへ)〜神大ヒュッテ〜東尾根休憩小屋〜東尾根登山口〜氷ノ山国際スキー場〜福定親水公園
   (県境尾根コース、東尾根コース)

県境尾根からの氷ノ山山頂 雪原に浮かぶ氷ノ山山頂

 関宮町福定から氷ノ山越を経て山頂に達し、東尾根を下るという一般的なルートを歩いた。
 福定の集落を過ぎて林道に入り、八木川に沿って車を進める。布滝橋で八木川を渡ったところが、福定親水公園の入口。ここが、氷ノ山越コースの登山口となっていて、山頂まで5.2kmと道標にある。車を止め、アイゼンをはいて歩き出した。親水公園の奥に、「多田ケルン」は立っていた。砂防堤の右を通って、雪におおわれた小さな橋を渡り、左側の斜面を上っていった。
 道はつづらに上っている。最初の曲がり角を、登路から離れてそのまま直進すると、「布滝」を見上げる橋に出る。先ほどの砂防堤の横から、沢の左岸沿いにもこの橋ま道がつながっている。
 次の曲がり角には、氷ノ山遭難者の冥福を祈る石碑と石仏が立っている。左手の沢に、「くの字滝」や「不動滝」を見ながら、急な斜面を上っていく。「不動の滝」と同じ高さぐらいの地点に、「あずきころがし通行止め 迂回路」と大きく記された標識が立っていた。谷の急斜面をトラバースする「あずきころがし」は、まだ危険なようである。標識に従って、小さな尾根の下につけられた迂回路を歩く。やがて、道は緩やかになり、青い小さな「地蔵堂」を過ぎた。
 小さな小川を渡って、再び傾斜を増した斜面を上っていく。左手の谷を二つ隔てた向こうに、高く稜線が見えた。ドーム状に突き出しているのが、甑岩。その左の高みに、山頂の避難小屋の三角屋根が見える。「弘法の水」を過ぎて、「氷ノ山越」に達した。
 氷ノ山越から、山頂までは「ブン回しコース」と呼ばれている稜線歩きである。傾斜は、そんなにきつくない。甑岩には、まだらに雪が張りついていた。岩につけられた登路を途中まで登ったが、垂直に近い壁にぶつかった。下まで戻って、この岩の左側を巻いて先に進んだ。そして、氷ノ山山頂に達した。
  氷ノ山山頂を西へ下らないといけないのに、間違って南へ下ってしまった。1448mの小さなピークも過ぎ、山頂から三の丸へ半分程度進んだところでやっと誤りに気がついた。Uターンしてしばらく稜線を戻ったが、途中から右手に大きく広がる雪原を渡り、東尾根の千本杉に辿り着いた。
 そこから、緩やかに傾いた雪原をスノーシューで駆け下りた。雪原の向こうに、初めて人を見た。神大ヒュッテは、いつ通過したのか分からなかった。いつの間にか、大段ケ平への分岐を過ぎ、予定の東尾根コースを下っていた。
 尾根はしだいに狭くなり、まだ新しい東尾根休憩小屋に着いた。小屋の扉を開くと、炭のにおいがぷんとした。小屋の前の分岐で、東尾根を離れ、山の斜面を北西方向に下った。下り着いた林道には、「氷ノ山東尾根登山口」と刻まれた立派な石碑と案内板が立っていた。林道を北へ、氷ノ山国際スキー場を通って、福定親水公園へ帰った。
   ■山頂の岩石■ 新第三紀鮮新世  氷ノ山安山岩

甑(こしき)岩
 氷ノ山は、今からおよそ250万年前(新第三紀鮮新世後期)の火山活動によって生まれた。安山岩質の溶岩を主とし、それに火山灰や軽石、火砕流堆積物の層を挟んでいる。 この安山岩質溶岩は、北へ鉢伏山、瀞川山へと続く稜線付近に広く分布している。
 今回、登路の多くは雪におおわれていたが、甑岩や東尾根休憩小屋付近など何カ所かで露頭が観察された。岩石は、いずれも安山岩。灰色を呈しているが、やや風化した部分では淡く褐色〜紫色を帯びている。斑晶の斜長石が粘土鉱物化した白い斑点が、石基の中に目立ち、輝石と思われる黒色鉱物の斑晶も含まれている。甑岩では、板状〜方状節理が見られた。
 「布滝」の下の、方状節理の見られる岩石は、ひん岩である。このひん岩は、岩脈として貫入したもので、「猿尾滝ひん岩」に対比されている。暗灰色、緻密で非常に硬い。斑晶は小さく、肉眼では最大2mmの斜長石や、最大1mmの輝石あるいは角閃石が認められる。
 「布滝」も「不動滝」も、このひん岩がつくり出した黒い絶壁にかかっている。

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