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船越山(727.2m) 佐用町 25000図=「千草」 瑠璃寺から倒木を越えて山頂へ
氷ノ山・後山・那岐山国定公園に位置する船越山。
観音堂で軽トラを降り、歩く準備をして池ノ谷の脇の杣道に入った。杣道は、すぐに谷から大きく左にずれ尾根をめざしていた。 雑木の下に、ガレ石が連なっている。その上に、二匹のサルが体をくっつけていた。傍らには、先ほど観音堂まで案内してもらった職員。 モンキーセンターから逃げ出したサルで、職員に連れられて山を下りているところであった。なかなかいうことを聞かず、遊んでいてすぐには下りない。 帰りにモンキーセンターで聞いてみると、なんとか全部無事に帰ったということであった。もとは、この山にいた野生のニホンザルを、餌付けしたものらしい。
道は尾根の手前で右に曲がって、元の池ノ谷に下った。
スギの倒木はずっと続いた。消耗しながら登り詰めていく。ようやく、杉の木立の間から空の青が見えた。最後は頂上南東斜面を直登すると、船越山の山頂に達した。 山頂の三角点も杉の林の中だった。。杉の落ち葉に敷き詰められた地面には、ミヤマシキミやモミの幼樹が疎に生えている。眺望はほとんど開けないが、静かな冷気の漂う山頂であった。
山頂から尾根を北にたどり、千合地峠へ向かった。ここには、かすかな踏み跡が続いていた。
モンキーセンターの下から、奥の院に通じる道が西へ上っていた。そこまで登ると船越山の姿が見えるかと思い、奥の院をめざしたが、急な道でなかなかハードだった。スギの巨木が続いていたた。 奥の院の南に天狗堂があった。ここには、行基にこの山を案内した”天狗さま”の説明板が立っていた。 そこには、天狗さまは、「奥の院(薬師堂)近くの聖谷山山頂にお祀りしてあります」と記されている。聖谷山とは、奥の院の北の571mピークなのだろうか。 奥の院を越して571mピークまで登ると、アカマツの間から西日に照らされた船越山の山頂がわずかに見えた。 山行日:1999年10月9日
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| 瑠璃寺駐車場〜常福寺〜観音堂=(池ノ谷)=船越山山頂〜千合地峠=(寺谷川)=モンキーセンター〜奥の院分岐〜奥の院〜571mピーク〜奥の院分岐〜瑠璃寺駐車場 |
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| 瑠璃寺から船越山まで北に延びるのが池ノ谷。船越山の西を巻いて千合地峠へ続くのが寺谷川。 池ノ谷を登って船越山に達し、尾根を北へ進んで千合地峠へ。千合地峠から寺谷川に沿った破線路を瑠璃寺へ下った。約5時間の山歩きであった。 |
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| 山頂の岩石 白亜紀後期 安山岩質凝灰岩 |
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| 山体全体に、白亜紀後期のいわゆる生野層群が分布している。 頂上付近には露頭がないが、歩いたコース沿いには好露頭がたくさん見られ、安山岩と、安山岩質凝灰岩が交互にでてきた。また、転石にはシルト岩や砂岩が含まれていた。 安山岩質凝灰岩は明灰色のシルトの礫を多く含んでいる。石英の結晶をほとんど含んでいないが、モンキーセンター下の露頭で見られた火山礫凝灰岩には少量の石英の結晶が見い出された。 安山岩は、やや緑色がかった暗灰色で硬く緻密である。斑晶として、長さ2mm程度、短冊状の角閃石あるいは輝石が含まれている。(緑色粒状の鉱物も含まれているが、これはカンラン石かもしれない。) |
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