福知渓谷上流部       神河町   25000図=「長谷」


晩秋の福知渓谷を遡る
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晩秋の福知渓谷

 晩秋の福知渓谷を遡(さかのぼ)った。
 沢登りと言っても、岩石を調べることが目的だから、岩をたたきながらゆっくりと2Kmあまりを歩いただけである。

 宍粟市と神河町の境界に近い橋のたもとから川に下った。

スタート地点 ここから川に下りた

 川の両岸の岩は落ち葉におおわれていた。水に落ちた葉は、川面のよどんだところに集まり、そこから流れにとらえられてはまた流れていった。
 川の幅は広くなったり狭くなったりした。川原に広がる石の上を伝い、岸から張り出した岩を乗り越えて進んでいった。
 水は澄んでいて、川底の石が一つひとつよく見えた。流れを渡ると、ときどき登山靴が水に濡れた。

福知川の景観 水が淵へと落ちる 

 宍粟市から神河町に入って北に進むと、両岸に大きな岩盤が切り立っていた。岩の間を水が勢いよく流れている。
 岩は節理が発達したデイサイト。岩脈としてここに貫入している。岩脈の周囲の安山岩質の火砕岩と見た目がそんなに変わらないので、ていねいに調べながら進まなければならなかった。

節理の発達した岩盤
デイサイトでできている

 その上流は右側が開けて、広がった河原を水がゆるく流れていた。
 ふもとはよく晴れていたのに、渓谷の上の空は厚い雲におおわれていた。ときどき、その雲から小さな雨粒が落ちてきた。
 メギが、赤くて細長い実をつけていた。

水がゆるく流れる

 川の左に長く続く石垣が見えた。石垣の上や下には数段の平坦面が広がっている。川からそこへ上がってみると、林道に面したところに「長沢村の集落跡」の案内板が立っていた。案内板は古くて、文字が見づらくなっている。
 長沢村は、中世から存在していて明治の始め頃まで人が住んでいた。平家の落武者が住んでいたという平家落人伝説がここにも伝わっているという。
 ただし、「長沢村」という集落名には混乱がある。『神河町歴史文化基本構想(神河町教育委員会 2016)』には「長層(ながそ)集落跡」とあるし、福知渓谷上流のこのあたりは「長層渓谷」と呼ばれてきた。
 

集落跡

 右から沢が流れ込んでいるところに小さな湿地があった。茶色のオオミズゴケが、ところどころに盛り上がっている。

小さな湿地

 湿地に点在する岩はコケにおおわれ、そこにヒメアギスミレがブーメランのような形の葉をつけている。湿地を流れる水の上に、オランダガラシが小さな葉を広げていた。

ブーメランのような葉のヒメアギスミレ  水面に葉を広げるオランダガラシ

 流れは、ところどころに小さな淵をつくっていた。ピョ、ピョという鳥の鳴き声が近くで聞こえた。曲がり角を曲がった瞬間、淵の一つから一羽のカモが飛び立った。
 カモは、少しだけ移動しようで、再び鳴き声が聞こえてきた。何という種類のカモなのか知りたかったが、次も飛び立つ音で後姿がちらりと見えただけだった。
 石をたたきながら歩いているので、鳥など動物の姿をとらえることはなかなか難しい。
 目の前をちらちらと飛びながら横切ったものがいた。すぐ近くの木に止まったので、これは写真に撮ることができた。ナカオビアキナミシャクであった。

ナカオビアキナミシャク

 雨はときどきパラパラと降ったが、風もなく穏やかな一日だった。
 夕方になると、渓谷にも陽が射し始めた。
 登山靴は、まだ少し水に濡れていた。

夕陽に染まる福知渓谷
山行日:2021年11月20日

福知川宍粟市神河町境界付近から755m標高点手前までの約2.3Km
 砥峰高原へと続く県道が交わる「広域基幹道 千町・段ヶ峰線」起点に広い駐車スペースがある。ここに車を止め、県道を宍粟市側へ少し移動し、橋のたもとから川へ下りた。

渓流の岩石 白亜紀後期 デイサイト岩脈、 峰山層安山岩質溶結火山礫凝灰岩、 峰山層流紋岩質溶結凝灰岩
 はじめに見られるのは、デイサイトである。淡灰色~濃灰色で、緻密な岩石である。斜長石と普通角閃石の斑晶をふくんでいる。全体的に鉱化変質が見られ、黄鉄鉱や白鉄鉱が鉱染状に生じている。斜長石は緑簾石に変質していることが多い。このデイサイトは、峰山層に貫入した岩脈と考えられる。
 次に、峰山層の安山岩質の溶結凝灰岩が現れる。斜長石と普通角閃石の結晶片をふくんでいる。風化面で、火山礫とレンズ状に伸ばされた軽石を観察することができた。
 最後に、流紋岩質の溶結凝灰岩が現れる。石英と長石の結晶片を多くふくんだ淡灰色の岩石である。
 

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