不動の滝  神河町  25000図=「丹波和田」「但馬新井」「生野」


不動の滝から白口峠へ
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千檀の滝(不動の滝 雄滝)の上部

 越知川の向こうに、「不動の滝」が見えた。朝日に映える新緑の中で、おとといの大雨で豊かな量の水が白い筋となって落ちていた。

 神河町新田の不動の滝は、「水ヶ野滝(雌滝)」と「千壇の滝(雄滝)」からなっている。この2つの滝は500mも離れていて、地図の上でも歩いてみても独立した別々の滝のように感じる。ふもとから見えたのは、下の水ヶ野滝の方である。

 不動の滝の由来は、地区の人が昭和初期に滝中腹の岩を掘り、役行者・不動明王・大日如来の三尊像を奉ったことによる。それ以来、人々は家族の安泰をここで祈り、戦争時は出征兵士の武運長久を念願して参ったという。地元の人々につながりの深い滝である(現地案内板より)。

 大歳神社の前から越知川を渡り、遊歩道を歩く。弘法大師の石像を過ぎると、水音が大きくなって水ヶ野滝の下に出た。
 落差40m、落口から飛び出した水が途中で岩にぶつかって方向を変え、再び勢いを増して下へと流れ落ちている。
 瑞々しい緑に射し込む陽光が、滝の上からゆっくりゆっくりと降りてくる。滝の下では、水が岩にぶつかることによってつくり出されたミストが、複雑な空気の動きに沿っていろいろな方向に流れていた。

 水ヶ野滝(不動の滝 雌滝)

 滝の左に掛けられた鉄の階段を登る。途中で小沢を渡ると、階段の勾配が急になった。階段を登り切ったところが、滝の上の「かっぱのさら」見晴台。
 谷の向こうに千ヶ峰が大きくそびえている。ふもとの新田では、田んぼの水が光って田植えが始まっていた。

 見晴台から短い階段を下りると、滝の落ち口がすぐそこに見えた。水の上のV字に開いた窓から、鮮やかな木々の緑が見えた。

水ヶ野滝 落口

 階段を下り、沢に沿った遊歩道を進む。
 沢の水は、狭い谷底をウォータースライダーのように流れていた。道は幾度か沢を渡りながら、先へと続いていた。水量が多く、足を水に入れないと渡れないところがあった。
 遊歩道の丸太階段は古くなって、朽ち始めている。道は少しずつ消え始めていた。
 あたりは新緑の自然林。オオルリの声を今年初めて聞いた。

 滝の音がだんだん大きくなって、ようやく千檀の滝が現れた。
 落差53m、滝は二段になっていて、上段を勢いよく真下へ落ちた水が、下段では白いレースのように広がって岩盤を滑り落ちていた。

 千檀の滝を見上げる

 滝の右の切り立った崖に狭い谷があって、そこを流れる水が滝の下で合流している。その谷を下から見上げると、洞窟が見える。
 木の根をつかんで、洞窟の前までよじ登ってみた。洞窟は2つあって、鉱山の試し掘りの坑口だった。どちらの坑口も大きさは、幅2m、高さ3mほど。左は5mほど掘り進んだところで掘るのを止めている。右はもっと奥へと掘り進められていて、10m以上ある。
 生野鉱山に近い神河町北部には、小さな鉱山がたくさんあった。一攫千金の夢を追って、山師たちは山の中をくまなく歩いた。
 しかし、こんなに山深く、切り立った崖の下にも鉱脈を探し求めていたことに驚く。
 坑口の前の岩盤には、石英脈が複雑に折れ曲がりながら走っていた。石英脈に沿って鉱床がつくられることは多い。岩盤に現れた石英脈を見て、ここを掘ったことが想像される。
 

 2つの坑口

 坑口から滝の下に戻る。滝の左に丸太階段が上っていて、ここを登ると滝の上段の下に出た。ほとんど水は真上から落ちてくる。
 ミストは濃くなり、滝に近づくと水滴がかかってきた。
 小さな滝つぼの上に、虹がかかっていた。


 千檀の滝にできた虹

 道はここまでだった。滝の左手の急な斜面を登ることにした。
 地面に出た木の根や岩、木の幹に手足をかけて登っていく。岩の上のコケは水をたっぷり吸いこんでいて、岩に手をかけると手袋がぐっしょり濡れた。
 少し傾斜がゆるんだところで右へ回り込むと、千檀の滝の落口の上に出た。

 そこからも急な斜面がしばらく続いた。ようやく緩くなってくると、谷がいくつかに分かれるところがあった。方向を左に取りながら進んでいくと、谷の上に杣道がついていた。
 杣道は谷を何度も回り込みながら、ほとんど水平に南へ向かっていた。このまま進むと、いくらたっても目ざしている林道に出ることができない。
 杣道に別れ、尾根を登って林道に出た。

 林道脇の切り株に座って一休み。登山靴も手袋もどろどろになっていた。ミソサザイの声が聞こえてきた。

 林道はどんどん進めた。道はスギゴケやゼニゴケの仲間、マツカゼソウやチドメグサなどにおおわれていた。
 小さなコルから尾根道を歩いた。尾根も切り開かれていて歩きやすかった。あたりはスギやヒノキの植林地。
 林床に、シキミが枝を広げて芳香を漂わせている。先ほどから、ツツドリがずっと鳴いていた。
 
 ひと登りしたところが、標高805.5mの点名黒尾のピークだった。三角点の標石は、落ち葉や枯れたシダによって半ば埋まっていた。
 地面をおおうヒカゲノカズラは、先端がふくらんで白い毛が集まっている。その白が陽光を受けて目立った

点名黒尾の三角点 ヒカゲノカズラ 

 尾根を西へ緩く下っていく。倒木が多くなってきた。コルから登り返すと、地籍図根三角点のあるピークへ達した。
 シジュウカラが鳴いていた。いろいろな声のバリエーションで鳴くのがおもしろかった。

 そこからも道はアップダウンをくり返す。コルには、古い峠道が分かれていた。北から吹き上げてくる風が心地よい。露頭もほとんどないので、鳥の声を聞きながらのんびりと歩いた。アオバトの声が遠くでした。

 713mピークでは、木々の間から北の山々が見えた。山の名前はなかなか分からなかったが、ずっと遠くにアンテナを乗せた粟鹿山が望めた。
 このピークで、少し休んだ。ウリハダカエデの葉が大きい。1本のカナクギノキが何本にも枝分かれして、そのどれもが上に向かって伸びていた。


 カナクギノキ(枝分かれした1本の木)

 尾根道をさらに進んでいくと、道が広くなった。尾根道がそのまま作業道になっていた。
 682.0mの三角点、点名白口はスギ林の中にあった。アセビのオレンジ色の若葉が日を透かしていた。

 アセビの新葉

 三角点を南に進み白口峠に下った。

 白口峠は、古くから人々が行き来した峠であった。江戸時代、作畑をはじめ越知川流域で獲れた米などの生活物資がこの峠を越えて、銀山で栄える生野へ納められた。この峠を越えて生野銀山へ通った鉱夫もいた。暗い中、提灯の明かりを頼りに嫁入りした話も残っている。

 峠近くの作畑側に大師堂がある。お大師さんの石像には、新しいシキミと花が供えられていた。

山行日:2023年5月9日

スタート(大歳神社前)~不動の滝(水ヶ野滝・千壇の滝)~805.5m三角点(点名黒尾)~682.0m三角点(点名白口)~白口峠 map
 ゴールの白口峠に自転車を置き、新田の大歳神社から歩き始める。
 千壇の滝まで遊歩道がある。千檀の滝から谷に沿って登り、杣道に出る。杣道から林道に出て、尾根を西に進み白口峠に下る。尾根には切り開きがあり、途中から作業道となる。

山頂の岩石 白亜紀後期 生野層 安山岩
  今回歩いた尾根上には、生野層の安山岩が分布している。風化していることが多いが、新鮮な安山岩は灰色で、緻密で硬い。斑晶として長柱状の斜長石と短柱状の単斜輝石をふくんでいる。単斜輝石は緑簾石などに変質していることが多い。この安山岩は、越知川をはさんだ千ヶ峰に分布している安山岩と同じものだと考えられる。
 一方、不動の滝は流紋岩質の溶結凝灰岩にかかっている。強く溶結していて、石英の結晶片がよく目立つ。
 不動の滝の入口では、成層した頁岩の地層が見られた。

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