法楽寺山(315m) 神河町 25000図=「粟賀町」 伝承の古刹、法楽寺からろう石鉱山へ map 神河町法楽寺の裏山、法楽寺山やその周辺にはかつて「ろう石鉱山」があった。神河町教育委員会のOさんよりその位置情報をいただいたので、現地を訪ねた。
参道の山側にはずっと地層が表れている。火山礫凝灰岩などの火山性堆積物と泥岩などの湖成堆積物がくり返し出てくる。泥岩の連続性はよくなくて途切れがち。
地層が流紋岩溶岩に変わり、やっと歩く速さがアップした。
法楽寺は、奈良時代前期の大化年間、法道仙人の開基と伝えられている。「播州犬寺」とも呼ばれ、その縁起となった枚夫長者と二頭の愛犬の物語はよく知られている。
本堂手前の石段を上ると、両脇に白と黒の犬の像が祭られていた。枚夫長者を救った二頭の犬は、白犬と黒犬だったと言い伝えられている。
山頂から北東へ進むと切り立った崖の上に出た。この崖は、ろう石の採掘跡。崖の上の石をたたいてみると、珪化した流紋岩だった。
次の小さなピークで方向を北西に変えて尾根を下った。 キシタエダシャクが木に止まった。それより小さな蛾も足元を飛んでいたが、葉の裏に隠れるように止まるので何だかわからない。 コバノタツナミが咲いていた。 傾斜が緩くなると、尾根はウラジロとコシダのジャングルとなった。シダを手で分け、足で踏みつけて下っていくと、墓の前の広場に飛び出した。
ここから、吉冨のろう石鉱山跡を探した。手には、Oさんにもらった陰影起伏図がある。その中に、2ヶ所えぐれたところがあって、そこが鉱山跡である。
今日の予定は、これで終了。道をめざしてふたたびヤブをこいだ。
山行日:2023年5月31日
法楽寺参道入口~法楽寺~法楽寺山~吉冨のろう石鉱山跡~法楽寺参道入口 map |
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神崎公民館駐車場に車を止める。法楽寺までは参道を歩く。法楽寺から先に道はない。 吉冨の鉱山跡に行きつくのは、なかなか困難である。 |
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山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層 流紋岩 |
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この流紋岩は、下位の火山性堆積物の上に重なる溶岩である。 変質していて白色~オレンジ色をしていることが多い。石英と長石の斑晶が、まれに残っているところがある。 山頂の北の流紋岩には球顆が発達している。また、流理が見られるところもあった。 火山性堆積物との境界部では、珪化あるいはろう石化していて数ヵ所でろう石が採掘されていた。 |
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