蓬莱峡〜岩原山・譲葉山・岩倉山 西宮市・宝塚市 25000図=「宝塚」 |
---|
蓬莱峡から座頭谷を遡り、東六甲の三山へ
東西約30kmにわたり細長く横たわる六甲山地は、約100万年前頃から今に続く断層運動によって隆起した山脈である。断層は六甲山地を南北から挟み、地震のたびにずれ動いて六甲山地を押し上げてきた。
岩に近寄り、太多田川の流れを背にして、目の前に立つ岩壁を見上げた。 頂部は複雑に削り込まれ岩骨が乱立している。派生する襞にも尖塔が連なっている。岩壁の表面には、雨水によって彫り込まれた溝、ガリーが無数に走っている。飛び出した部分は、絶妙のバランスで立っているが、一部は割れ目が広がり今にも崩壊しそうである。 岩壁の下には崩れ落ちた岩が転がり、その岩が粉々に砕けてできた砂が手前に広がっている。過去繰り返し動いてきた断層による岩石の破壊と、地表での風化と侵食の営みは、ここにまるで西部劇の舞台のような景観をつくり上げていた。 岩壁直下の砂の上には、アイゼンの爪あとが残っていた。岩石の破砕や風化の様子を観察しながら岩の下を歩いていると、右手のV字に削られた岩の間から登れそうなところがあった。岩に手をかけて這い上がってみた。踏み跡が、岩の溝にたまった砂の上についている。傾斜が急になったところから、岩肌に浅いステップが切られていたがもう登れない。小さな岩頭を回って、下の砂地へ下りた。 再び太多田川の河原に下り、次に現れた屏風岩の間を通って蓬莱峡の深部へと入っていった。いくつかの支沢を進んだが、最後はどこも堰堤やヤブに進路をさえぎられた。先に進むのをあきらめ、太多田川を下って始めの蓬莱峡堰堤に戻った。 今度は座頭谷を上流へ向かった。谷の左の広い道は、そのまま雑木の中の小道に続いていた。谷には砂防堰堤が連続し、そのどれもが砂で埋まっている。座頭谷の連続する堰堤は、断層破砕帯の風化と侵食の激しさをそのまま表している。 座頭谷に左から流れ込む大谷の流れを横切り、雑木の中の小道を進むと4段に重なる大堰堤がそびえるように立っていた。道はその堰堤の左を巻き上がっている。最後はコンクリートの階段を上って堰堤の上に立つと、それまでの風景が一転した。 そこには、砂に花崗岩の転石が積み重なる褐色の河原が大きく広がっていた。そして河原の向こう岸には、ほとんど垂直に切り立つ大きな岩壁がむき出しになっていた。 上流には、なおも崩壊してできた岩壁が屏風のように並んでいる。ちょうどその岩壁の上に太陽が乗り、うす雲を通して逆光を放っている。広い河床の中を緩く蛇行する流れの近くを、その逆光に導かれるようにしてゆらゆらと進んでいった。 しだいに水量を減じていく流れは、鉄分を沈殿させ、石の表面を濃い赤褐色に染めている。低い堰堤は、その下に無造作に積まれた石をステップにして乗り越えた。。 谷幅が狭くなり、岩壁が両岸から迫ってくる。幾重にも重なって連続する岩壁の間を抜けて達した座頭谷の源頭部で、振り返ってみた。そこには、草木も人をも寄せ付けないバッドランドが、西に傾いた陽を浴びて神秘的ともいえる姿で広がっていた。
さらに河床の疎林を少し進むと、座頭谷の脱出口が右手にあった。そこから、急斜面を上る。葉の縁が白く隈どられたミヤコザサを分けて斜面を上り切るとミツバチ園に出た。 東六甲縦走路をめざして、しばらく棚越新道を歩く。大谷乗越から、六甲縦走路の山道に入った。道は、幾つかの高みを縫うように続いていた。ヒサカキ・アセビの曲がりくねった茶色の幹の間から、ときどき日が射しこんだ。 岩原山へは、通り越したコルから上り返した。平坦な山頂部を進むと、雑木の下に「宝塚の最高峰」と書かれた白い標柱が石に囲まれて立っていた。 縦走路に戻り、さらに東へ。明るい笹原の道から、譲葉山の丸いピークが見える。コースからわずかにそれたこの山頂へは、道がなかった。雑木の中を分け進むと、1本のアカマツの木に「譲葉山」と書かれたプレートが半分割れて掛かっていた。下に落ちていたアルミのプレートを隣の木の枝にそっと掛けた。 岩倉山山頂手前で、右へ分枝する道を進むと反射板の下に出た。霞が濃くかかり、目の前の甲山さえ白くぼやけている。阪神間の市街地や大阪湾は、霞の底に深く沈んでいた。 六甲山最東のピーク、岩倉山の三角点は、石仏の鎮まった石の祠の足元に立っていた。
山行日:2004年1月10日
|
西宮市生瀬から太多田川の沿った有馬街道を走る。「知るべ岩」バス停先の、太多田川と座頭谷の合流点に新しくつくられた「蓬莱峡堰堤」のたもとに車を止めた。堰堤上の道路を渡り、太多田川の河床に下りた。 |
■山頂の岩石■ 後期白亜紀 六甲花崗岩 黒雲母花崗岩 六甲山は、主に六甲花崗岩と呼ばれる黒雲母花崗岩から成っている。蓬莱峡、座頭谷、東六甲の三山ともこの六甲花崗岩でできている。 蓬莱峡から座頭谷源頭部まで、幅約1kmにわたって六甲断層による断層破砕帯が続いている。また、座頭谷の西側には、花崗岩の上に段丘礫層(大阪層群に属する高位段丘層)がのっているのが観察された。この段丘層の上面は平坦であり、「上ガ原面」と呼ばれている。 花崗岩は中粒のものが多いが、譲葉山手前には、細粒花崗岩が露出していた。 詳しくは、蓬莱峡のバッドランドをご覧下さい |