一山(1064.4m) 宍粟市 25000図=「音水湖」 展望広がるはんれい岩の山頂 宍粟市の波賀町と一宮町の境界には、三久安山、阿舎利山、一山、東山と1000mを超える山々が南北に連なっている。
少し進んだところで、道の転石を割って石を調べた。早くもここで、S氏についていくのをあきらめた。 ヒノキ林の中の急登。右手にときどき、クリやアカマツが現れた。 ウリハダカエデのまだらに染まった葉に木漏れ日が射して、林内のそこだけがほんのりと明るい。
宍粟50名山の山として、道は尾根にしっかりついていた。急な坂を登ると、少しだけ平らになり、また急な坂となる。それを何度か繰り返しながら登っていった。
湿地から少し進むと、山頂南の最後のコルに出た。右手から谷がここまで上ってきている。谷は伐採されていて、その伐採地に侵入してきたベニバナボロギクが、白い綿毛を風にのせていた。
尾根の登山道は、作業道とぶつかった。作業道を渡り、道標に従って坂を登った。尾根は広がって、道は判然としなくなったが、ピンク色のテープが登路を教えてくれた。 クリ林が続いたが、その中にネジキ、アセビ、リョウブ、カエデ、モミなど、樹木の種類が増えてきた。 地面は乾いていて、一歩ごとにカサ、カサと落ち葉を踏む音がする。立ち止まると、梢に残った葉が風に揺れる音がした。 坂の上を見上げると、木々の根元の向こうに青空が見えた。山頂が近いと思った。
しかし、山頂は思ったところのもう少し右にあった。まだまだ、坂が続いた。 地面に大小の岩が見え始めた。岩石の風化で生まれたコアストーンが、ここに残されたものである。このあたりの岩石は、どれも細粒のはんれい岩だった。緻密で硬く、なかなかハンマーで割れなかった。
いくつかの岩が積み重なっているところがあって、そこを回り込むと山頂だった。
山頂には4時間近くいた。鳥を教えてもらったり、岩を調べたり、カップ麺をつくって食べたり、植物の観察をしたり、また山を眺めたり・・・。 宍粟50名山を歩く会の人たちが20人ぐらい登ってきて山頂がにぎやかになった。山頂で弁当を食べながら、思い思いの話をしている。 彼らが去った山は、再び静かになった。岩と切り株がいい感じで配置された山頂には、ススキが穂を開いていた。ベニバナボロギクがここまで上がってきていた。カナクギノキが赤い実と冬芽をつけていた。 山頂での時間はゆったりと流れた。快晴だった空には、いつの間にか薄い波状雲が広がり始めていた。
山行日:2020年10月31日
|
|||||||||||||||||
高野峠〜895.4mピーク〜一山山頂 (同じコースで下山) | |||||||||||||||||
高野峠には広い駐車スペースがある。ここが、一山の南側登山口である。 一山は、宍粟50名山にも選ばれ、登山道が整備され、要所に道標が立っている。登山道は、宍粟市の一宮町と波賀町の境界尾根を忠実にたどっていた。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
山頂の岩石 石炭紀〜ペルム紀 舞鶴帯 夜久野岩類 細粒はんれい岩 |
|||||||||||||||||
緑色を帯びた暗灰色の硬い岩石である。ハンマーで割った面に光を当てると、輝石の劈開面がギラギラと光る。輝石の一部は、分解して他の鉱物に変わっている。 輝石の間を、斜長石が埋めているのがルーペでも確認することができた。 一山のこのはんれい岩は、舞鶴帯の中に断片的に分布している「夜久野岩類」にあたる。 夜久野岩類は、「夜久野オフィオライト」とも呼ばれている。オフィオライトというのは、かんらん岩、はんれい岩、玄武岩が下から上へ層状に重なった岩体で、過去の海洋地殻とその下のマントルが地表に露出したものである。 夜久野オフィオライトは、岩石の種類や化学組成、Sr同位体組成比などから、島弧地殻の下部あるいは島弧に沿った縁海の地殻として形成されたものと考えられている。約3億年前(石炭紀)の遠い昔、島弧や縁海の地殻として形成され、それがその後のプレートの動きによって上昇し、アジア大陸(当時の日本はまだアジア大陸の東縁にあった)に付け加わった。 939mピークの西の920mのコブには、花崗岩が分布していた。これは、波賀町に広く分布している波賀花崗岩体の一部にあたる。 登山道では、この他に、黒色の泥岩や凝灰岩が見られた。 |
|||||||||||||||||
「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ 登山記録へ |