|
日ノ原山(788.7m) 宍粟市 25000図=「音水湖」 音水湖の南に佇む日ノ原山
日ノ原山は、音水湖の南に静かに佇む山である。
日ノ原山の集落の最奥に大森神社がある。ここが、今日の登山口である。
社殿の左脇から山道に入った。あたりはうっそうとしたスギ林。林内は薄暗く、地面はじっとりと湿っている。
道は、今度は右へ折れた。ほとんど一定の角度で、スギ林の中を斜めに上っている。ところどころに、ミツマタが葉を広げていた。 道が谷にぶつかったところで再び左へ折れた。ずっと単調な登り。樹上で、ヒガラの鳴き声がした。 すぐまた、右へ折れる。 この湿り気・・・。このうす暗い雰囲気・・・。スギ林に足を踏み入れたときから、予感していた。 登山靴をヤマビルが上がってきた! ここまで数匹を見つけ、指ではじき落としていた。油断している間に、ズボンの膝ぐらいまで上がってきたやつもいる。 少しでも立ち止まると靴につきそうで、歩き続けるしかない。何度も何度も、足の周りを見ながら進んだ。 再び谷に出たが、今度は折れずにそのまま谷を渡った。 谷を渡ると、すぐに登山道は細くなってこれまでの道と分かれた。
標高650mでコルに達し、初めて前が開けた。マンガ谷川を流れる水の音が南の谷から聞こえてくる。756m峰が、その谷を隔ててそびえていた。
コルの地層は泥岩で、チリ割れした小石が地面をおおっていた。ここで、やっと立ち止まることができた。小石の上なら、ヤマビルの心配は少ない。 幸いなことに、この先でヤマビルを見ることはなかった。
ここで方向を北に変え、ゆるく下っていった。黄葉したコシアブラの葉が落ちていた。 700mのコルあたりは平坦な道。スギやヒノキの中に大きなモミが混じっていた。 コルから尾根を登り返す。尾根の左は自然林、右はヒノキ林。その間に、踏み跡が続いている。近くでカケスが鳴いて、どこかへ飛んで行った。
アセビの枝葉が地面をはっていた。
尾根道は北へ下っていた。傾斜の急な下りで、ずっと丸太階段が続いた。 やがて、スギの木立の間から音水湖の湖面が見え始めた。 送電線鉄塔の先が展望所になっていた。 眼下に音水湖が大きく迫っている。音水湖は北に向かって細長く延び、右岸から突き出た岬のうしろに回り込んでいる。 国道29号線が、橋を渡り、短いトンネルをくぐって左岸を縁取っていた。 雨は上がって薄日が射していた。音水湖の湖面は、周囲の山を映して緑色に染まっていた。
鉄塔からは、尾根を離れて斜面を南に回り込み、出会った浅い谷に沿って下っていった。ずっと丸太階段が続いていた。
山行日:2020年9月27日
|
|||||||||||||||||||
| 日ノ原 大森神社登山口〜マンガ谷の北のコル(650m)〜720mピーク〜日ノ原山山頂〜送電線鉄塔下〜国道29号登山口 | |||||||||||||||||||
| 宍粟50名山の一つとして登山道が整備され、要所に標識が立っている。尾根道は踏み跡程度だが、木々に巻かれたビニールテープが道を教えてくれる。 南の大森神社登山口にも、北の国道29号登山口にも駐車スペースがある。 |
|||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||
| 山頂の岩石 白亜紀後期 引原層 溶結凝灰岩 |
|||||||||||||||||||
| 日ノ原山の山頂付近で見られたのは、流紋岩質の溶結凝灰岩である。 石英と長石の結晶片に富んでいる。変質が進んでいて、有色鉱物はほとんど残されていなかった。流紋岩や安山岩などの火山岩、あるいは黒色頁岩の岩片をふくんでいる。 山頂の南、マンガ谷に近い650mコルには泥岩が見られた。 山頂から北への登山道には、安山岩が分布していた。緑色を帯びた灰色の岩石で、風化による変質が進んでいた。斜長石、角閃石、輝石の斑晶が認められた。 引原層は、断層による陥没構造の内部に分布している。これは、ここにカルデラがあって、その内部を火山活動による火砕流が埋めたことを示している(引原コールドロン)。 この引原層の凝灰岩からは、7300万年前(白亜紀前期)のFT年代が得られている(小室裕明ほか 2014)。 |
|||||||||||||||||||
|
「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ 登山記録へ |