八幡山(775.4m)〜入炭山(817.2m)    神崎町・生野町・大河内町     25000図=「生野」

タニウツギ咲く、八幡山〜入炭山

八幡山を猪篠より望む 八幡山山頂のタニウツギ

 鳥居をくぐり、渓流に架かる橋を渡って二本のスギの巨木の間を抜けると、八幡神社の境内であった。社殿の前に佇めば、スギの木立の背後から流れの音が静かに聞こえてきた。
 神社の向かいの丘に上った。田植えの終わったばかりの田んぼは、水をなみなみと湛えている。鯉のぼりは、谷を吹き上げてくる風に大きく膨らんでひるがえっている。そのはるか上に、八幡神社の元宮があったと言い伝えられている八幡山(はちまんやま)が、大きくどっかりとそびえていた。
 ここから見る八幡山のほとんどが、濃い緑でおおわれている。植林されたスギやヒノキの色である。どこから上っても、植林の中のきつい単調な上りが予想される。山に入る前に、この丘の上で、しばらく風に吹かれながら憩った。

エビネの小さな群れ
 植林の中の杣道は、沢の左岸を上っていた。ときどき、この杣道は沢に沿って残る自然林の中に入り込んだ。
 シロダモの若葉は、まだ絹毛におおわれている。
 コガクウツギの白い花が群れている。
 日当たりの良いところには、ジャケツイバラが黄色い花を枝いっぱいにつけている。
 沢にかかる小さな滝の下には、フサザクラの葉が陽の光を透かしていた。

 勢いのよかった水の流れも、しだいにその量を減らし、最後の水を手ですくって飲んだ。水がなくなるのとほとんど同時に、杣道はスギの倒木の中に消えた。
 倒木の中のきつい上りに、ペースは大幅に落ちた。
 ふと見ると、スギの木の下にエビネが小さく並んで咲いていた。すくっと伸びたその姿は、清楚で可憐だった。

 歩き出して、約2時間でヒノキの中の稜線に立った。八幡山の南尾根に出るつもりが、東へ派生する支尾根に出たようである。地形図で見当をつけ、高みをめざすと、八幡山山頂の三角点にたどり着いた。
 山頂付近は、多くのアカマツが枯れて倒れ、荒れていた。コナラも小さく、枯れかかっている。
 そんな中で、アセビは大きく実をいっぱいつけていた。
 カマツカの小さな花の白、タニウツギの花の柔らかなピンクが、目に鮮やかであった。

八幡山から入炭山を望む
 八幡山からは、スギの植林がときどき自然林に変わる尾根の伐り開きを、南へ入炭山をめざした。いくつかのピークとコルが連なっているが、起伏は小さい。
 もう、いくつのピークを越えたのだろうか。コンパスを頼りに、方向だけ見誤らないようにして進んだ。入炭山山頂の手前の広く大きなコルだけは、はっきりと確認できた。

 入炭山の山上は、なだらかな台地状である
。その台地の一番先に、大きな反射板が立っている。三角点はその反射板の手前のタケニグサの中に、埋もれていた。
 三角点から、山上台地の東に引き返す。こちらの方が、標高が高いし展望もよい。北から西へ、高星山・平石山・千町ケ峰・砥峰・夜鷹山・暁晴山とぐるりと見渡せる。
 そして、眼下には長谷の村……。この谷あいの故郷の村は、長谷ダムの建設によってすっかり変わってしまった。幼い頃、魚を獲って遊んだ犬見川の清流はもはや失せ、コンクリートに囲まれた流れになってしまった。
 しかし、そんな川にもまもなく蛍の群れ飛ぶ季節が来る。その川の上にそびえ、部屋の窓からの風景を占有していた高峰は、今も変わらず長谷の村を見下ろしていた。

山行日:2002年5月25日

山 歩 き の 記 録

播但連絡道路神崎北インター下〜八幡山山頂(775.4m)〜762mピーク〜730mピーク〜730m+コル〜入炭山山頂(817.2m)〜730m+コル〜(破線路を南東へ下る)〜(播但連絡自動車道側道)〜播但連絡道路神崎北インター下

入炭山、タケニグサの中の三角点
(後ろに反射板が見える)

 猪篠の八幡神社から播但連絡道路の西側側道に入り、南へ少し下ると、神崎北インターの上で分岐した道が山に入っている。分岐点の少し上に車を止める。地形図には、ここから八幡山山頂に向かって途中まで沢沿いに破線路が記されている。
 草が伸びて荒れた林道を歩き出すと、すぐに行き止まった。右の植林地に上ると、スギの林の下に杣道があった。この道を利用して上る。道は、沢の左岸(右側)に続いていた。急勾配のきつい上りである。
 稜線が近づくと、水は枯れ、道も消えた。沢はしだいに広がり、地形を読み取るのが難しくなる。八幡山山頂から南に伸びる主尾根から東へ派生する尾根上の小さなコルにたどり着いた。そこから、2度ほど時計回りに方向を変えながら高みをめざすと、八幡山の山頂に達した。

 八幡山から入炭山までは、この山塊の主尾根を歩く。神崎町と大河内町の境界尾根である。いくつかの小さなピークを越えると、広い平面状のコルに下りた。ここは、大河内町栗と神崎町杉を結ぶ峠である。かつて、この峠に人々の行き来があったのだろうか。標高730mの高い峠である。
 ここから入炭山までは、関電の反射板の保守路になっているようで、はっきりとした踏み跡がついている。急な坂を上ると、関電の大山反射板が立っている。さらに台地状の山頂部を南へ進むと、もうひとつの巨大な反射板が立っている。その手前に、入炭山の三角点があった。
 先の峠まで戻り、神崎町の杉まで下った。道は明瞭であるが、下のほうで新しい林道と交差していた。
   ■山頂の岩石■ 安山岩 (白亜紀 生野層群中部累層)

 八幡山へ上る沢沿いでは、下の方で、岩片を多く含む流紋岩質溶結凝灰岩(生野層群下部累層)が見られる。
 上に行くと、岩石は安山岩に変わる。これは、西の暁晴山などから続く生野層群中部累層の安山岩であり、八幡山〜入炭山の上部をおおっている。この安山岩は、暗灰色を呈し、緻密で非常に硬い。斑晶として、角閃石・輝石、斜長石を含んでいる。 

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