旗切山(914.8m)   神河町       25000図=「長谷」


ガレ谷から鉱山跡を経て山頂へ
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春まだ浅い旗切山(右) 左は旗切峠

 神河町の川上集落には平家の落人伝承が伝わる。旗切山の名もこの伝承に由来している。源氏との戦いに破れた平家の落人がこの地へ逃れた。ここに隠れ住むことにした落人たちは、この山上で平家の赤旗を切り捨てたという。

 里は春らんまんというのに、見上げる旗切山はまだ冬の色を残していた。
 ハタギリ谷に沿った林道を登り始めるとすぐに砂防堤に突き当たった。林道は大きく右に曲がっているが、林道から砂防堤の上に出て谷をそのまま北へ進んだ。
 砂防堤が連続していた。2009年8月の台風9号は川上地区に多くの被害を及ぼしたが、そのときの洪水はここが起点となった。
 堤防と堤防の間の草地にはニガイチゴが花をつけていた。アオバトの声がのどかに響く。右岸の丸太階段を登り、ひとつずつ堤防を越えていった。
 最後の砂防堤を越して谷川に下りた。谷はガレ石で埋まり、水はその下を伏流していた。ガレ石は、表面が酸化していてどれも赤茶色い。
 その中に、鉱化しているものが混じっていた。この上の鉱山から掘り出されたズリ石がここまで流れ込んでいるようだった。ハンマーで割ってみると、黄鉄鉱と黄銅鉱が出てきた。

 ガレ石の谷へ  黄銅鉱(左右7mm)

 あたりは広葉樹林。どの木も新葉を広げ始めている。葉の色がやわらかで瑞々しい。ホオジロのさえずりが大きかった。
 谷の両側の土に咲くのは、ムラサキサギゴケやキランソウやタチツボスミレ。
 ヤマルリソウは、この谷川に入ったところから、ありこちに咲いていた。青紫の花に赤紫色の花が混じり、一輪一輪が日を浴びていた。

タチツボスミレ  ヤマルリソウ

 ガレ石の上をずっと登っていった。少しずつ傾斜が大きくなる。標高750mあたりの二股を左へ進んだ。ガレ石に混じるズリ石の量が多くなってくる。ミソサザイの声が谷の上から聞こえてきた。
 谷底に岩盤が現れ、その上を水が滑り落ちている。その先で、切り立った岩が谷をふさいでいた。岩の割れ目に手足をかけてよじ登った。

 切り立った岩盤

 その岩を越して進むと山道に出た。その山道を右に行くと、道に向かって坑口がぽっかりと開いていた。
 ここは以前、「やまあそ」の島田さんに教えてもらっていた坑口だった。いろいろ調べてみたが、ここに鉱山があったという記録はどの文献にも見つけることができなかった。坑道にたまった水の下にトロッコのレールが二本残されている。坑道は少し右に曲がりながらずっと奥へと続いていた。ズリ石は、坑口からやや東側の急傾斜の谷に落とされたようである。
 精錬跡や精錬で出るカラミなどが残されていないか、この谷を登ったり下ったりしたが見つからなかった。かつて人々は、こんな山の上の急な斜面に、鉱脈を見つけ鉱山を稼行していた。谷を埋める岩の間にタニギキョウが咲いていた。
 

 標高805mの坑口  タニギキョウ

 坑口の前の山道を西に戻って、さらに先に進んだ。細い道が続いていた。大きく曲がってスギ林に入り、そのスギ林を抜けると峠に出た。旗切峠である。
 峠には林道が通り、「川上」と「ナガソウ」を指し示す道標が立っていた。ここまでの山道は、古くから川上と福知(宍粟市)を結ぶ道で、「お嫁さんロード」と呼ばれている道の一つ。隣村との婚姻関係を伝えるこの道の峠には、今もお地蔵さんが祀られていた。お地蔵さんを囲った石の祠の足元にタチツボスミレが咲き、風に小刻みに震えていた。


 旗切峠

 林道を横切って、スギ林と自然林との間を登った。スギの落ち葉の間にシハイスミレが咲いている。自然林の中に、鮮やかな赤紫のかたまりがあった。それは、この山上でようやく満開を迎えたコバノミツバツツジの花だった。

 フイリシハイスミレ コバノミツバツツジ 

 急な坂を登り切ると、木々が切れて目の前に草地の緩いスロープが現れた。枯れたワラビの上に、新しいワラビが葉を広げ始めている。
 草地にポツリポツリと立っているのはワタゲカマツカ。葉の縁やつぼみの赤茶色が目立つ。
 スロープを駆け下り、そのまま登り返すと、そこが旗切山の山頂だった。

 山頂はこの丘の上

 暖かな日差し。吹き上げてくる風は少しだけ冷たくて気持ちが良い。
 リョウブの若葉はみんな上を向いていて、羽付きの羽のよう。ゴジュウカラやアオゲラが鳴き、山頂のコナラやクリ、ミズナラの枝を、ヒガラやヤマガラが飛び渡っていた。
 三角点から少し下った草地に立つと、南西方向がよく見えた。今年山焼きの行われなかった砥峰高原は、枯れたススキのベージュ色。その左には夜鷹山、右には砥峰。砥峰高原の右肩には、暁晴山が乗っていた。

山頂付近から見る夜鷹山(左)・砥峰高原(中)・砥峰(右)

 山頂から、坑口まで戻った。ズリの谷の向こうにも道が続いている。谷を渡ってその道を進むと、石垣が現れた。メジャーで図ってみると、高さは最大2mで、長さは17m。これが鉱山の施設の一部だったのか、単に道を守るためつけられたものなのかはわからない。
 石垣の端で、道はヘアピンに曲がり急斜面を斜めに下っていた。ズリの谷の下を渡り、そのまま進むと、行きに登ってきたハタギリ谷へ下りた。この谷を渡ると道は途絶えた。結局、もとのハタギリ谷に滑り降りて山を下った。

山行日:2023年4月23日

行き:スタート地点(駐車場)~砂防堤(5つ)~坑口(鉱山跡)~旗切峠~旗切山
帰り:行きとほぼ同じルートだが、道を坑口の先まで進んでからハタギリ谷に下る map
 スタート地点に広い駐車場がある。連続する砂防堤の右岸に丸太階段がある。砂防堤の上には道がなく、ガレ沢を登ると古道にぶつかる。ここを東に進むとすぐに坑口。西に進むと旗切峠に達する。旗切峠から旗切山山頂までは近い。

山頂の岩石 白亜紀後期 峰山層 溶結凝灰岩
 峠から旗切山山頂まで露頭がない。峠まで、強く溶結した溶結凝灰岩が分布していた。石英と長石の結晶片をふくんだ流紋岩質の溶結凝灰岩である。濃灰色~淡灰色で緻密で硬い。北の福知川にもこの岩石が分布しているため、旗切山の山頂もこの岩石でできていると考えられる。

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