長谷城山(362m) 神河町 25000図=「長谷」 赤田の麓屑面から中世の城跡へ 長谷城跡は、長谷小学校の裏山、362mのピークにある。
ここで大きく南へ折れて、草の伸びた道を進むと、丸太階段が上へと向かっていた。
道に真白い石英のかたまりが落ちていた。拾い上げると、空隙に小さな水晶が見える。「なんでこんなとこに?」と思いながら数歩歩くと、ここにも坑口が開いていた。 坑口は半分以上が埋まっていた。天井にはシシガシラがついている。 落ち葉の下に、あと数個の石英のかたまりを見つけた。そのうちの一つは、母岩に薄い石英脈が入っていて、一部が紫色をしていた。
主尾根に達したところで、長谷小学校からの道と合流した。 丸太階段の道を登り、張り出した枝葉を分けて進むと、長谷城跡に達した。
標高362m、小さなピークの城跡もまた落ち葉に埋もれていた。 コナラ、ネジキ、ソヨゴ、シキミ、アカマツにヒノキの混じる林。切り開かれていた林床には、アセビが細い枝を這わせていた。 平らにならされた地形のみが城跡をとどめていた。山頂の北にも南にも、平坦面があった。北の平坦面の先の小さな鞍部は、堀切の名残なのかもしれない。 木々の間から、赤田の集落が見えた。その向こうに、八幡山がピークを尖らせていた。 播但線を走る列車の音が、ここまで上がってきた。
城跡を南へ下った。登ってきたときの合流点を過ぎ、長谷小学校方面へ下った。急な傾斜に飛び出した岩には、落下を防止するためのワイヤーのネットが張られていた。
ここからが、結構たいへんだった。今日のゴールを「西の林間広場」と決めていたのだが、そこへ向かう道がなかなか見つからない。 清水寺の手前で防獣ネットをくぐり、フェンスを通り、新しい砂防ダムの前を進んだが、この道は山へ上る一方だった。 元に戻って、清水寺の前を進んだ。広場へ行くのをあきらめようとしたとき、道を見つけた。 「西の林間広場」にもあずま屋が建っていた。ここには、「シカの影響を受けた森」の説明板。シカが多くなり、変わっていく森のようすが説明されていた。 子供の頃は、山はどこからでも入ることができた。今は、防獣ネットの間のフェンスを見つけ、そこからしか入れない。 サルやイノシシは昔からいた。シカも昔からいた。しかし、その数は今よりずっと少なかった。
山行日:2021年2月11日
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赤田登山口〜東の林間広場〜長谷城跡(362m)〜谷筋コース〜長谷小学校裏〜市原神社〜西の林間広場〜祐泉寺 |
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今回歩いたコースは、「いやしの森・犬見の郷」の観光・登山コースの一部としてつくられている。 車をセンター長谷に止め、そこから登山口まで歩いた。センター長谷の近くに、「犬塚」がある。ここに祀られた犬が、犬見の郷の由来となった。 遊歩道は消えかかっているところもあったが、丸太階段はよく残っていた。 「西の林間広場」から、祐泉寺に下りた。 |
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山頂の岩石 白亜紀後期 峰山層 デイサイト質溶結凝灰岩 |
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長谷城跡には、デイサイト質の溶結凝灰岩が分布している。 暗灰色の硬く緻密な岩石である。 多量の長石と石英の結晶片、少量の黒雲母と普通角閃石の結晶片をふくんでいる。長石は無色透明な場合と白く不透明な場合がある。石英は、無色透明であるがうすくオリーブ色を帯びているものが見られた。 基質はガラス質で、強く溶結している。 |
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