長谷城山(362m)    神河町    25000図=「長谷」


赤田の麓屑面から中世の城跡へ

長谷城山(長谷城跡) 写真中央

 長谷城跡は、長谷小学校の裏山、362mのピークにある。
 小学生の頃、休み時間にこの裏山に入りこんで遊んだことがあった。何度かは、次の授業に遅れて先生に怒られた。
 その上に山城跡があることは知らなかったし、関心もなかったと思う。

 長谷城跡への道は、「いやしの森 犬見の里」の登山・ハイキングコースとして整備されていた。
 今回は、「東の林間広場」から長谷城跡へ登り、市原神社を経て「西の林間広場」まで歩いた。

 赤田の集落から防獣ゲートを開いて遊歩道に入った。そこには、「いやしの森 犬見の里」の案内図が立っていて、その横があずま屋の建つ「東の林間広場」となっていた。
 まわりには、ススキの原が広がっていた。ススキはきれいに刈られていて、地形面がよく観察できた。
 山の下に広がるこのなだらかなスロープは、周氷河地形のひとつ、「麓屑面」である。
 氷期のさかんな凍結破砕によって生まれた岩塊が、斜面を下方に移動し、山麓に堆積してこのような緩い傾斜の斜面をつくった。

 ススキ原の中を遊歩道が上っていた。ジョウビタキが、木の枝に止まって鳴いている。2月の初めだというのに、大地は春先のような温かい日差しに包まれていた。
 何度か大きく曲がって、ススキ原の上に出るとコンクリート舗装は途切れた。
 

 赤田 麓屑面

 ここで大きく南へ折れて、草の伸びた道を進むと、丸太階段が上へと向かっていた。
 細い道がついていたが、草が伸びていたり、落ち葉で埋まっていたりしている。ときどき現れる丸太階段で、道をはずしていないことが分かった。
 上に向かっていた道は、標高310mあたりで城跡の南東斜面をトラバースしていた。
 浅い谷を二つ過ぎたところに、坑口が一つ開いていた。
 南北に伸びる主尾根に近づくと、道は再び上りだした。葉をすっかり落としたコナラの林。降り積もる落ち葉の上には、シカの糞がいくつも落ちていた。

2月のコナラ林

 道に真白い石英のかたまりが落ちていた。拾い上げると、空隙に小さな水晶が見える。「なんでこんなとこに?」と思いながら数歩歩くと、ここにも坑口が開いていた。
 坑口は半分以上が埋まっていた。天井にはシシガシラがついている。
 落ち葉の下に、あと数個の石英のかたまりを見つけた。そのうちの一つは、母岩に薄い石英脈が入っていて、一部が紫色をしていた。

坑口と石英塊 水晶(一番大きいもので長さ6mm)

 主尾根に達したところで、長谷小学校からの道と合流した。
 丸太階段の道を登り、張り出した枝葉を分けて進むと、長谷城跡に達した。
 
城跡の下の分岐

 標高362m、小さなピークの城跡もまた落ち葉に埋もれていた。
 コナラ、ネジキ、ソヨゴ、シキミ、アカマツにヒノキの混じる林。切り開かれていた林床には、アセビが細い枝を這わせていた。
 平らにならされた地形のみが城跡をとどめていた。山頂の北にも南にも、平坦面があった。北の平坦面の先の小さな鞍部は、堀切の名残なのかもしれない。
 木々の間から、赤田の集落が見えた。その向こうに、八幡山がピークを尖らせていた。
 播但線を走る列車の音が、ここまで上がってきた。

長谷城跡

 城跡を南へ下った。登ってきたときの合流点を過ぎ、長谷小学校方面へ下った。急な傾斜に飛び出した岩には、落下を防止するためのワイヤーのネットが張られていた。
 谷筋ルートと尾根筋ルートの分岐があった。選んだ谷筋ルートは、倒木などで道が荒れていた。
 小学校の裏で、二つの道は合流した。防獣フェンスを開いて外に出ると、コンクリート道が本村の集落の上に延びていた。
 車も通れる広い道はほとんど使われていないようで、スギの落ち葉の上にフユイチゴがランナーを伸ばしていた。
 市原神社は、静寂な森の中に佇んでいた。大きなケヤキが葉を落とした枝を広げている。古いツクバネガシの木が何本も立ち、真冬でも青々とした葉を空に広げていた。

ツクバネガシの森

 ここからが、結構たいへんだった。今日のゴールを「西の林間広場」と決めていたのだが、そこへ向かう道がなかなか見つからない。
 清水寺の手前で防獣ネットをくぐり、フェンスを通り、新しい砂防ダムの前を進んだが、この道は山へ上る一方だった。
 元に戻って、清水寺の前を進んだ。広場へ行くのをあきらめようとしたとき、道を見つけた。
 「西の林間広場」にもあずま屋が建っていた。ここには、「シカの影響を受けた森」の説明板。シカが多くなり、変わっていく森のようすが説明されていた。

 子供の頃は、山はどこからでも入ることができた。今は、防獣ネットの間のフェンスを見つけ、そこからしか入れない。
 サルやイノシシは昔からいた。シカも昔からいた。しかし、その数は今よりずっと少なかった。

西の林間広場
山行日:2021年2月11日

赤田登山口〜東の林間広場〜長谷城跡(362m)〜谷筋コース〜長谷小学校裏〜市原神社〜西の林間広場〜祐泉寺
 今回歩いたコースは、「いやしの森・犬見の郷」の観光・登山コースの一部としてつくられている。
車をセンター長谷に止め、そこから登山口まで歩いた。センター長谷の近くに、「犬塚」がある。ここに祀られた犬が、犬見の郷の由来となった。
 遊歩道は消えかかっているところもあったが、丸太階段はよく残っていた。
 「西の林間広場」から、祐泉寺に下りた。

山頂の岩石 白亜紀後期 峰山層  デイサイト質溶結凝灰岩
 長谷城跡には、デイサイト質の溶結凝灰岩が分布している。
 暗灰色の硬く緻密な岩石である。
 多量の長石と石英の結晶片、少量の黒雲母と普通角閃石の結晶片をふくんでいる。長石は無色透明な場合と白く不透明な場合がある。石英は、無色透明であるがうすくオリーブ色を帯びているものが見られた。
 基質はガラス質で、強く溶結している。


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