埴岡山(221m)  神河町   25000図=「寺前」


風土記の里、堲(はに)の大岩から埴岡山へ


堲の大岩

 神河町比延にある日吉神社の裏に大岩がそびえ立っている。この大岩が、「堲(はに)の大岩」と呼ばれるのは、『播磨国風土記』に次のような記述があるからである。

 『大汝命(おおなむちのみこと)と小比古尼命(すくなひこねのみこと)が、屎(くそ)をしないで行くのと堲(赤土の粘土)の荷を背負って行くのと、どちらが遠くまで行けるのかという我慢比べをした。
 何日か経ったとき、大汝命は「わたしはもう、我慢できない。」と言ったとたんに、しゃがみこんで屎をした。それを見た小比古尼命は笑って、「自分もそうだ。苦しい。」と言って、堲をこの岡に投げ捨てた。だから、この岡は堲岡といわれるようになった。
 また、大汝命が屎をしたときに、小竹がその屎をはじき上げて衣にあたった。それで、波自加(はじか)の村といわれるようになった。
 その堲と屎は石になって、今も無くならないでいる。』

 小比古尼命が投げ捨てた堲が、日吉神社の大岩に比定されている。大岩の立つ神社の裏山が、堲岡(埴岡)となる。

日吉神社と埴岡山

 日吉神社の前には、道路に面して「播磨国風土記 堲岡の里」の標柱が立っている。その横の案内板には、大汝命と小比古尼命の我慢比べが、愉快なイラストつきで紹介されている。

 鳥居をくぐり、社殿の右手へ進むと、もうそこから「堲の大岩」が見えた。
 大岩の頂部に朝陽があたっている。大岩は、東に向かってそびえ立っていた。大岩の前は刈り払われていて、境内からそのまま岩の下まで歩いて行けた。

堲の大岩

 大岩には、垂直に数本の割れ目が大きく入っている。右の高い岩塔には、しめ縄が飾られていた。右手に回り込んでみると、山脚から突き出すこの岩の巨大さが感じられた。
 地面には、大岩から崩落した岩塊がいくつか転がっていた。流紋岩や頁岩の岩片を多く含んだ、溶結火山礫凝灰岩であった。変質が進み、全体に青っぽくなっている。
 大岩は、白亜紀後期の火砕流が堆積した地層でできているのだ。

堲の大岩を右から見る

 大岩の左手を登った。急傾斜のヤブを、木の枝や幹、岩角をつかんで体を引き上げる。
 岩の上は、ヒトツバが群生していた。その上には、サルトリイバラの細い幹がからみ合っている。
 岩塔の上で、サルトリイバラの刺にひっかかりながら足を動かすのはさすがにこわかった。
 

大岩の上から見る城山と寺前の町並み 大岩の上から南東を眺める
(写真右奥にうすく見えるのが初鹿野山)

 大岩の上から、大嶽山が正面に見えた。その下を市川が流れている。北には城山の前に、寺前の町並みが広がっていた。
 大汝命と小比古尼命の我慢比べの話にその名を因んだ初鹿野(はしかの)山が、南東にうっすらと見えた。

 大岩の上から、かすかな踏み跡が山の上に向かっていた。踏み跡を登っていくと、南北に延びる尾根の道に出た。
 この道は、里山防災林整備のための管理歩道としてつくられたものである。どこから、この道がついているのか確めようと、いったん山頂の反対側へ下りてみた。
 道の入り口は、はにおか運動公園野球場のレフトあたりにあった。
 ここから、もう一度山に向かってアカマツの落ち葉の積もる道を登った。少しの傾斜にも丸太階段がつけられていた。ヒノキに、アセビやサカキなどが混じっている。エナガの声がした。
 大岩から上ってきた地点を過ぎ、丸太階段を登ると、コシダにおおわれた高みに出た。
 

尾根につけられた道

 コシダの高みを右に曲がって少し登ると、埴岡山の山頂に達した(標高221m)。
 
 山頂は小さく切り開かれていて、ベンチが一つ設けられていた。ヒノキにアカマツやアベマキ、コナラ、ネジキなどが混じっている。リョウブは、もう白くて小さな花を付けていた。

埴岡山山頂

 山頂から南に続く道を進んだ。最後につづらになった道を下っていくと、民家の裏に出た。

山行日:2021年2月11日

日吉神社~堲の大岩~管理歩道北入口~埴岡山山頂(221m)~管理歩道南入口
 日吉神社から堲の大岩の上に登るのに道はない。
 埴岡山には、南北の尾根に管理歩道がつけられている。この道の途中から、大岩の上に出ることが可能である。

山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層  溶結火山礫凝灰岩
 「堲の大岩」下の転石  「堲の大岩」の上の岩

 埴岡山には、大河内層が分布している。
 白亜紀後期に起こった巨大カルデラ噴火のカルデラを埋めた火砕流が堆積した地層である。

 左の写真は、「堲の大岩」から崩落して転がっていた岩石である。風化が進み、岩石は淡緑色を呈している。頁岩や流紋岩の岩片を多くふくんだ溶結火山礫凝灰岩である。

 堲の大岩は歴史文化遺産であるのでたたいてはいけない。右の写真は、「堲の大岩」の上で採集した赤褐色の溶結火山礫凝灰岩である。
 白色の流紋岩の岩片と、黒色の頁岩の岩片を多くふくんでいる。変質が進んでいるが、濃い茶色に見えるのは扁平化した軽石だと思われる。基質の中には、長石と石英の結晶片がふくまれている。

 埴岡山の山頂付近に露頭はないが、同じ地層から成っていると思われる。
 

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