蛤 山 (125.5m) 姫路市 25000図=「姫路北部」
高岳神社の磐座、蛤岩を訪ねて蛤山へ
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| 夢前川右岸より望む蛤山山塊 |
雨上がりの午後、蛤山(袖振山)は瑞々しい新緑に包まれて夢前川の向こうに低い稜線を引いていた。
蛤山は姫路市西今宿にあって、そのふもとに高岳神社を鎮めている。
神社入口の石板に、神社の由緒が刻まれていた。それには、
『境内には巨大なる岩石多く殊に社殿の背後にそびゆるもの最も怪奇なり 昔土地の人此岩上にて蛤を拾い福徳長寿の幸を得しかば名付けて蛤岩と称す 当社の宝物に蛤の化石今に伝われり』とある。
流紋岩の大きな岩盤の脇から、コンクリートの階段が上っていた。樹上から射し込む光りを受けて上ると、高岳神社の拝殿が建っていた。
境内では一人の男性が謡曲を朗々と歌っている。優雅な声の響きがあたりの風景にとけ、神社の厳かな雰囲気をいっそう引き立たせてくれた。
拝殿の屋根を見上げると、そのうしろに大きな岩がそびえているのが見えた。拝殿の前を抜けて本殿を回り込むと、その奇岩が全貌を現した。
大きな岩盤の頂部に、巨岩が屏風のように切り立っている。その岩の前には鳥居が立ち、周りは玉垣で囲まれている。これが高岳神社の御神体として祀られている蛤岩である。
玉垣の外側に広がる岩盤で、岩石を観察してみた。岩石は、マグマの流れた縞模様を残す流紋岩。一部に自破砕構造が見えたり、珪長質の細脈が何本も走ったりして、複雑な模様をつくっている。ソフトボール大の球顆も含まれていて、それが飛び出したり抜け落ちたりしている。
流紋岩中に蛤の化石が含まれていることはありえないので、伝承の蛤とは流紋岩の球顆だったのかもしれない。伝承はともかくとして、姫路の沖積平野に飛び出したこの大きな奇岩は目立つ存在であり、古くから磐座としてあがめられていたのも自然なことのように思えた。
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| 高岳神社の御神体「蛤岩」 |
流紋岩の自破砕溶岩 |
蛤岩を北に下り、民家の横の舗装路を上ると広場があった。広場の奥に、高岳神社御旅所の石柱が立ち、玉垣の囲まれた中に花崗岩の平たい岩が横たえられていた。玉垣の新しさと花崗岩の古さが対照的だった。
そこから、白いがれきの斜面を上ると緑の木立の中に入った。コナラ、アカマツにヤマウルシやソヨゴが混じる。モチツツジのピンクの花が彩りを添えていた。モチツツジの花は、昨夜の雨に打たれたのかどれも痛んでいたが、そばを通るとよいにおいがした。
主尾根に出ると、その左手にすぐ送電線鉄塔が立っていた。鉄塔の下を抜けて尾根を上ると蛤山の山頂に達した。
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| 高岳神社御旅所 |
モチツツジ |
山頂にはコンクリートの休憩所があり、三等三角点が埋められていた。地面に表れたごつごつした岩は、流紋岩質の火山角礫岩。
山頂からの展望は大きく開けて、南東に播磨平野が広がっていた。姫路市街地のビル群が午後の陽光を反射して光っている。その中に、緑の小丘が点在していた。
小丘を手柄山、冑山、神子岡山、名古山と双眼鏡でたどっていくと、その視野に姫路城の白壁がまばゆく浮かんだ。
市街地の外側は、山並みに取り囲まれていた。書写山の東には広峰山塊が長く稜線を引き、その先端で八丈岩山が山脚を平野へ下ろしていた。さらに、その向こうに高御位山、麻生山、仁寿山……。南の望むと、工業地帯の先に播磨灘が青く広がり、その中に上島がぽっかりと一つ浮かんでいた。
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| 蛤山山頂より姫路市街地を望む |
八丈岩山 |
山行日:2008年5月11日