暁晴山E (1077.2m)  神河町            25000図=「長谷」


ホテルリラクシアから山スキーで山頂へ

登路より仰ぐ暁晴山

 立春。峰山高原のホテルリラクシアから暁晴山にスキーで登った。
 標高差わずか150m。広い車道が登路に使えるので、気軽にスキーが楽しめる。ホテルの駐車場から、枯れ木越しに山頂がもう間近に見えた。

 今年は1月中旬に大雪が降った。その雪の上に、2、3日前の新しい雪が積もり、雪の深さは40cmほど。
 雪は、陽光にキラキラとその表面を輝かせる。その上を、一歩ずつスキーを滑らす。少し硬くなった雪面は、スキーの重みでその外側にギザギザの割れ目をつくってわずかに沈んだ。

山頂をめざす

 雲一つない青空が広がっていた。ゴーグルをはずすと、その青がいっそう鮮やかに映った。歩き出してすぐ上着をとった。厚いスキー用の手袋がうっとうしい。
 砥峰高原への分岐。ヒガラが、アカマツの枝の間をめまぐるしく移っていた。

 ミズナラなどの落葉樹の中の道。峰山高原の縁を南に向かってゆるやかに上っている。ときどき、車道を抜けだしショートカットして進んだ。渓流の上は点々と雪が開き、その下を流れる水が小さな音を立てた。

広葉樹の高原と雪の渓

 雪原に、キツネの足跡があった。いく筋かの足跡が交差している。こんな足跡を追いかけても、おもしろいかもしれない。

キツネの足跡

 東屋の四角い屋根にも雪が40cmほど積もっていた。軒先に小さなつららが並び、その先端から水のしずくがぽたりぽたりと落ちていた。

 次の分岐を右に折れる。車止めの柵の間にスキーを滑り込ませる。
 スギ林の中を、道がまっすぐに上っていた。その先に山頂の電波塔が見えた。
 頭上からキツツキのドラミングが大きく響いた。
 新しいシールの滑りがどうも悪いので、ワックスを塗った。ようやく、一歩ごとにビュン、ビュンと音を立て始めた。

スギ林の中のまっすぐな道

 スギ林を抜けると左へ曲がり、次に右に大きく曲がった。ほとんど一定の勾配で、ゆるやかに坂道が続いていた。
 右手に展望が広がり始めた。眼下の峰山高原は白い雪原。その中に雪をかぶったホテルリラクシア。ときどき、ホテルの前から子供たちの歓声が上がってきた。
 夜鷹山が黒々とそびえ、その向こうに平石山から高星、さらに飯森山から笠形山への稜線が連なっていた。
 この坂を登り切ったところが、山笑う登山口の分岐。ここで、氷ノ山の真白い山稜が目に飛び込んできた。

 ここから山頂はもう間近。ゆるい傾斜の雪原を登りつめると、電波塔の立つ暁晴山の山頂に達した。
 山頂の雪は、風で吹き飛ばされるためか、それほど深くなかった。雪面は、ちょうど三角点標石の頭と同じ高さだった。

暁晴山山頂

 ここからの眺望はいつも最高。まして、今日は空が澄んでいた。あたりの山々がぐるりと見渡せた。
 黒尾山から反時計回りにスカイラインを追っていくと、日名倉山、那岐山、竹呂山、三室山、東山、別山、赤谷山、氷ノ山、鉢伏山、藤無山、妙見山、須留ヶ峰、千町ヶ峰、段ヶ峰、フトウガ峰、粟鹿山、平石山、高星、夜鷹山、高畑山、千ヶ峰、白岩山、飯森山、笠形山。
 山頂付近の稜線は雪をまとっているが、なかでも氷ノ山、鉢伏山、フトウガ峰の雪原の白さが際立っていた。
 新しい展望板が2つ設置されているが、山の位置がまちがっていたり、見えない山の山名が示されていたりして、誤りが多かった。

山頂より望む氷ノ山

 山々の展望は、いつまでも見飽きなかった。

 山頂の東側に、程よい傾斜のスロープが下っていた。ここを滑らなくては・・・。

 雪はよくしまっている。しかし・・・、スキー場ではうまく滑れるのに、整地されていない雪原ではどうしても恐怖心が先立ってしまう。なんとか転ばずに滑ったが、へっぴり腰で爽快感がない。
 登路を登り返し、もう一度滑ってみた。
 2回目。うん、1回目よりはいい感じ。
 3回目。2回目とあまり変わらない。
 4回目。何ということか、また1回目のような滑りに戻ってしまった。
 いつまでたってもうまくならない。体力も、もう尽きはじめた。あきらめて、失意と共に車道の雪をホテルまで滑り降りた。

乱れたシュプール

 暁晴山とその東に広がる峰山高原。次の冬には、ここはスキー場になっている。雪が融ければ本格的な工事が始まるだろう。国内では、18年ぶりのスキー場新設になるという。

 兵庫の先人、多田繁次は1958年の夏、初めてここ訪れた。そして、
 「夢に見た大草原がそこに展開した。八時半だった。蒼い空に白い夏雲がただよい、朝霧を含んだ草原をわたる風が肌に心地よい。私は声の限り快哉を叫んだ。
 ああ、一千メートルの高原、兵庫にもこんなよい山があったのか、まず嬉しさがこみ上げてくる。高原をゆったりとめぐる山々は丘のように優しい。」
と綴った(「ひょうご低山遍歴 なつかしの山々」 多田繁次 1990)。

 そのときから、およそ60年。山頂まで延びる車道、電波塔、ホテル、グラウンド・・・。もはや、峰山高原は人工の中にある。
 昔の峰山高原、今の峰山高原、これからの峰山高原・・・。どれがいいなんてことは言えない。ただ、時代の流れの中で峰山高原は変わっていく。

 それなら、新しくできるスキー場がこの雄大な風景と共に多くの人たちに愛されることを願いたい。そして私も、これまで何度かここを訪れた想いを胸に抱きながら、新しく変貌する峰山高原も大切に思いたい。
山行日:2017年2月4日

ホテルリラクシア駐車場〜暁晴山(往復)
 ホテルリラクシアまで除雪されている。新しい降雪後は道に雪が残るので、冬用タイヤが必要。できれば四駆が望ましい。

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