行 者 岳 (786m) 朝来町 25000図=「但馬新井」 |
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静かな信仰の道と峻険の修験道
朝来町の行者岳は、古くから地元の信仰を集める岩屋観音を山の中腹に抱いている。また、その名の示すとおりの険しい修験の山でもある。
尾根の分岐に立つ展望岩は、最高のビュー・ポイントであった。眼下の多々良木ダム湖は、複雑に入り組んだ形で、オレンジ色の岸の土に縁取られて、水を湛えている。緑の湖面は鈍く光り、周囲の森の緑とは色調を異ならせていた。左に朝来山、正面に青倉山と粟鹿山。右の大持山からもっつい山への稜線は緩くS字を描いている。この稜線は、ずっと奥に見える三国岳から曲がりくねりながらつながる中央分水界である。左右に大きく翼を広げたもっつい山の姿が印象的であった。 展望岩から北東尾根を下る。いきなりの急坂には、ロープが張ってあった。下に見下ろす小ピークは、荒々しく露出した岩盤が絶壁をつくっている。北東尾根は、上った南尾根とは異なる険しい修験の道である。 絶壁をつくる岩のピークを越えて下ると、クサリ場が連続する。2本目のクサリで切り立った大岩を右へ巻き下ると、急斜面にわずかな平坦地があって小さな祠が建っていた。かつて、ここには行者堂があった。背後の岩壁には大きな割れ目が走り、その割れ目の中をはしごが昇っている。丸太を組んでつくられたそのはしごを、ロープを頼りながら上った。湿ったカビのにおいが、岩の間から漂ってくる。割れ目の最上部には小さな祠があって、その中にさらに小さな法道仙人像が祀られていた。 多々良木ダムまでは、まだまだ険しい道が続いていた。所々に無造作に立つ石仏に励まされながら、ダムの湖畔へ下りついた。冒険心をくすぐられた下山の道であった。
山行日:2003年7月26日
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上岩津から観音川に沿った道を遡る。車道は岩屋観音の山門まで続いている。この山門が行者岳の登山口で、「岩屋観音まで800m、行者岳まで2800m」の標識がある。山門から岩屋観音を経て行者岳まで、地形図破線路を上る。よく整備された道であった。 |
■山頂の岩石■ 岩屋観音 流紋岩 (白亜紀 生野層群下部累層) 展望岩 火山礫凝灰岩 (白亜紀 生野層群最下部累層)
流紋岩は、岩屋観音までの沢の中の一部や岩屋観音背後の岩壁で見られる。斑晶として斜長石(白く変質)、カリ長石(淡褐色)、石英、黒雲母(緑色に変質いること多)が含まれている。厚さ1~2mm程度の無斑晶ガラス質の薄層の縞模様による流理構造が顕著である。この流理構造に沿って、割れやすくなっている。全体的に風化が進み、淡褐色~帯紫褐色を呈すことが多い。 火山礫凝灰岩は、岩屋観音山門周辺、岩屋観音までの沢の中、行者岳山頂から北に広く見られる。全体的に風化が進み、珪化して緑色を呈す部分も多い。成層している部分があったり、頁岩や流紋岩の岩片を含んでいる部分もある。 兵庫県(1996)によると、山頂より南には生野層群下部累層が、山頂より北には生野層群最下部累層が分布していることになっている。しかし、岩相上あるいは構造上それが妥当なのか分からない。 |