仏ノ台山(292.9m)〜雄鷹台山(310.6m)〜野瀬奥山(328m)〜天下台山(321.4m)
相生市・御津町・揖保川町 25000図=「相生」「網干」
海を見下ろす稜線歩き
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雄鷹台山(右)と野瀬奥山(左) |
室津漁港を下に見る |
登山口の峠を背にして山に入ると、踏み分け道が尾根についていた。道の周りは雑木林で、ヤマモモやヒサカキが乾いた緑の葉をつけている。メジロが、背中の緑も鮮やかにツィーツィーと木々の間を渡っていた。
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播磨灘 |
道に1mぐらいの岩が出ていた。岩の上には、「柏第1展望台」の標識が掛かっている。岩の上で振り返ると、海が見えた。瀬戸内海には朝もやが立ち、その向こうに小豆島が霞んでいた。朝陽は、その朝もやを透かして、男鹿島の前でまぶしく反射していた。
2枚の反射板が向かい合うようにして立つ小さなピークを越え、上り返した186mピークはヒサカキ・イヌツゲばかりが生えていた。道は、なだらかになった尾根の上を気持ちよく続いていた。ここは、御津山脈の西端にあたり、最近になって登山道が整備された。
地面のコシダが消え、落ち葉の道となった。しばらく進むと分岐があり、左へ進むと仏ノ台山の山頂に達した。
仏ノ台山は海図に標記されている名前で、野瀬では「五六見山(ごろみやま)」と呼ばれている。山頂には、古い石垣が残り、その上に三基の自然石でできた墓が立っていた。三角点の標石は、山頂から少し離れてササの中に埋もれていた。
仏ノ台山の下に、水晶山と呼ばれている岩場がある。水晶が採れないかと思い、この岩をめざして下った。 道はなく、サルトリイバラに何度も引っかかりながらヤブを分けた。岩の上らしき所まで下りたが、そこから岩の横や下に回りこむのは難しそうだった。ここには、珪化の著しい流紋岩が分布している。岩の割れ目に光る水晶を想像してみたが、採集することはあきらめた。
岩場の上の灌木のすき間から、雄鷹台山・野瀬奥山・天下台山が並んで見えた。中央の野瀬奥山は、岩盤を一部にまとって、どっしりと座っていた。
空しい冒険の後、再び仏ノ台山を越えて縦走路に戻った。冬枯れの季節だが、コナラは葉を残していた。赤褐色に染まったコナラの葉は、青空を背景にして日を透かしていた。
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御津山脈の表示板 |
青空に映えるコナラの葉 |
岩の重なる273mピークは、見晴らしがよかった。背中の木々は冬の季節風にざわめいているが、目の前の海や海に広がる家島群島には陽光が豊かに注いでいた。ふもとから、「石焼きいも」の売り声がのどかに聞こえてきた。
尾根の小道を、室津の港を見下ろしながら進んだ。前に見える雄鷹台山は、海に向かって緩く傾いた稜線を直線的に伸ばしている。
縦走路が「女郎街道」と交差したところには、いくつのも新しい標識がにぎやかに立っていた。相生の造船所から室津へ女郎買いに行くのに通ったことからそう呼ばれているこの峠道は、今は山の愛好家たちによってきれいに整備されていた。
道は、アップダウンを繰り返しながら少しずつ上っていった。そして、上りがいのある急坂を詰めたところが、「御津山脈最高峰」の標識が誇らしげに立つ雄鷹台山の山頂だった。山頂はイヌツゲの純林で、曲がりくねった細い幹とその影が楽しいオブジェをつくり出していた。
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雄鷹台山 |
雄鷹台山山頂のイヌツゲ |
雄鷹台山からは、御津山脈縦走路から別れて北へ向かった。イヌツゲを迷路のように縫って進むと、道は「ダイセル」のネットに沿うようにしてぐんぐ下りだした。目の前の野瀬奥山の前峰がどんどん高くなっていく。コルからは、ヒサカキの林を上り返した。急斜面の途中で振り返ると、青い海に白い舟が点々と浮かび、遠くには明石海峡大橋がかすんで見えた。
ヤマモモの大きな木が立つ前峰を過ぎると、野瀬奥山山頂下の岩盤が大きく迫った。岩盤に見える東へゆるく下るラインは、溶岩流の成層構造を示しているようだった。
野瀬奥山を越え、天下台山との間のコルに下ったときに、丸いあられのような雪がパラパラと降った。天下台山の登山コースと合流して、道は広くなった。しばらく台地上の平坦地を進み、ラストの丸太階段を急登すると、天下台山の山頂に達した。
天下台山の山頂には、凹凸の激しい岩が大きく露出している。岩の上は、四方に展望が開けていた。大小の島を浮かべた瀬戸の海、夕日を浴びて浮かび上がった姫路の市街地、雪をのせた播磨の山々がぐるりと一望できた。ここまで歩いてきた稜線は、逆光に沈んでいた。
山頂で岩を観察していると、ときどきハイカーが上ってきては下りていった。夫婦と4人の子どもたちが上って来て、山は俄然にぎやかになった。
穏やかな冬晴れの一日だったが、相生市街地の上には、発達した積雲が列を成して流れ込んでいた。
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天下台山山頂 |
発達する雄大積雲 |
山行日:2005年1月9日