玄武洞の地球科学
玄武洞

 第四紀には、アルカリかんらん石玄武岩の活動が西南日本の日本海側で記録されていますが、兵庫県はその東端にあたります。この中で、玄武洞は160万年前に起こった火山活動で流れ出した溶岩が冷え固まるときに規則正しい割れ目(節理)を作り出したものです。
 玄武洞は、その地質的な価値と自然のつくり出した美しい景観によって、早くから国の天然記念物に指定され、今は公園として整備されています。梅雨時には、アジサイがいっせいに咲き、ピンクや紫の花が石の景観に彩りを添えます。

 玄武洞のすぐ下、円山川の河畔には「玄武洞ミュージアム」があります。ここには、世界から集められた鉱物が所せましと並べられています。どの鉱物も、大きく見栄えのするもので、驚いてしまいます。
 また、近くに「兵庫県コウノトリの郷公園」があるので、帰りに寄ってみるといいでしょう。

玄武洞の歴史と地球科学
「灘石」の階段 玄武洞

 玄武洞への遊歩道には、石が敷き詰められています。どれも、ほぼ同じ大きさで5角形や6角形のものが多く見られます。この石は、柱状節理が横に割れてできたもので、「六角石」あるいは「灘石(なだいし)」と呼ばれています。江戸時代、玄武洞ではこの石が採石されていました。玄武洞は、その採石場の跡なのです。

 石段を上ると、目の前に玄武洞が大きく現れます。玄武洞の素晴らしさは、何といってもその見事な節理にあります。節理とは、地表に流れ出した溶岩が冷え固まるとき、体積が小さくなるためにできた割れ目のことです(冷却節理)。玄武洞の節理は、縦や横方向に発達していたり、曲線を描きながら放射状に走っていたりして、単純さと複雑さを兼ねそなえています。この節理の形態は、溶岩が冷えるときに起きた熱対流の動きを教えてくれます。

 1807年に儒学者柴野栗山が、この採石場を訪れ、玄武洞と命名しました。「玄武」は、古代中国の四神(しじん)のひとつで、天の北方を守る神です。絵では、カメの甲に蛇が巻きついた形で表されています。玄武洞の岩石は、節理の断面が六角形の亀の甲羅のようであり、また横から見ると蛇の腹のように見え、「玄武」の名がぴったりです。
 
青龍洞、玄武洞……立ち並ぶ5つの洞
青龍洞 白虎洞
 
 玄武洞は南から、青龍洞・玄武洞・白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞と並んでいます。

 青龍洞は、龍の昇る姿に似ていることから命名されました。洞の高さは33mに及び、玄武洞の中では最も長い節理が見られます。洞の下の池は、採石跡のくぼんだ岩盤を利用してつくられたものです。龍は、この池から立ち昇ったかのようです。

 白虎洞は、柱状節理が横に並んでいます。なぜ横になったのか、いろいろと想像力をかきたてられます。洞の左右で、柱状節理の6角形の断面を間近に観察することができます。

 白虎洞の北の南朱雀洞・北朱雀洞も小さいながら、特徴ある節理の形態を示しています。
 
玄武洞の節理と岩石
玄武洞の柱状節理 溶岩の先端部

玄武洞で見られるような節理を柱状節理といいます。玄武洞の洞の左の部分などでこの節理が詳しく観察できます。ここでは、縦方向に柱状節理が発達し、その柱状節理と直角に交わる横の節理によって、1本1本の柱が石臼を積み重ねたように立っています。一つ一つの石の6角形の一辺と高さがほぼ同じ長さになっているのは、溶岩が冷えるときに、縦と横が1対1になるベナール渦を生み出したためであると説明されています。

南朱雀洞には、流れてきた溶岩の先が地面に接して固まった部分が見られます。この部分の玄武岩には節理が見られず、コブ状となっています。岩石の表面には、固まるときに揮発成分の抜けた小さな穴がところどころに開いているのが見られます。火山灰や火山れきも見られるということですが、これは表面にはりついたコケなどによって観察できませんでした。

玄武洞の岩石は、暗灰色で細粒緻密な玄武岩です。玄武岩の名前は、この玄武洞から生まれました。1884年に、小藤文次郎がbasaltの日本語訳として玄武洞の名前から「玄武岩」と命名したのです。地面に落ちている石をひろって新鮮な面をルーペで観察すると、斑晶に小さなかんらん石と斜長石を含んでいることがわかります。

また、1929年には松山基範が玄武洞の岩石から世界に先駆けて地磁気の逆転を発見しました。地磁気のN極とS極が今と反対の時期があったというこの考えは、発表当時はほとんど無視されたようです。その後、1960年代になって広く認められるようになり、第四紀の逆転期には「松山逆磁極期」という名が付けられました。そして、この地磁気逆転の事実は、プレートテクトニクス説の成立に大きく寄与することになってきます。玄武洞は、地球科学に関する歴史を数多く有するところなのです。

※ このページは、2000年6月に作ったものを、2005年6月に改訂したものです。

■岩石地質■ 第四紀 更新世 アルカリかんらん石玄武岩
■ 場 所 ■ 豊岡市赤石 25000図=「城崎」
■ 交 通 ■ 豊岡大橋を渡って、円山川右岸を北へ約4km (JR玄武洞駅から渡し船も出ています)
■探訪日時■ 2000年6月25日・2005年6月12日

TOP PAGEに戻る地質岩石探訪に戻る